
「今までなら、絶対に取り組まなかったタイプの学習に取り組めるようになった」
この日の記録の中に、そんな教師の言葉が残っていました。
国旗の学習、漢字の学習、計算、理科や社会の読解、百人一首、プリント、教科書、ワーク。MOANAVIでは、同じ教室にいる子どもたちが、同じ時間にまったく違う学習をしています。
全員で同じページを開くわけでも、先生が一斉に「今日はこれをやりましょう」と指示するわけでもありません。
その日の自分にできそうなことを選ぶ子もいれば、前回の続きを進める子もいます。簡単な内容に戻る子もいれば、学年を越えた問題に挑戦する子もいます。
もちろん、全員がいつも勉強したくて仕方がないわけではありません。
だからこそ、MOANAVIでは「勉強したいと思えるまで待つ」のではなく、学び始めるための入口をたくさん用意しています。
「やりなさい」ではなく、「これならやってみる」が生まれる
この日、ある小学生は漢字ドリルで50問に取り組みました。
教師の記録には、その子が漢字を特別好きなわけではないことも残っています。それでも、実際にはかなりの数の漢字を書いていました。
別の子については、よりはっきりとした記録があります。
「アプリを使うことで、今まで絶対に取り組むことのなかったタイプの学習に取り組めるようになった」
国旗や漢字といった学習に、自分から触れるようになったというのです。
これは、manabisにたくさんの学習アプリを作っている理由の一つでもあります。
子どもにとって、学習の入口は一つではありません。
紙のプリントには手が伸びなくても、画面上の問題なら始められることがあります。長い学習は嫌でも、10問ならやってみようと思えることがあります。メダルを取りたい、記録を伸ばしたい、前よりできるようになりたい。入口はそれぞれ違います。
きっかけが「勉強そのものへの強い意欲」でなくても構いません。
始めた先に、実際の学習があればいい。
この日は、漢字ドリルで50問を完了した子が何人もいました。中には難しい漢字や語彙に取り組んでいる子もいれば、低学年の漢字を進める子もいました。
同じ「漢字ドリル」でも、学んでいる内容は一人ひとり違います。
学年通りに進むだけが、学びではない
別の小学生は、小学6年生の算数プリントに取り組んだあと、自分から「復習する」と言って、以前の学年の内容に戻りました。
この日は分数の計算に加えて、垂直と平行、四角形、三角定規の角などにも取り組んでいます。
「6年生なのだから、6年生の問題をやるべき」と考えると、学習は一本の道になります。
けれど、実際の理解はそんなにきれいには進みません。
前の学年の内容を確認した方がいい日もあれば、簡単な問題をたくさん解きたい日もあります。得意なところは先へ進み、苦手なところだけ戻ることもできます。
別の子は、小学6年生の算数で比例と反比例や比例のグラフを学習したあと、TEXtTEXtでは小学3年生の理科や社会の問題に取り組んでいました。
理科では、粘土の形を変えても重さは変わらないこと。社会では、駅の近くには店が多く、駅から離れた場所には住宅が多いことなどを、短い文章を読みながら確かめています。
25問すべてに正解しました。
TEXtTEXtは、用語を知っているかだけを問うクイズではなく、短い文章を読んで、その内容を理解しながら答える教材です。
「小学6年生だから小学6年生の問題だけ」という制約を外すと、復習にも、読み取りの練習にも、ちょっとした学習の切り替えにも使えます。
先生に聞く前に、自分で探せるようになるには
自分で学ぶというと、「先生が何もしない」という意味に受け取られることがあります。
実際には逆です。
自分で学ぶためには、必要なところで適切な支援が必要です。
この日、ある小学生は社会の「農家の仕事」というプリントに取り組んでいました。
教科書を見ながら進めていましたが、答えを自分で教科書から探すことには苦戦していました。
教師の記録には、
「よく読めば見つけられるけれど、先生に聞くほうが早いと思ったのかもしれない」
という振り返りがあります。
そこで、答えをそのまま教えるのではなく、「教科書のどこを見ればよいか」「どう探せばよいか」を支援しました。
最終的には、最後まで取り組むことができました。
MOANAVIで目指しているのは、分からないことがあったときに、すぐ先生から答えを受け取る学び方だけではありません。
教科書を使う。参考になるところを探す。問題文を読み直す。必要なら先生に相談する。
そうやって、自分の手元にあるものを使いながら先へ進めるようになることも、大切な学びだと考えています。
「もうやりたくない」と言いながら、それでも終える
学習の記録には、きれいな成功場面だけが残っているわけではありません。
ある小学生は、周りの子がまだ漢字ドリルを続けている中、自分から漢字を切り上げて、江戸時代の文化と学問のプリントへ移りました。
前半は、自分で教科書を見ながら進めています。
ところが後半になると、「もうやりたくない」という言葉が出ました。
それでも、先生と一緒に教科書から答えを探しながら、最後まで取り組みました。
これもまた、MOANAVIで実際に起きている学習です。
やる気に満ちた子どもだけが学べる場所ではありません。
集中できない日もあります。おしゃべりが多くなる日もあります。面倒になって「もうやりたくない」と思うこともあります。
大切なのは、そういう状態でも学習そのものがゼロにならないことです。
少し漢字をやる。
計算だけやる。
好きなアプリから始める。
先生と一緒なら最後まで進められる。
そうした小さな入口がいくつもあれば、その日の状態に合わせて学習をつなぐことができます。
同じ教室でも、学び方は一人ひとり違う
この日は、中学生たちの学び方もさまざまでした。
ある中学生は、美術の教科書を長い時間読み進め、その後に数学へ移りました。
別の中学生は、過去問を解き、ノートを見返し、「これからカルクやる」と記録してから、実際に正負の数や方程式の問題に取り組んでいます。
また別の子は、小学5年生社会の工業や貿易について集中して学習し、「ジャストインタイム」「加工貿易」「貿易摩擦」「公共放送」「報道被害」などについて、一つずつ振り返りを書いていました。
一方で、百人一首に何十回も挑戦する子もいます。
理科の短文問題を解く子もいます。
漢字の読みを練習する子もいます。
全員が同じ教材を使っていなくても、教室全体では学習が進んでいます。
むしろ、一人ひとりが違うからこそ、「今日は何をやるか」を自分で考える場面が生まれます。
たくさんの教材を作ることが目的ではない
manabisには、さまざまな学習アプリがあります。
けれど、アプリの数を増やすこと自体が目的ではありません。
子どもが学習を始めるための選択肢を増やしたかったのです。
今日は漢字ならできる。
今日は計算をやってみる。
今日は理科を読みたい。
今日は昔の内容を復習したい。
今日は百人一首ならやりたい。
そういう選び方ができれば、「勉強するか、しないか」という二択ではなくなります。
「何をやるか」を選べるからです。
この日のMOANAVIでも、集中できなかった子、途中で嫌になった子、復習を選んだ子、今までやらなかった学習に挑戦した子、教科書から答えを探す練習をした子がいました。
学び方は、全員違いました。
それでも、それぞれが何かを学んでいました。
子どもが教えてもらうのを待つのではなく、自分で次の学習を選び、自分で進めていく。
そのためには、「自分でやりなさい」と言うだけでは足りません。
自分から手を伸ばせる教材があり、戻ることも進むこともでき、必要なときには先生の支援を受けられる。
そんな環境そのものを作る必要があります。
9月10日の記録には、その環境の中で生まれた、いくつもの小さな学びの姿が残っていました。

