
子どもが勉強しない。
家庭学習をさせたいけれど、何をやらせればいいのか分からない。
無料の学習サイトや教材を探してみても、計算、漢字、英語、理科、社会、プログラミングと、それぞれが別々に存在していて、結局は大人が「今日はこれ」と選び続けなければならない。
MOANAVIで実際に子どもたちと学ぶ中でも、ずっと考えてきたことがあります。
「勉強しなさい」と言い続けなくても、子どもが自分で学び始められる環境をつくれないだろうか。
その問いからつくり続けているのが、無料の学習プラットフォーム「manabis(マナビス)」です。
manabisには、計算、図形、漢字、英単語、理科、社会、都道府県、世界の統計、雨温図、百人一首などの学習があります。
でも、それだけではありません。
てこやゴムの力を自分で操作して確かめる「LABO」。
ブロックを自由に組み合わせて作品をつくる「MAKE」。
ペットに命令を出し、ダンジョンから脱出させる「CODE」。
問題を解くことだけを「勉強」とせず、実験すること、つくること、試すこと、失敗して直すことまで、一つの学習環境の中に置いています。
無料で、登録なしで、広告なしで、インストールも必要ありません。
思い立ったらブラウザを開いて、そのまま始められます。
そして、全部やる必要もありません。
今日は計算でもいい。
百人一首でもいい。
問題を解きたくなければ、実験でも、ものづくりでも、プログラミングでもいい。
勉強から逃げた先にも、学びがある。
それくらい広く「学ぶ」ということを捉えた方が、子どもが自分から動き出せる場所をつくれるのではないかと考えています。
この記事では、manabisにある学習を一つずつ紹介するだけではなく、なぜそのアプリをつくったのか、どんな学びをそこで起こしたいのか、家庭や学校でどう使えるのか、そしてMOANAVIがなぜ自分たちで学習プラットフォームをつくっているのかまで、できる限り詳しく書きました。
これは、manabisの機能紹介だけの記事ではありません。
MOANAVIが実際に子どもたちと関わる中で考えてきた、
「子どもが自分で学ぶとは、どういうことなのか」
を、manabisという実際に動く仕組みを通してまとめた記録でもあります。
かなり長い記事です。
最初から最後まで一度に読む必要はありません。
家庭学習について考えている方。
無料で使える小学生・中学生向けの学習サイトを探している方。
不登校などで学校以外の学び方を探している方。
学校、塾、フリースクールなどで子どもが自分で進められる教材を探している方。
そして、
「そもそも、子どもにとって学ぶって何だろう」
と考えている方。
気になるところから、読んでもらえればと思います。
- 「勉強しなさい」と言わなくても、学びが始まる場所をつくれないだろうか
- 学びたいと思った瞬間に、すぐ始められるようにしたかった
- 家庭学習は「今日は何をやる?」から始めてもいい
- 「勉強したくない」子どもを前提に考える
- 学校へ行っていない日にも、学びはなくならない
- ここから、manabisにある学びを全部見ていく
- 計算――繰り返すからこそ、すぐ始められるようにする
- 図形――同じ公式でも、同じ図形ばかり見せたくない
- 素因数分解――答えを選ぶのではなく、自分で組み立てる
- 正負の数――「マイナス」が入った計算に慣れる
- 漢字――書くだけが漢字学習ではない
- 英単語・英語――答えを見るのではなく、自分で思い出してつくる
- 理科――知識を確かめながら、現象を見るための土台をつくる
- 社会――知識を点で覚えるのではなく、つながりを見つける
- 都道府県――47個の名前を覚えて終わりにしない
- 世界の統計――数字から世界を見る
- 日本の貿易――「輸出・輸入」を実際の数字から考える
- 雨温図――グラフを覚えるのではなく、気候を読み取る
- 百人一首――「覚えなさい」ではなく、何度も触れる
- LABO――正解を選ぶ前に、まず動かしてみる
- ゴムカー実験――ゴムの力を数字だけで覚えない
- なぜLABOには「問題」がなくてもいいのか
- MAKE――問題を出されなくても、子どもは考える
- CODE――プログラミング言語より先に「どう動かす?」を考える
- 学習ゲームと「遊び」の境界を、あえて曖昧にする
- STUDY POINT――学んだ量を一つの尺度で残す
- メダル――「できた」を残す
- アバターとペット――「勉強に必要ないもの」を、なぜ入れたのか
- 「頑張った」が見えなくならないようにする
- manabisでは「全部やる必要」はない
- 参考書も、教科書も、先生も使っていい
- 家庭でmanabisを使うなら
- 学校・塾・フリースクール・学童などで使うなら
- MOANAVIでは実際に子どもたちが使っている
- なぜMOANAVI自身が学習アプリを作るのか
- manabisは、これからも完成しない
- まとめ――勉強するとき、とりあえずmanabisを開く
「勉強しなさい」と言わなくても、学びが始まる場所をつくれないだろうか
子どもに勉強してほしい。でも、「勉強しなさい」と言い続けるのは、子どもにとっても大人にとっても苦しいものです。
学校の宿題になかなか手をつけない。家庭学習を始めても長く続かない。無料の学習サイトや教材を用意してみても、数回使っただけで終わってしまう。
MOANAVIで日々子どもたちと過ごしていても、「勉強した方がいいことは分かっている。でも、できれば勉強したくない」という姿に出会います。
そこで考えたのが、子どもをどうやって勉強させるかではなく、子どもが自分から何かを始められる場所をつくれないだろうかということでした。
そのためにつくっているのが、学習プラットフォーム「manabis(マナビス)」です。
manabisには、計算や図形、漢字、英単語、理科、社会といった学校の学習につながるものがあります。百人一首を練習したり、素因数分解や正負の数の計算に取り組んだり、都道府県や世界の統計を調べたりすることもできます。
でも、それだけではありません。
てこの重りを実際に動かしてつり合いを探したり、ゴムの伸ばし方を変えて車の走り方を確かめたりする実験があります。ブロックを自由に組み合わせて、自分の好きなものをつくる場所もあります。ペットに命令を組み合わせて、ダンジョンから脱出させるプログラミングもあります。
「今日は計算をやろう」と思ってmanabisを開く日もあれば、「今日は勉強したくない」と思いながら、なんとなく実験を触ってみる日があってもいい。
何かをつくっているうちに空間について考えることもあります。プログラムが思った通りに動かなくて、命令の順番を何度も入れ替えることもあります。実験の結果が予想と違って、「どうしてだろう」ともう一度条件を変えてみることもあります。
私たちは、そうした時間も学びだと考えています。
学ぶための入口を、できるだけ低くしたい
manabisは、小学生・中学生を中心に、誰でもWebブラウザから利用できます。
無料・登録なし・広告なし・インストールなし。
初めて使うときに、名前やメールアドレスを登録する必要はありません。アプリを端末へインストールする必要もありません。利用するために広告を見る必要もありません。
「ちょっとやってみようかな」と思ったら、そのまま開いて始められます。
家庭学習や自主学習で使っても構いません。学校で習った内容の復習をしてもいいし、まだ習っていないものを触ってみてもいい。家のパソコンでも、タブレットでも、そのとき興味を持ったものを選べます。
学習サイトというと、学年を選び、教科を選び、単元を選び、決められた順番に問題を解いていくものを想像するかもしれません。
manabisにも、そうした学習に使えるアプリはたくさんあります。
けれど、manabis全体を一つの問題集にはしたくありませんでした。
「何を学ぶか」を子どもが選べる余白を残す
算数が苦手だから、今日は算数をやらなければならない。
漢字が覚えられていないから、漢字をやらなければならない。
もちろん、そういう学習が必要な日はあります。
一方で、それだけが毎日の学びになってしまえば、勉強することそのものから離れたくなる子もいます。
だったら、計算から逃げて理科の実験を始めてもいい。
実験にも興味がなければ、何かをつくってみてもいい。
ものづくりにも気分が乗らなければ、百人一首をやってもいいし、プログラミングでペットを動かしてみてもいい。
その先で、また計算に戻ってくるかもしれません。
大切なのは、「勉強するか、何もしないか」の二択にしないことだと考えています。
勉強から少し離れた先にも、別の学びがある。
興味を持ったものを入口にして、その先に新しい興味が生まれる。
manabisには、そのために少しずつ異なる性格を持った学習アプリや実験、ものづくり、プログラミングを増やしてきました。
この記事では、それらを単なる「機能一覧」として紹介するつもりはありません。
なぜ、このアプリをつくったのか。
子どもに何をしてほしいと考えたのか。
どんな使い方ができるのか。
計算、図形、漢字、英語、理科、社会、地理、統計、百人一首、実験、ものづくり、プログラミング――それぞれについて、MOANAVIで子どもたちの学びに関わりながら考えてきたことと一緒に、順番に紹介していきます。
学びたいと思った瞬間に、すぐ始められるようにしたかった
manabisを開くと、最初に会員登録を求められることはありません。
メールアドレスも、名前も、パスワードも必要ありません。アプリをインストールする必要もなく、利用するために広告を見る必要もありません。Webブラウザでページを開けば、そのまま学習を始められます。
これは単に「手軽な無料学習サイトにしたかった」というだけではありません。
子どもの「ちょっとやってみようかな」は、とても小さなきっかけだからです。
「これ何だろう」「ちょっと面白そう」「一回だけやってみよう」
そんな瞬間に、会員登録の画面が現れたり、アプリのインストールが必要だったり、大人にメールアドレスを入力してもらわなければならなかったりすれば、その小さな興味は簡単に消えてしまいます。
だからmanabisでは、学び始めるまでにある障壁を、できるだけ取り除くことを大切にしています。
登録しなくても、まず使える
オンラインの学習サービスでは、最初にアカウントを作る仕組みも珍しくありません。
学習履歴を保存したり、一人ひとりに合わせたサービスを提供したりするためには、もちろんアカウントにも意味があります。
manabisにも、学習履歴やSTUDY POINTなどを継続して残したい人のための仕組みがあります。
ただ、それを学び始めるための条件にはしたくありませんでした。
無料で使えるかどうか調べている段階で、まず登録。
どんな教材なのか見てみたいだけなのに、まずログイン。
それでは、「使ってみてから考えたい」という人にとって順番が逆です。
manabisでは、まず使ってみることができます。
計算を解いてみる。図形の問題に挑戦してみる。漢字をやってみる。理科の実験を動かしてみる。ブロックを置いて何かをつくってみる。
その体験が先です。
「無料だけど広告を見る」は採用しなかった
無料のWebサービスを運営する方法の一つに広告があります。
けれどmanabisでは、広告を表示していません。
子どもが計算問題を解いている横に広告がある。次の問題へ進もうとしたら広告が表示される。実験をしている途中で別の商品やサービスへ注意を向けられる。
それは、私たちがつくりたい学習環境とは違いました。
manabisを開いている間は、今やっていることに集中してほしい。
そのため、無料であることと広告がないことを両立させる形を選んでいます。
「無料 学習サイト」「無料 勉強サイト」を探している家庭にとって、料金だけでなく、子どもがどんな環境で使うことになるのかも大切な条件だと考えています。
インストールしないから、端末を選びにくい
manabisはネイティブアプリではなく、Webブラウザで動く学習プラットフォームです。
そのため、基本的には専用アプリをインストールする必要がありません。
家のパソコンから開く。タブレットから開く。利用できる環境であれば、URLへアクセスしてそのまま始める。
「この端末にはまだアプリを入れていなかった」ということが起きにくいのは、家庭学習や自主学習で使ううえでも大きな利点です。
特に子どもの学習では、使う場所が一つとは限りません。
今日は家のパソコン、別の日はタブレットということもあります。学校や学習の場でWebブラウザを利用することもあります。
manabisを「特定の端末の中にある教材」ではなく、学びたいときにWebから行ける場所にしたかったのです。
無料版を「体験版」にはしたくなかった
無料サービスでは、最初の数問だけ利用でき、その先は有料という設計もあります。
それも一つのサービスの形です。
ただ、manabisの無料利用は、単なるお試し版として設計しているわけではありません。
計算も、漢字も、図形も、理科や社会も、実験も、ものづくりも、プログラミングも、まずは実際に使って学ぶことができます。
無料だから学習内容を極端に制限するのではなく、学ぶための場所そのものは広く開いておく。
一方で、継続して使う人には、学習履歴を残したり、STUDY POINTを積み重ねたり、自分の学習環境として育てたりする価値があります。
「教材を使えること」と「自分の学習環境として残していくこと」を分けて考えています。
入口が低ければ、思いがけない学びも始まる
最初から「今日は30分勉強するぞ」と決意して学習サイトを開く子ばかりではありません。
何となく開いた。
面白そうなものがあった。
一問やってみた。
別のアプリも気になった。
そんな始まり方があってもいいと思っています。
だから、無料であること、登録なしであること、広告なしであること、インストールなしであることは、manabisにとって単なる宣伝文句ではありません。
すべて、
「やってみよう」と思った瞬間と、実際にやり始める瞬間をできるだけ近づけるための設計です。
学ぶために、まず準備をしなければならない場所ではなく。
開けば、もうそこに学べるものがある。
manabisは、そんな入口でありたいと考えています。
家庭学習は「今日は何をやる?」から始めてもいい
家庭学習というと、どんな姿を思い浮かべるでしょうか。
学校の宿題を終わらせる。計算ドリルを何ページか進める。漢字を決められた数だけ書く。テストが近ければ、範囲を決めて復習する。
もちろん、どれも大切な家庭学習です。
一方で、「家庭学習で何をすればいいのか分からない」「教材を用意しても続かない」「親が言わないと勉強を始めない」という悩みもあります。
manabisでは、家庭学習や自主学習を、必ずしも最初から大人がすべて決める必要はないと考えています。
「今日は何をやる?」
そこから始めてもいいのです。
学年や教科の順番どおりに進まなくてもいい
manabisには、さまざまな学習があります。
計算をしたければ計算をする。漢字を練習したければ漢字をする。英単語を覚えたいなら英単語をする。理科や社会の問題に挑戦することもできます。
図形が気になれば、面積や角度、体積の問題を解いてみる。
百人一首を覚えたければ、百人一首を練習する。
中学生なら、素因数分解や正負の数の計算に取り組むこともできます。
さらに、問題を解くことだけが用意されているわけではありません。
てこの実験をしてもいい。ゴムカーを走らせてもいい。ブロックでものをつくってもいい。プログラムを組み、ペットをダンジョンから脱出させてもいい。
その日に何を選ぶかは一つでなくても構いません。
計算を少しやってから百人一首へ移ってもいいし、理科の問題から実験へ移ってもいい。
家庭学習の時間を、「決められた教材を終わらせる時間」だけではなく、「自分で学ぶものを選ぶ時間」にすることもできます。
自主学習の「何をすればいい?」を減らしたい
「自主学習をしましょう」と言われても、子どもにとって難しいのが、何をするかを決めることです。
自由にしていいと言われたのに、何をすればいいか分からない。
結局、いつもの漢字や計算をする。
それ自体が悪いわけではありませんが、自主学習にはもっといろいろな入口があってもいいはずです。
たとえば、都道府県のランキングを見ていて、「どうしてこの県ではこれが多いんだろう」と気になる。
雨温図を見比べて、「同じ日本なのに、どうしてこんなに降水量が違うんだろう」と思う。
てこの重りを動かしながら、「ここに置いたらつり合うかな」と試す。
ブロックで建物をつくっていて、思った形にならないから置き方を変える。
プログラムを実行したら壁にぶつかったので、命令の順番を直す。
こうしたものも、自分で問いを持ち、自分で試しているという意味では立派な自主学習です。
「自主学習のネタ」を毎回大人が用意しなくても、子ども自身が次にやってみたいことを見つけられる場所をつくりたいと考えています。
5分しかやらない日があってもいい
家庭学習を続けようとすると、「毎日30分」「必ず何ページ」といった目標を決めたくなることがあります。
目標を決めることが合っている子もいます。
でも、それができなかった日に「今日は勉強できなかった」と考える必要はないと思っています。
5分だけ計算した。
漢字を少しだけやった。
百人一首を数首だけ見た。
実験を一回だけ試した。
それでも、その日は学びに触れています。
毎日長時間勉強することだけを目標にするよりも、学びとの接点をなくさないことの方が大切な時期もあります。
manabisはWebブラウザを開けば使えるので、「少しだけやる」ときにも大げさな準備はいりません。
短い時間から始まって、面白ければそのまま続ければいいのです。
苦手なものを練習する場所として使ってもいい
自由に選べるからといって、苦手な学習をしなくていいという意味でもありません。
「割り算をもう少し練習したい」
「漢字の読みが苦手だからやってみよう」
「テスト前だから正負の数を確認しておこう」
そんな目的があるなら、そのための練習場所として使えます。
学校で分からなかった内容を家でもう一度やってみる。授業より少し先の内容を試してみる。以前習った内容を思い出す。
家庭学習には、いろいろな使い方があります。
manabisが決めるのではなく、必要なときに必要な学びを取り出せることを大切にしています。
「一人で勉強できる」は、全部一人で分かるという意味ではない
自分で学ぶというと、「誰にも聞かず、一人ですべて解決できること」のように思えるかもしれません。
私たちは、そうは考えていません。
分からなければ教科書を見てもいい。参考書で調べてもいい。家族に聞いてもいい。先生に質問してもいい。
大切なのは、分からないことがあったときに、そこで学習そのものを終わりにするのではなく、「どうすれば分かるだろう」と次の行動を選べることです。
家庭学習だからといって、子どもを一人きりで勉強させる必要もありません。
大人がすべてを教える必要もありません。
「今日は何をやる?」
そう聞いて、子ども自身が選んだものを少しやってみる。
家庭での学びは、そんな小さなところから始めてもいいと考えています。
「勉強したくない」子どもを前提に考える
「どうすれば、子どもが自分から勉強するようになりますか」
子どもの家庭学習について考えると、よく出てくる問いです。
勉強の楽しさを伝える。目標を決める。できたことを褒める。学習習慣をつくる。ゲーム感覚で取り組める教材を使う。
どれも意味のある方法だと思います。
ただ、MOANAVIで子どもたちと過ごしていると、それだけでは説明できない姿にもたくさん出会います。
勉強した方がいいことは、本人も分かっている。それでも、勉強したくない。
大人から見れば将来のために必要なことでも、子どもにとっては「今、この瞬間にやりたいこと」とは限りません。
だからmanabisをつくるときには、最初から「子どもは喜んで勉強するもの」とは考えないことにしました。
むしろ、できることなら勉強から逃げたい日もあることを前提にしています。
「楽しい問題」にすれば解決するわけではない
勉強嫌いの子どもでも取り組めるように、問題をゲーム風にする方法があります。
正解すると音が鳴る。キャラクターが動く。点数が増える。連続正解を競う。
manabisにも、メダルやSTUDY POINT、アバターやペットなど、学習を続けたくなるための仕組みがあります。
しかし、計算問題にゲームの演出を加えたからといって、計算したくない子が突然計算好きになるわけではありません。
漢字が嫌な日に、漢字問題のボタンを派手にしても、やはり漢字は漢字です。
そこで、もっと根本的に考えました。
勉強したくないなら、別のことをしてもいいのではないか。
ただし、その「別のこと」の先にも学びがある環境をつくる。
これが、manabisを一種類の学習アプリではなく、さまざまな学びが集まる場所にしている理由の一つです。
計算から逃げた先に、実験があってもいい
今日は計算をしたくない。
それなら、理科の実験を触ってみる。
てこの重りを置いてみると、片方が下がった。反対側にも重りを置いてみる。それでもつり合わない。位置を変える。今度はつり合った。
本人は「計算問題を解いている」つもりではありません。
でも、重さと支点からの距離の関係を何度も試しています。
実験にも興味が向かないなら、MAKEでブロックを置いてもいい。
つくりたい形にするには、どこにブロックを置けばいいのか。高さはどのくらい必要なのか。反対側から見るとどうなっているのか。
完成させるために、置いて、見て、壊して、また置く。
CODEでダンジョンから脱出しようとすれば、今度は「前へ」「右を向く」「繰り返す」「もし〜なら」といった命令を組み合わせます。
実行して失敗したら、どこがおかしかったのかを考えて組み直します。
こうした活動を、私たちは「勉強ではないから意味がない」とは考えません。
遊びと学びを、きれいに分けなくてもいい
子どもがゲームをしているとき、大人から見ると「遊んでいる」ように見えます。
ところが実際には、ゲームの中で驚くほど複雑なことを自分から覚えていることがあります。
ルールを覚える。アイテムの特徴を覚える。効率のよい方法を探す。失敗した原因を考える。友達から情報を得る。何度も試す。
誰かに「覚えなさい」と言われなくても、必要だと思えば覚えます。
もちろん、ゲームをしていれば学校の勉強がすべて身につくという話ではありません。
ただ、ここには学習を考えるうえで大切なことがあります。
人は、自分がやりたいことのためなら、自分から考えたり、覚えたり、試したりすることがある。
だからmanabisでは、「これは勉強」「これは遊び」と最初から境界線を引きすぎないようにしています。
百人一首をゲーム感覚で何度もやっていたら、いつの間にか上の句と下の句の組み合わせを覚えていた。
ペットをダンジョンから脱出させたくて、何度もプログラムを書き直していた。
ブロックで思い通りの形をつくりたくて、ずっと試行錯誤していた。
それなら、その時間には十分な価値があります。
「自分から学ぶ」は、最初からできることではない
子どもには主体的に学んでほしい。
自分から勉強する子になってほしい。
そう願う大人は多いと思います。
しかし、「自分から勉強しなさい」と言われて始めた学習を、主体的な学びと呼ぶのは少し不思議です。
自分から学ぶためには、まず自分で選べる余地が必要です。
何をやるか。
どこまでやるか。
次に何をやるか。
やってみて面白くなければ、別のものへ移ることも含めて選択です。
最初はアバターが欲しいからでも、ペットが気になるからでも構いません。
その小さな動機から一つのアプリを始め、そこから別の学びへ移っていくことがあります。
学習意欲が先にあって学習が始まるとは限りません。
何かを始めた結果として、あとから学習意欲が生まれることもあります。
勉強から逃げた先にも、学びがある
manabisで大切にしたいと考えていることを、一つの言葉にするなら、
「勉強から逃げた先にも、学びがある。」
ということです。
勉強したくない日まで、無理に「勉強は楽しい」と思わせる必要はありません。
計算から逃げてもいい。
漢字から逃げてもいい。
問題を解くこと自体から離れてもいい。
ただ、その先が「何も学ばない場所」だけではなく、実験する場所だったり、つくる場所だったり、考えて動かす場所だったりする。
そして、そこからまた別の学びへつながる道がある。
子どもを机に向かわせるためだけではなく、子どもがどこへ動いても、その先で何かを学べる環境をつくる。
それが、manabisで目指していることの一つです。
学校へ行っていない日にも、学びはなくならない
学校に行くことが難しくなったとき、保護者の方が心配することの一つが学習です。
「勉強が遅れてしまうのではないか」
「家にいる間、何を勉強すればいいのだろう」
「学校へ戻ったときについていけなくなるのではないか」
不登校や登校しづらい状態にある子どものことを考えるとき、こうした心配が生まれるのは自然なことです。
MOANAVIでも、学校に行くことが難しい子どもたちと日々過ごしています。
そこで感じるのは、学校へ行っていないことと、学んでいないことは同じではないということです。
学校の授業を受けていない時間にも、子どもはさまざまなことを考え、調べ、試し、覚えています。
だからmanabisも、「学校の授業をそのまま家庭へ持ってくるためのサービス」としてだけは考えていません。
学校に行っている子も、行っていない子も、その日の自分の状態から学び始められる場所を目指しています。
学校と同じ時間割を家庭につくらなくてもいい
学校へ行けない期間が続くと、「せめて家では学校と同じくらい勉強させなければ」と考えることがあります。
朝から国語、次に算数、その次は理科。
学校の進度を確認しながら、遅れている単元を順番に埋めていく。
それが合っている子なら、一つの方法です。
しかし、学校へ行くこと自体に大きなエネルギーを使ってきた子にとって、家庭にもう一つの学校をつくることが負担になる場合もあります。
そんなときは、もっと小さなところから始めてもいいと考えています。
計算を10問だけやってみる。
好きな理科を開いてみる。
都道府県のランキングを眺めてみる。
百人一首を少しやってみる。
実験を一つ動かしてみる。
今日は問題を解きたくなければ、MAKEで何かをつくってみる。
それも難しい日は、何もしないということもあるでしょう。
毎日同じ量をこなすことより、その日の状態に合わせて学びとの距離を調整できることが必要な時期もあります。
「遅れを取り戻す」だけを目的にしない
不登校の子どもの学習について調べると、「勉強の遅れ」という言葉にたどり着くことがあります。
確かに、授業を受けていなければ、学校で進んでいる内容との差が生まれることはあります。
必要になったときには、その差を確認して学習することも大切です。
ただ、学習をすべて「遅れを取り戻す作業」にしてしまうと、子どもにとって勉強は、できていないものを埋め続ける時間になってしまいます。
私たちは、学校で今どこを習っているかだけで、子どもの学ぶ内容を決める必要はないと考えています。
学校の進度より前の内容に戻ってもいい。
得意な教科だけ先へ進んでもいい。
学校の単元とは直接関係のないものに興味を持ってもいい。
理科が好きなら、理科から学習を再開してもいいのです。
「今どこまでできているか」を知ることは必要ですが、「今どこに興味が向いているか」も同じくらい大切な情報です。
自宅学習だからこそ、自分のペースで進められる
学校には時間割があります。
授業が始まる時間も終わる時間も決まっています。クラスの多くの子どもが、同じ時間に同じ内容を学びます。
一方、自宅学習には決められた時間割がありません。
これは難しさでもありますが、同時に大きな自由でもあります。
一つの問題に時間をかけてもいい。
分からなければ前の内容へ戻ってもいい。
興味を持ったものを続けてもいい。
疲れたら一度やめてもいい。
manabisはWebブラウザから利用できるので、「授業の時間」にならなくても開くことができます。
朝に使う子もいれば、午後に使う子もいるでしょう。ほんの数分だけ触る日があっても構いません。
自分のペースで学べることは、単に学習速度を自由にするということではありません。
いつ始めるか。
何から始めるか。
どこまで続けるか。
どこで休むか。
そうしたことも含めて、自分の状態に合わせられるということです。
問題を解くことだけが、自宅でできる学習ではない

自宅学習というと、プリントやオンライン教材で問題を解く姿を想像しがちです。
manabisにも、算数・数学、漢字、英語、理科、社会などの問題に取り組める学習アプリがあります。
一方で、それ以外の入口も用意しています。
LABOでは、画面の中の実験器具を操作して現象を確かめます。
MAKEでは、ブロックを組み合わせて自由にものをつくります。
CODEでは、自分で命令を組み合わせ、思った通りに動くか試します。
どれも、「問題を読んで正解を答える」という学習とは少し違います。
学校の勉強から距離を置きたいと感じているときでも、こうした活動なら触れられることがあります。
そして、操作する、比べる、予想する、組み立てる、失敗する、直すといった行動の中にも学びがあります。
学校へ行くことと、学ぶことを切り離して考えてみる
不登校の学習支援を考えるとき、「どうすれば学校と同じ学習を続けられるか」だけを考えると、選択肢は狭くなります。
学校に行けない日にも、学ぶことはできます。
逆に、学校へ行っているだけで、すべての学びが成立するわけでもありません。
学校は学ぶための大切な場所の一つです。
家庭も、フリースクールも、図書館も、インターネットも、人との会話も、何かをつくる時間も、子どもにとって学びの場所になり得ます。
manabisも、その中の一つでありたいと思っています。
学校へ行っているかどうかにかかわらず、
「今日は、これならやってみようかな」
と思えるものが一つ見つかる。
そこから少しだけ学びが始まる。
学校へ行っていない日にも、学びまで休みにする必要はありません。
そして、学び方まで学校と同じである必要もありません。
一人ひとりがその日の現在地から、自分なりの一歩を選べること。
manabisは、そんな学校以外の学び、自宅での学びにも使える場所でありたいと考えています。
ここから、manabisにある学びを全部見ていく
ここまで、manabisをなぜ無料・登録なし・広告なしで公開しているのか、家庭学習や自主学習をどう考えているのか、そして「勉強したくない」という気持ちや、学校に行っていない日の学びについて書いてきました。
ここからは、実際にmanabisで何ができるのかを見ていきます。
ただし、単に「こんな機能があります」とアプリを並べるだけではありません。
manabisにある学習アプリは、それぞれ違う目的でつくられています。
計算のように、繰り返し練習することに意味があるものがあります。
図形のように、同じ公式を使う問題でも、形や数値を変えながら何度も考えてほしいものがあります。
漢字や英単語のように、覚えているかどうかを自分で確かめながら繰り返すものもあります。
百人一首のように、何度も触れているうちに少しずつ結びつきが強くなっていくものもあります。
理科や社会には、知識を確かめる問題だけでなく、雨温図や統計のように、資料を見て考える学習もあります。
そして、manabisの中にあるのは、いわゆる「問題集」だけではありません。
LABOでは、実際に画面を操作して実験します。
MAKEでは、正解を求めるのではなく、自分で何かをつくります。
CODEでは、自分で手順を考え、それを動かし、失敗すれば組み直します。
同じmanabisの中にありますが、そこで行っていることはかなり違います。
すべての学習を同じ形にはしない
学習アプリをつくるとき、どんな内容でも「問題を出す→答える→正誤を表示する」という形にそろえることはできます。
しかし、学ぶ内容が違えば、適した学び方も違うはずです。
計算なら、たくさん解くことに意味があります。
雨温図なら、グラフを見て特徴を読み取ることが大切です。
てこの学習なら、問題文を読むだけでなく、実際に重りを動かして「ここならどうなるだろう」と試せた方が分かりやすいことがあります。
プログラミングなら、正しい命令を選択肢から当てるより、自分で命令を並べて実行し、うまくいかなければ直す経験をしてほしい。
ものづくりなら、そもそも最初から正解を決める必要がありません。
そのためmanabisでは、すべての学習を一つの形式に統一するのではなく、その内容なら、どんなことをしているときに一番「学んでいる」と言えるだろうかと考えながら、それぞれのアプリをつくっています。
一つのアプリだけで完結させる必要もない
それぞれのアプリは独立して使えます。
計算だけを練習したいなら、それでも構いません。
百人一首を覚えたいなら、百人一首だけを繰り返してもいい。
雨温図のテストが近ければ、雨温図に集中してもいい。
一方で、一つの学習から別の学習へ移っていく使い方もできます。
社会の問題から都道府県が気になり、統計を見る。
理科の問題から、実際に実験してみる。
図形の問題を解いたあとに、MAKEで立体をつくる。
CODEで遊んでいたら、繰り返しや条件分岐という考え方に出会う。
最初から学習経路を一本に決めているわけではありません。
どこから入ってもいいし、途中で別のものへ移ってもいい。
その日の目的に合わせて一つを使うことも、興味のままにいくつものアプリを行き来することもできます。
「何があるのか」だけでなく、「なぜあるのか」
これから、manabisにある学びを一つずつ紹介していきます。
算数・数学では、計算、図形、素因数分解、正負の数。
国語では、漢字の読みや書き、熟語、特別な読み方、百人一首。
英語では、英単語やフレーズ。
理科では、知識を確かめる学習に加えて、実際に操作して試せる実験。
社会では、地理や都道府県、統計、ランキング、貿易、雨温図など、さまざまな角度から社会を見るための学習。
さらに、自由なものづくりやプログラミングもあります。
それぞれについて、
何を学べるのか。
どう使うのか。
そして、
なぜ、その形のアプリをつくったのか。
そこまで含めて紹介していきます。
同じ「無料の学習サイト」の中に、計算問題から実験、ものづくり、プログラミングまでが一緒に存在しているのは、少し変わって見えるかもしれません。
でも、私たちにとってはすべてつながっています。
子どもが何かを覚えること。
繰り返してできるようになること。
資料から考えること。
自分で試すこと。
失敗してやり直すこと。
知らなかったことに興味を持つこと。
そして、自分で「次はこれをやってみよう」と選ぶこと。
そのすべてを、manabisでは「学ぶ」という大きな言葉の中に置いています。
ここからは、その一つひとつを詳しく見ていきます。
計算――繰り返すからこそ、すぐ始められるようにする
算数の学習の中でも、計算は少し特殊です。
足し算の意味を理解したからといって、すべての足し算をすぐに正確に計算できるようになるわけではありません。引き算、掛け算、割り算も同じです。
仕組みを理解することと、実際に計算できることの間には、ある程度の練習が必要です。
だから計算については、manabisでもかなり素直に、何度も計算するための場所をつくっています。
計算練習アプリ「カルク」です。
足し算・引き算・掛け算・割り算を、必要なだけ練習する
カルクでは、足し算、引き算、掛け算、割り算の計算問題に取り組めます。
一口に足し算といっても、1桁+1桁と3桁+3桁では必要な力が違います。
引き算にも、繰り下がりのない簡単なものから、桁数が増えて慎重に計算しなければならないものまであります。
掛け算や割り算にもさまざまな組み合わせがあります。
そのため、「計算」という一つの大きな練習にまとめるのではなく、数の大きさや計算の種類によって問題を分けています。
まだ簡単な計算を練習したい子もいれば、大きな数の計算に挑戦したい子もいるからです。
学校で習っているところに合わせてもいいですし、自分が苦手だと感じている計算だけを選んで練習しても構いません。
計算問題は、一度解いて終わりではない
計算練習には、どうしても反復があります。
たとえば「7+8」を一度正解したからといって、それだけで足し算を十分に習得したとは言えません。
数字が変われば、また考える必要があります。
何度も計算しているうちに、最初は指を使っていたものが頭の中で処理できるようになる。途中の計算を書かなければ難しかったものが、少しずつ速くなる。
そうした変化は、一問の難しい問題を解くこととは別の種類の学びです。
そのためカルクでは、同じプリントを何度も印刷するような形ではなく、その場で次々と計算問題に取り組めることを大切にしています。
Web上で問題をつくる利点の一つは、問題を使い切らないことです。
「この問題は前にも見たから答えを覚えている」ではなく、条件に応じて違う数字の計算に繰り返し挑戦できます。
簡単な問題をたくさん解くことにも意味がある
学習というと、少しずつ難しい問題へ進んでいくことが重要だと思われがちです。
もちろん、できることを増やすためには難しい問題へ進む必要があります。
一方で、すでにできる計算を繰り返すことにも意味があります。
1桁の足し算を素早く処理できることは、その後の筆算にもつながります。
九九をすぐに思い出せれば、大きな数の掛け算や割り算をするときにも余計な負担が減ります。
基礎的な計算をするときに頭の中で多くの力を使わなくなれば、その先の問題を考えることに力を使えるようになります。
だからmanabisでは、「簡単だから価値がない」とは考えていません。
今の自分に必要な計算を、必要なだけ繰り返せることを重視しています。
間違えることも、計算練習の一部
計算をたくさんすると、当然間違えることもあります。
入力を間違えることもあれば、繰り上がりや繰り下がりを間違えることもあります。
割り算で商を一つ大きく考えてしまうこともあるでしょう。
大切なのは、間違えないことだけではありません。
「あれ、違った」と気づいて、もう一度計算する。
その繰り返しも計算練習です。
紙のプリントでは、答え合わせをするまで間違いに気づかないことがありますが、Web上の計算練習では、その場で結果を確かめながら次へ進めます。
一人で計算練習をするときにも使いやすいようにしています。
「今日は計算だけ」でも十分な家庭学習になる
家庭学習で毎日いろいろな教科をやる必要はありません。
今日は計算だけ。
そんな日があってもいいと思います。
10問だけ解く日があってもいいし、調子がよければ100問、200問と続けてもいい。
特に計算は、始めるまでの準備が少ない学習です。
manabisを開いてカルクを選び、一問目を解く。
それだけで始められます。
「今日は何を勉強しよう」と迷ったとき、とりあえず計算から始めるという使い方もできます。
逆に、計算を始めてみたけれど今日は気分が乗らないと思えば、別の学習へ移っても構いません。
計算力を競うためだけのアプリにはしない
計算ゲームには、速さを競うものもたくさんあります。
速く正確に計算できることは一つの力です。
しかし、すべての子どもが速さを競うことを楽しめるわけではありません。
じっくり考えたい子もいます。
同じ問題数でも、短時間で終わる日と時間がかかる日があります。
manabisでは、他の子より速いことだけを計算学習の価値にはしていません。
昨日よりできるようになった。
前は難しかった桁数の計算ができた。
今日はたくさん取り組めた。
そうした一人ひとりの積み重ねも大切です。
計算は、manabisの中ではとても「勉強らしい」学習です。
問題があり、答えがあり、正解と不正解があります。
このあと紹介する実験やものづくりとは、かなり性格が違います。
それでもmanabisに計算を置いているのは、繰り返すことで身につく力には、繰り返せる場所が必要だからです。
難しい仕掛けを加えることよりも、必要なときにすぐ開き、足し算、引き算、掛け算、割り算を何度でも練習できる。
計算については、そのシンプルさそのものに価値があると考えています。
図形――同じ公式でも、同じ図形ばかり見せたくない
図形の問題では、「公式を覚えているか」だけではなく、図を見て、どの長さや角度に注目すればよいのかを考えることが大切です。
たとえば三角形の面積は「底辺×高さ÷2」で求められます。
公式そのものは覚えていても、三角形の向きが変わったり、高さが図形の外側に示されたりすると、急に分からなくなることがあります。
長方形、正方形、平行四辺形、台形、ひし形、円、扇形。さらに、複数の形を組み合わせた複合図形や、直方体、立方体、三角柱、円柱、円錐といった立体図形。
形が変われば、見るべきところも変わります。
そこでmanabisの図形問題では、決まった画像を何枚も用意するのではなく、問題に合わせて図形そのものを画面上に描画する仕組みを使っています。

長方形や正方形から、「何を求めるのか」を考える
長方形や正方形は、小学校の図形学習でも早い段階から登場します。
縦と横の長さから面積を求める。
一辺の長さから正方形の面積を求める。
周りの長さを求める。
ここまでは基本的な問題です。
しかし、面積が分かっていて一辺の長さを求めたり、周りの長さから辺の長さを考えたりすれば、同じ長方形でも考える方向が変わります。
公式に数字を当てはめるだけではなく、分かっているものと、求めたいものの関係を考える練習になります。
三角形・平行四辺形・台形では「高さ」を見る
三角形や平行四辺形の面積を求めるとき、重要になるのが高さです。
ところが、高さはいつも図形の中に分かりやすく描かれているとは限りません。
図形が傾けば、斜めの辺を高さだと思ってしまうこともあります。
三角形では、底辺に対してどこが高さになるのか。
平行四辺形では、斜辺の長さと高さは別のものだということ。
台形なら、上底と下底、そして高さの関係を見る必要があります。
図形の向きが変わっても、「この公式だからこの数字」という覚え方ではなく、どの長さが何を表しているのかを見る習慣をつけてほしいと考えています。
ひし形、円、扇形まで扱う
ひし形の面積では、2本の対角線を使います。
円では、半径と直径の関係から、円周や面積を考えます。
円周率は3.14として計算します。
さらに扇形になると、半径だけではなく中心角も関係してきます。
弧の長さを求める。
扇形の周りの長さを求める。
面積を求める。
条件によっては中心角を考える。
同じ円をもとにした図形でも、何を求めるかによって必要な考え方が変わります。
「扇形の面積」「扇形の弧の長さ」「扇形の中心角」といった問題を別々の知識として覚えるのではなく、円全体のうち、どのくらいの割合なのかという関係を意識できることが大切です。
複合図形では、一つの形として見ない
長方形や正方形の面積を求められても、それらを組み合わせた図形になると難しく感じることがあります。
そんな複合図形では、複雑な形をそのまま理解しようとするのではなく、
「ここで二つに分けられないか」
「大きな長方形から、この部分を引けないか」
と考えます。
これは図形だけに必要な力ではありません。
複雑なものを、分かるものに分解して考える。
この考え方は、後で紹介するMAKEやCODEにもつながっています。
平面図形の次には、立体図形がある
図形問題では、平面図形だけでなく立体図形も扱っています。
直方体、立方体、三角柱、円柱、円錐などです。
体積を求める問題では、底面積と高さの関係を考えます。
表面積を求める問題では、外側をつくっている面を一つずつ考える必要があります。
特に表面積は、画面に見えている部分だけを足せばよいわけではありません。
立体の裏側や底面にも面があります。
三角柱なら三角形と長方形、円柱なら二つの円と側面というように、立体を構成している平面図形へ一度分解して考えることになります。
平面図形で学んだ面積が、立体図形の表面積や体積へつながっていきます。
数字だけ変えた問題にはしたくなかった
図形の練習問題をたくさん用意しようとすると、一つの図を使って数字だけを変える方法があります。
それでも計算の練習にはなります。
しかし、それでは「この場所に書かれている数字を、この公式に入れればいい」と覚えてしまうことがあります。
manabisでは、問題に応じてSVGで図形を描画しています。
辺の長さや高さが変わるだけでなく、図形の見え方も変わります。必要に応じて図形が回転することもあります。
大切なのは、いつも同じ位置にある数字を探すことではありません。
図を見て、条件を読み取ることです。
図形は「公式を覚える学習」で終わらない
もちろん、面積や体積を求めるためには公式を覚える必要があります。
三角形の面積。
平行四辺形の面積。
台形の面積。
円の面積。
円柱や円錐の体積。
しかし、公式を知っていることと、図形問題を解けることは同じではありません。
どの図形なのか。
何が分かっているのか。
何を求めるのか。
どの長さを使うのか。
一つの形に分けて考えられないか。
そうやって図を読み、自分の持っている知識の中から使えるものを選ぶところに、図形問題の面白さがあります。
だからmanabisの図形問題も、同じ図と同じ問いを覚えるためのものではなく、少しずつ条件の違う図形に何度も出会うための場所としてつくっています。
素因数分解――答えを選ぶのではなく、自分で組み立てる
「12を素因数分解しなさい」と言われたら、
12=2×2×3
さらに同じ素数を指数を使ってまとめれば、
12=2²×3
と表すことができます。
素因数分解は、中学校の数学で学習する内容です。
考え方そのものはそれほど複雑ではありません。しかし、実際に自分で素因数分解しようとすると、「まだ割れるのか」「どの素数で割ればいいのか」「同じ素数がいくつあるのか」と、一つずつ判断しなければなりません。
そこでmanabisの素因数分解では、答えを選択肢から選ぶのではなく、素数と指数を自分で組み合わせて答えをつくる形にしています。
そもそも「素数」とは何だろう
素因数分解を理解するには、まず素数を知る必要があります。
素数とは、1より大きい整数のうち、1とその数自身以外では割り切れない数です。
2、3、5、7、11、13……と続きます。
たとえば12は素数ではありません。
2で割れば6になり、その6も2で割れば3になります。
つまり、
12=2×2×3
です。
これ以上分解すると、残っている2と3はすべて素数です。
このように、ある自然数を素数の積として表すことが素因数分解です。
素因数分解の問題をたくさん解くと、自然に「この数は2で割れそう」「これは3の倍数だ」「5では割れない」といった数の見方も必要になります。
単に一つの単元を終わらせるためだけではなく、数がどのような数の組み合わせでできているのかを見る学習でもあります。
選択肢から「それらしい答え」を探さない
オンラインの学習問題では、4つ程度の選択肢から正解を選ぶ形式がよく使われます。
採点しやすく、操作も簡単です。
しかし素因数分解では、選択肢を見せることで、本来考えてほしいことの一部を先に教えてしまうことがあります。
たとえば、
「120を素因数分解しなさい」
という問題に対して、
- 2³×3×5
- 2²×3×5
- 2³×3²×5
- 2×3×5
という選択肢が表示されていたらどうでしょう。
自分で120を最後まで分解しなくても、「この中ならこれかな」と比較して答えることができます。
それも問題を解く一つの方法ですが、manabisでは別の形にしました。
画面に用意された素数や指数を使って、
自分で答えを組み立てます。
たとえば120なら、自分で考えて、
2³×3×5
という形をつくります。
答えそのものを最初から見せないことで、最初から最後まで自分で素因数分解する必要があります。
指数まで自分で考える
素因数分解では、同じ素数が何度も現れることがあります。
たとえば360なら、
360=2×2×2×3×3×5
です。
これを指数を使えば、
360=2³×3²×5
と表せます。
ここでは、「2がある」「3がある」「5がある」と分かるだけでは足りません。
2はいくつあるのか。
3はいくつあるのか。
それぞれ数え、指数として表す必要があります。
manabisでは、こうした指数も含めて自分で答えをつくります。
素数を見つけることと、同じ素数が何個あるかを整理することを一つの問題の中で行います。
掛ける順番が違っても、同じ数なら同じ答え
数学では、
2³×3²×5
と、
5×3²×2³
は同じ数を表しています。
掛け算では順番を入れ替えても結果は変わらないからです。
そのためmanabisでも、素因数を入力した順番だけを見て正誤を判定するのではなく、数学的に同じ素因数分解になっているかを判定します。
決められた文字列をそのまま再現することが目的ではありません。
答えを構成している素数と指数が正しいことが重要です。
Web上で数学問題をつくるからこそ、見た目の一致ではなく、その答えが意味しているものを判定できるようにしたいと考えました。
初級・中級・上級で、数の構造が変わる
素因数分解に慣れていない段階では、いきなり多くの素因数が現れると複雑に感じます。
そこで、manabisでは難易度によって、答えを構成する素因数の種類を変えています。
初級では、一種類の素数を中心に考えるところから始めます。
中級では二種類。
上級では三種類以上の素数を組み合わせた数も登場します。
数そのものも最大5000まで扱います。
ただ数字を大きくするだけではなく、その数がどれくらい複雑な素因数の組み合わせになっているかによって難しさを変えています。
最初は「何で割ればいいのか」が分からなかったものが、繰り返しているうちに少しずつ数の特徴を見つけられるようになります。
素因数分解は、数を「分解して見る」学習
素因数分解の面白いところは、一見するとただの一つの整数だったものが、分解すると別の姿を見せることです。
12は、2²×3。
100は、2²×5²。
360は、2³×3²×5。
数字だけを見ていたときには分からなかった構造が、素因数分解すると見えてきます。
中学校では、この考え方を使って最大公約数や最小公倍数を考えることもあります。
だからmanabisの素因数分解も、「正解の形を覚える」ためのアプリにはしていません。
どの素数で割れるのかを考える。
まだ分解できるか確かめる。
同じ素数を整理する。
指数を使って表す。
そして、自分で答えを組み立てる。
一つの数を、小さな要素へ分けながらその構造を見つけていく。
素因数分解では、その過程そのものを何度も練習できるようにしています。
正負の数――「マイナス」が入った計算に慣れる
中学校の数学に入ると、それまでの算数ではほとんど扱ってこなかった数が本格的に登場します。
「-3」「-8」のような負の数です。
正の数と負の数という考え方そのものは、それほど難しく感じないかもしれません。
気温が0℃より3℃低ければ-3℃。基準より5小さいものを-5と表す。数直線では0を境に正の数と負の数が反対側へ並ぶ。
ところが、実際に正負の数の計算が始まると、
「マイナスとマイナスだからプラス?」
「引くマイナスって何だっけ?」
「掛け算の符号はどうなる?」
と混乱することがあります。
正負の数では、計算そのものに加えて、符号をどう扱うかを判断する必要があるからです。
manabisでは、この正負の数の計算を繰り返し練習できるようにしています。
まずは、正の数と負の数が混ざった加法・減法から
たとえば、
3+(-5)
という式があります。
答えは-2です。
では、
-3+5
ならどうでしょう。
今度は2になります。
数字だけを見ると、どちらも3と5を使っています。しかし、どちらが正でどちらが負なのかによって結果は変わります。
さらに、
-3-5
や、
3-(-5)
となれば、また違う計算になります。
正負の数を学び始めたばかりのころは、数字の計算よりも符号に迷って時間がかかることがあります。
だから初級では、まず2つの数を使った加法・減法から取り組みます。
複雑な式へ急ぐのではなく、
正の数と負の数を見て、どちらの方向へ数が動くのか。
その感覚と計算方法を繰り返し確かめます。
乗法・除法では「符号の組み合わせ」も考える
正負の数の掛け算や割り算では、符号について別のルールが加わります。
正×正は正。
正×負は負。
負×正も負。
負×負は正。
割り算でも同じように符号を判断します。
ルールを覚えた直後なら答えられても、加法や減法と混ざると間違えてしまうことがあります。
そこで中級では、加法・減法だけでなく乗法・除法も加わります。
さらに、2つの数だけではなく、3つの数を使う計算も出てきます。
ここでは単に左から数字を処理するだけではいけません。
掛け算や割り算を先に計算するなど、計算の順序も同時に判断する必要があります。
正負の数という一つの単元の中で、算数で学んできた計算の決まりも改めて使うことになります。
括弧が入ると、式全体を見る必要がある
上級では、3つの数を使い、括弧を含む式にも取り組みます。
括弧がある式では、
「どこから計算するのか」
を考えなければなりません。
正負の数の符号だけに注意していても、計算する順番を間違えれば正しい答えにはなりません。
符号を見る。
括弧を見る。
掛け算や割り算があるかを見る。
計算の順序を決める。
そして実際に計算する。
式が少し複雑になるだけで、一度に確認することが増えていきます。
これは正負の数の計算問題であると同時に、式全体を見て処理する順序を考える練習でもあります。
「-」には違う役割がある
正負の数で混乱しやすい理由の一つに、「-」という記号があります。
たとえば、
-5
の「-」は、その数が負の数であることを表しています。
一方、
7-5
の「-」は、引き算を表しています。
見た目は同じ記号ですが、式の中で果たしている役割は同じではありません。
正負の数の計算に慣れてくると、
「負の数としてのマイナスなのか」
「引き算としてのマイナスなのか」
を式の中で自然に読み分けられるようになっていきます。
これも、説明を一度読んだだけで完全に身につくとは限りません。
実際の式を何度も見て、計算する経験が必要です。
正数には、必要以上の括弧をつけない
数学の教科書では、正負の数を学び始めると、
(+3)
(-5)
のように括弧と符号を明示して説明することがあります。
考え方を理解するうえでは分かりやすい表現です。
しかし、実際の数学では正の数を毎回(+3)とは書きません。
3と書けば十分です。
manabisでも、正数については必要のない括弧を省略しています。
学習のためだけにつくられた特殊な表記に慣れるのではなく、実際に数学で使われる式を読めるようになることも大切にしています。
正負の数は、分かったあとに「慣れる」時間が必要
正負の数の加法や減法、乗法や除法には、それぞれ計算の考え方があります。
授業で説明を聞いて、
「なるほど」
と思うことはできます。
しかし、理解した直後にどんな正負の数の計算でも迷わず解けるとは限りません。
符号を間違えた。
計算の順番を間違えた。
括弧を見落とした。
単純な計算ミスをした。
実際に問題を解いてみると、いろいろなところで間違えます。
そこで、もう一問やってみる。
また違う数字で計算する。
今度は符号に注意する。
少しずつ複雑な式へ進む。
そうして繰り返すうちに、最初はいちいち思い出していたルールを自然に使えるようになっていきます。
manabisの正負の数も、そのための練習場所です。
答えを選択肢から探すのではなく、自分で計算して整数の答えを入力します。
中学1年生で正負の数を初めて学ぶときにも、一度学習した正負の数の計算を復習するときにも使えます。
「マイナスがあるから難しそう」と感じていた式が、何問も解いているうちに普通の計算に見えてくる。
正負の数では、考え方を理解することと同じくらい、実際の式に何度も触れて慣れていくことを大切にしています。
漢字――書くだけが漢字学習ではない
漢字の勉強というと、漢字ドリルやノートに同じ文字を何度も書く練習を思い浮かべる人も多いと思います。
もちろん、実際に漢字を書くことは大切です。
しかし、漢字を使えるようになるために必要なのは、「形を覚えて書けること」だけではありません。
漢字を見て読めること。
言葉の中でどのように使われるのかを知ること。
同じ漢字に複数の読み方があることを知ること。
二つ以上の漢字が組み合わさった熟語を読めること。
そして、ときには一文字ずつの一般的な音読み・訓読みだけでは説明しにくい読み方にも出会います。
manabisでは、漢字を一つの方法だけで覚えるのではなく、読む、書く、言葉として捉えるといった複数の方向から触れられるようにしています。
漢字を見て、自分で読みを思い出す
漢字の読み方を覚えるとき、答えを見れば「知っていた」と感じることがあります。
しかし、答えを隠して漢字だけを見ると、なかなか読み方が出てこないことがあります。
「見れば分かる」と「自分で思い出せる」は同じではありません。
そこでmanabisの漢字学習では、漢字を見て、その読みを自分で考える練習ができます。
選択肢の中から正しそうなものを探すのではなく、読み方そのものを思い出す。
思い出せなければ間違える。
そして、また別の機会に同じ漢字と出会う。
漢字の読み問題や漢字クイズを繰り返す意味は、単に正解数を増やすことではなく、頭の中から必要な読みを取り出す経験を重ねることにあります。
一つの漢字に、一つの読み方しかないわけではない
日本語の漢字学習を難しくしているものの一つが、一つの漢字に複数の読み方があることです。
音読みと訓読みがあり、同じ漢字でも使われる言葉によって読み方が変わります。
たとえば、漢字一文字だけを見て読み方を一つ覚えても、それだけですべての言葉を読めるようにはなりません。
だから漢字は、文字単体だけではなく、実際の語彙の中でも触れていく必要があります。
熟語を読む。
送り仮名のついた言葉を読む。
どんな言葉の中でその読み方になるのかを見る。
そうすることで、漢字と読み方と言葉が少しずつ結びついていきます。
manabisでも、単なる漢字一覧を覚えるのではなく、漢字を実際の日本語の中で使われる文字として学べることを大切にしています。
書き取りでは「分かる」と「書ける」の違いが見える
読み方が分かる漢字でも、いざ自分で書こうとすると出てこないことがあります。
「あの漢字だということは分かるのに、形が思い出せない」
これは漢字学習ではよく起こります。
漢字を見て読むときには、目の前に答えとなる文字があります。
しかし書き取りでは、自分の頭の中から文字の形を取り出さなければなりません。
そのため、漢字の読み練習と書き取り練習には、それぞれ違った意味があります。
読むことが得意でも書くことが苦手な子もいますし、その逆もあります。
「漢字ができる・できない」と一つにまとめるのではなく、今どの部分を練習しているのかを分けて考えることも大切です。
熟語になると、漢字は「言葉」になる
漢字を一文字ずつ覚えているだけでは、日本語を十分に使えるようにはなりません。
実際の文章では、漢字が組み合わさった熟語がたくさん使われています。
それぞれの漢字を知っていても、組み合わさった熟語の意味や読み方を知らなければ、文章の中で理解できないことがあります。
反対に、知っている漢字同士が組み合わさった言葉なら、
「この漢字とこの漢字だから、こんな意味かもしれない」
と推測できることもあります。
熟語の学習には、読み方を覚えるだけではなく、漢字同士の関係から言葉を捉える面白さがあります。
漢字を文字として覚えるところから、語彙として使うところへ。
学年が上がるほど、このつながりは重要になっていきます。
「今日」や「大人」は、一文字ずつ読んでも分からない
漢字の読み方を学んでいると、音読みや訓読みの規則だけではうまく説明できない言葉にも出会います。
たとえば、
「今日」
「大人」
といった言葉です。
「今日」を「きょう」、「大人」を「おとな」と読むことは、多くの人が日常的に知っています。
しかし、一文字ずつ通常の読み方を当てはめても、この読み方にはなりません。
日本語には、このように二字以上の漢字の組み合わせ全体に読み方が対応する熟字訓や、慣用的に使われてきた特別な読み方があります。
manabisの「Yomi漢」では、こうした読み方も学習対象にしています。
一般的な音読み・訓読みだけを覚えて「漢字の読み方は終わり」にするのではなく、日本語の中で実際に使われている少し特別な読み方にも触れられるようにしています。
読みを入力するから、選択肢に助けてもらえない
漢字の読み問題で、
「この漢字の読み方はどれですか」
と四つの選択肢が出ていれば、完全に覚えていなくても答えられることがあります。
「これは違う」「こっちも違う」と消去していけば、残ったものから正解を選べるからです。
それに対して、読み方を自分で入力する場合には、自分の中から答えを出す必要があります。
Yomi漢では、50音から文字を選びながら読みをつくります。
知っているつもりだった読み方が、本当に自分で出せるのか。
そこを確かめられます。
答えを思い出す。
文字を選ぶ。
間違えたら確認する。
そして、また別の問題へ進む。
漢字の読みを覚えるためには、見るだけではなく、何度も自分から思い出そうとすることが大切だと考えています。
漢字は、一度覚えて終わるものではない
小学校から中学校へ進むにつれて、学習する漢字は増えていきます。
しかも、新しい漢字を覚えるだけではありません。
以前に習った漢字が新しい熟語の中に現れたり、別の読み方で使われたりします。
だから漢字学習は、「一度覚えたら終了」というものではありません。
読む。
書く。
熟語で出会う。
文章の中で使う。
忘れたら、また思い出す。
その繰り返しです。
manabisでも、漢字をただ何回も書かせることだけを漢字練習とは考えていません。
漢字を読めること、書けること、言葉として知っていること、そして必要なときに思い出せること。
さまざまな方向から同じ漢字に出会えることが、漢字を本当に使えるようになるための学習につながると考えています。
英単語・英語――答えを見るのではなく、自分で思い出してつくる
英単語を覚えるとき、単語帳を何度も眺める方法があります。
英語を見て日本語の意味を確認する。日本語を見て英単語を確認する。それを何度も繰り返す。
見ることも、英単語を覚えるための大切な学習です。
しかし、単語帳を見ているときには「覚えた」と思っていたのに、テストで日本語だけを見たら英単語が出てこなかった、ということがあります。
答えを見れば分かることと、何もないところから自分で思い出せることは同じではありません。
manabisの英単語学習では、英単語を見て覚えるだけではなく、自分で文字を選んで答えをつくることを大切にしています。
日本語を見て、英単語を自分でつくる
たとえば、「りんご」という意味を見て、
apple
という英単語を答えるとします。
4択問題なら、
apple
orange
book
school
のような選択肢から正解を探すことができます。
appleを完全に思い出せなくても、「orangeはオレンジ」「bookは本」「schoolは学校」と分かれば、消去法で正解できます。
しかし、実際に英単語を書かなければならない場面では、選択肢はありません。
「りんご」という意味から、
a、p、p、l、e
という文字を自分で思い出す必要があります。
manabisの英単語アプリでは、画面に並んだ文字を使いながら英単語を入力します。
どの文字から始まるのか。
次は何の文字なのか。
同じ文字が何回必要なのか。
最後まで自分で組み立てて、初めて一つの単語になります。
英単語タイピングにも「思い出す」過程がある
英単語を入力する学習には、単にキーボード操作に慣れる以上の意味があります。
英単語のスペルを覚えるためには、
「appleという単語を知っている」
だけでは足りません。
aから始まり、pが二つ続き、そのあとにl、eと並ぶ。
文字の順番まで思い出さなければ、正しく入力できません。
英単語をタイピングすることで、単語を一つの形として眺めるだけではなく、どの文字がどの順番で並んでいるのかを一文字ずつ確認することになります。
間違えて入力すれば、「どこを覚え違えていたのか」にも気づきます。
意味は分かっていたけれどスペルが違った。
最初の文字は合っていたけれど途中が分からなくなった。
似た単語と混同していた。
英単語練習を繰り返していると、「英単語が苦手」という一言だけでは分からなかった、自分が間違えやすいところも見えてきます。
分からないときには、ヒントを使ってもいい
何度考えても英単語が出てこないこともあります。
そんなとき、ずっと同じ問題の前で止まり続ける必要はありません。
manabisの英単語学習にはヒントがあります。
ただし、最初から答えを全部見せるためのものではありません。
どうしても分からないときに少し助けてもらい、そこから続きを自分で考える。
それでも分からなければ、もう少し助けてもらう。
大切なのは、ヒントを使わなかったことではなく、最終的にその単語ともう一度向き合うことです。
分からなかった英単語を確認して、次に出てきたときには自分で答えてみる。
最初はヒントが必要だった単語が、繰り返すうちにヒントなしで入力できるようになる。
その変化も学習です。
一度正解したから「覚えた」とは限らない
英単語学習で難しいのは、覚えたものを忘れることです。
今日覚えた単語でも、数日後には思い出せないことがあります。
これは特別なことではありません。
だから英単語は、一度正解したかどうかだけではなく、何度も出会うことが必要です。
見る。
思い出す。
入力する。
間違える。
確認する。
また思い出す。
この繰り返しによって、少しずつ必要なときに取り出せる言葉になっていきます。
manabisでは、英単語を「一回正解したら終わり」にするのではなく、繰り返し取り組めるようにしています。
英単語の覚え方にはさまざまな方法がありますが、その中でも自分の頭から答えを取り出す機会をたくさんつくることを重視しています。
単語だけでなく、英語をまとまりとして見る
英語は、英単語をたくさん覚えればそれだけで使えるようになるものではありません。
実際に英語を使うときには、単語と単語がつながります。
一つひとつの単語の意味が分かっていても、それがどんな順番で並ぶのか、どんな表現として使われるのかが分からなければ、英文として理解したり表現したりすることはできません。
そこでmanabisでは、英単語だけではなく、英語のフレーズにも触れられるようにしています。
短い英語のまとまりに何度も触れることで、
「この場面では、こういう言い方をする」
「この単語は、こんな言葉と一緒に使われる」
という形で英語を捉えることができます。
単語を一個ずつ孤立して覚える学習と、複数の単語が組み合わさった英語表現に触れる学習。
どちらか一方ではなく、両方を行き来することで、覚えた英単語が実際の英語へつながっていきます。
小学生でも中学生でも、自分の知っているところから
英語を学び始める時期や、すでに知っている英単語の数は一人ひとり違います。
小学生のうちからたくさんの英語に触れている子もいれば、中学校に入ってから本格的に英単語を覚え始める子もいます。
大切なのは、「この学年だから、この単語まで覚えていなければならない」と確認することだけではありません。
今、自分がどの英単語なら分かるのか。
どの単語は意味だけ分かるのか。
どの単語ならスペルまで自分で入力できるのか。
実際に問題をやってみれば、それが見えてきます。
知っている単語なら答える。
分からなければ考える。
必要ならヒントを使う。
間違えたら、そこで一つ覚える。
そしてまた次の英単語へ進む。
英単語を覚えることは、知らない言葉を一つずつ、自分が使える言葉へ変えていく作業です。
manabisの英単語・英語学習も、答えを眺めて「覚えたつもり」になるのではなく、自分で思い出し、自分で入力し、何度も英語に触れるための場所としてつくっています。
理科――知識を確かめながら、現象を見るための土台をつくる
理科には、覚えることがたくさんあります。
植物のつくり、昆虫の成長、天気、電気、磁石、光、音、力、物質、人体、地層、天体。
小学校から中学校へ進むにつれて、扱う内容も増え、身の回りの現象をより細かく説明するための言葉や法則も登場します。
一方で、理科は「用語をたくさん暗記する教科」だけではありません。
なぜ、そうなるのか。
条件を変えると、どうなるのか。
目の前で起きている現象を、これまでに知ったことを使ってどう説明できるのか。
そうやって自然の中にある仕組みを考えていくところに、理科の面白さがあります。
manabisでは、理科についても一つの学び方だけを用意するのではなく、知識を確かめる学習と、自分で操作して確かめる学習の両方をつくっています。
ここではまず、理科の問題に取り組む学習について紹介します。実際に操作する理科実験「LABO」については、後の章で詳しく紹介します。
知っていることを、問題の中で使ってみる
理科の授業を受けたり、教科書を読んだりすると、さまざまな知識に出会います。
そのときには分かったつもりでも、少し時間が経ってから問題を出されると答えられないことがあります。
反対に、言葉そのものは覚えていても、別の聞き方をされると分からなくなることもあります。
だから、学んだ内容について問題を解いてみることには意味があります。
「この言葉を知っていますか」と確認するだけではなく、
ある現象について説明されたときに、どの知識と関係しているのかを考える。
いくつかの特徴から、何について説明しているのかを判断する。
似たものの違いを見分ける。
問題を解くことで、覚えた知識を頭の中から取り出して使う機会が生まれます。
短い問題だから、繰り返し触れられる
manabisの理科学習には、短い文章を読んで答える「TEXtTEXt」があります。
長い解説を最初から最後まで読む学習とは少し違います。
短い文章から必要な情報を読み取り、それに対応する答えを考える。
一問が短いので、少しだけ理科を勉強したいときにも始められます。
一方で、何問も続ければ、さまざまな内容に次々と触れることができます。
理科の自主学習をしたいけれど、今日は何をすればいいか決まっていない。
そんなときに、とりあえず問題を始めてみる使い方もできます。
問題を解いている途中で、
「これ、何だったかな」
というものが出てきたら、そこが今の自分にとって確認する価値のあるところです。
間違えた問題は、「知らなかったこと」を見つけた問題
理科の問題を解くと、当然間違えることがあります。
でも、学習中の間違いは悪いものではありません。
むしろ、
「ここを勘違いしていた」
「この言葉を忘れていた」
「似たものと混ざっていた」
ということが分かります。
全部正解できる問題だけを続けていれば気持ちはいいかもしれませんが、自分が知らないところを見つけることはできません。
問題を解く。
間違える。
正しい内容を確認する。
次に出てきたとき、もう一度考える。
理科の知識も、こうした繰り返しの中で少しずつつながっていきます。
小学校の理科と中学校の理科は、途中で切れているわけではない
小学校で学んだ理科は、中学校へ進むと突然別の教科になるわけではありません。
小学校で観察した植物や生き物。
電気や磁石。
水や空気。
天気。
ものの溶け方。
振り子やてこ。
そうした学習が、中学校ではより詳しい仕組みや法則へつながっていきます。
小学生のときには「こういう現象が起きる」と観察したものを、中学生になると「なぜそうなるのか」というところまで考えることもあります。
だから、以前に習った内容へ戻ることにも意味があります。
中学生が小学校の理科を復習してもいい。
小学生が興味を持って少し先の内容に触れてもいい。
manabisは学校の授業そのものではないので、学年の境界よりも、自分が今知りたいことや確認したいことを入口にできます。
理科には「問題を解くだけでは分かりにくいこと」もある
ここまで書いてきたように、理科の問題を解くことには大きな意味があります。
知識を思い出す。
似たものを区別する。
覚えていないところを見つける。
学んだことを確認する。
しかし、理科にはそれだけでは十分ではない内容もあります。
たとえば、てこです。
「支点からの距離と重りの重さが関係する」と文章で読んで覚えることはできます。
問題を何問も解いて、計算できるようになることもできます。
でも、
「この重りをこっちへ動かしたらどうなるだろう」
「同じ重さなのに、置く場所を変えたらどうして傾いたんだろう」
と実際に動かしてみると、問題を解くときとは違う気づきがあります。
ゴムの力についても同じです。
文章で「ゴムを長く伸ばすとどうなるか」を覚えるだけでなく、自分で条件を変えて車を走らせ、結果を比べることができます。
理科は、知ることと、確かめることが行き来する教科です。
だからmanabisでも、理科をすべてクイズや問題だけにしようとは考えませんでした。
問題で知識を確かめ、実験で「本当に?」を試す
理科の問題を解いていて、
「そうなるんだ」
と知る。
そこから、
「本当にそうなるのかな」
と思う。
実際に試してみる。
予想と同じ結果になることもあれば、思っていたのと違うこともある。
その結果を見て、もう一度考える。
こうして、問題で学ぶことと実験することはつながります。
もちろん、Web上ですべての理科実験を再現できるわけではありません。実物を観察したり、本物の実験器具を使ったりする経験には、それ自体の価値があります。
manabisだけで理科学習のすべてを完結させようとは考えていません。
教科書を読むことも、授業を受けることも、本物を観察することも、実際に実験することも大切です。
その中でmanabisは、知識を確かめたいときには問題を解けて、実際に動かして考えたいものについては操作できる。
そんな理科の学習場所を目指しています。
理科を「覚えなければならない言葉の集まり」にするのではなく、身の回りで起きていることについて、
「なぜだろう」「本当にそうなるのかな」
と考えるための知識を少しずつ増やしていく。
理科の問題を解くことも、そのための大切な土台の一つです。
社会――知識を点で覚えるのではなく、つながりを見つける
社会の学習には、覚えることがたくさんあります。
都道府県の名前や位置、県庁所在地、農産物や工業、国の名前、人口や面積、貿易、地形、気候、歴史上の人物や出来事。
テストに向けて勉強するときには、こうした言葉や数字を一つずつ覚えることも必要です。
しかし、社会の面白さは、それぞれの知識がつながったときに大きくなります。
「この地域では、なぜこの農産物が多いのだろう」
「人口が多い都道府県は、どこに集まっているのだろう」
「日本は、どの国から何を輸入しているのだろう」
「同じ日本なのに、どうして冬の降水量がこんなに違うのだろう」
一つの事実から「なぜ?」が生まれ、その答えを探すために別の資料を見る。
社会では、そうした知識と知識のつながりを見つけることが大切だと考えています。
社会の問題を解いて、知識を確かめる
manabisでは、理科と同じように社会についても問題を解きながら学習できます。
教科書で習ったことを覚えているか確かめる。
知らない内容に出会う。
似た言葉を区別する。
間違えたら正しい内容を確認する。
社会の学習では、まず知識を持っていることが必要になる場面がたくさんあります。
北海道が日本のどこにあるのかを知らなければ、北海道の気候について考えることは難しくなります。
日本がどんなものを輸入しているのかを知らなければ、日本の産業と世界とのつながりについて考える材料も少なくなります。
だから、知識を覚えること自体を否定する必要はありません。
大切なのは、覚えたところで終わらせないことです。
地理は「場所と名前」を覚えて終わりではない
小学校の社会では、都道府県の名前や位置を学びます。
47都道府県を覚えることは、日本地理を学ぶための大切な土台です。
でも、都道府県の名前を全部言えるようになったところが、地理学習の終点ではありません。
その県には、どんな地形があるのか。
どんな気候なのか。
どんな農産物がつくられているのか。
どんな工業が盛んなのか。
人口はどのくらいなのか。
面積は広いのか狭いのか。
別の都道府県と比べると、どんな特徴があるのか。
場所と名前に、さまざまな情報が重なっていくことで、「神奈川県」「北海道」「長野県」といった名前が、単なる暗記した文字ではなくなっていきます。
manabisでは、社会の問題だけでなく、都道府県や統計を扱う学習も用意しています。
このあと、都道府県については一つの章を使って詳しく紹介します。
数字を並べると、見えてくるものがある
社会では、統計資料を読む機会がたくさんあります。
人口、面積、生産量、輸出額、輸入額。
一つの数字だけを見ても、その数字が大きいのか小さいのか分かりにくいことがあります。
ところが、複数の地域や国を並べてランキングにすると、関係が見えやすくなります。
「日本で一番面積が広い都道府県はどこだろう」
「人口が多いのは?」
「世界で面積の大きい国は?」
「この農産物の生産が多い地域は?」
ランキングというと、1位を覚えるためのもののように見えるかもしれません。
しかし、順位を眺めていると、
「1位だけ飛び抜けている」
「上位には同じ地方の県が多い」
「思っていた県が意外と下にいる」
といったことに気づきます。
そこから、
「なぜ、この順位になるのだろう」
という次の問いが生まれます。
manabisで統計やランキングを扱っているのは、順位そのものを暗記してほしいからだけではありません。
数字を比べることを、社会について考える入口にしたいからです。
グラフや資料を「読む」ことも社会の学習
社会の問題には、文章だけで答えるものばかりではありません。
地図を見る。
表を見る。
グラフを見る。
複数の資料を比較する。
そこから分かることを考える。
たとえば雨温図では、一年間の気温と降水量が一つのグラフに表されています。
都市名を暗記して雨温図と結びつけるだけなら、覚える学習で終わります。
しかし、
冬の降水量が多い。
夏と冬の気温差が大きい。
一年を通して温暖である。
降水量が少ない。
といった特徴を読み取れるようになれば、そこから地域の気候を考えることができます。
資料から情報を読み取る力は、社会だけで使うものでもありません。
数字やグラフを見て、「この資料から何が言えるのか」を考えることは、さまざまな場面につながります。
日本だけでなく、世界へ広げる
日本の47都道府県を比べると、同じ国の中にも大きな違いがあることが分かります。
さらに世界へ視野を広げれば、その違いはもっと大きくなります。
国によって面積も違う。
人口も違う。
気候も違う。
産業も違う。
日本との関わり方も違います。
世界の国々について学ぶときも、国名と首都を暗記するだけではなく、さまざまな数字や特徴を比較すると、その国の姿が少しずつ見えてきます。
manabisでは、日本の地理だけでなく、世界の統計やランキングにも触れられるようにしています。
「世界で一番はどこ?」
という単純な興味から始まっても構いません。
そこから2位、3位を見たり、日本がどのくらいの位置にいるのかを調べたりすれば、世界を見る尺度が一つ増えます。
社会には、調べれば調べるほど次の疑問がある
社会の面白いところは、一つのことを知ると、その周りに新しい疑問が生まれやすいことです。
ある都道府県で特定の農産物が多いと知った。
なぜ多いのだろう。
気候が関係しているのかもしれない。
では、その地域の雨温図はどうなっているのだろう。
港がある地域で工業が盛んだと知った。
なぜ港が必要なのだろう。
原料を海外から輸入しているのかもしれない。
では、日本はどの国から何を輸入しているのだろう。
こうして、
都道府県 → 統計 → 気候 → 産業 → 貿易 → 世界
と、最初は別々に見えていた学習がつながっていきます。
manabisの社会系アプリも、一つの巨大な社会教材として順番どおりに進ませるのではなく、それぞれの入口から社会を見られるようにつくっています。
問題を解いて知識を確かめる。
地図を見る。
数字を比べる。
ランキングを見る。
グラフを読む。
気になったことを、さらに調べる。
社会を学ぶことは、たくさんの言葉を覚えることだけではありません。
自分が暮らしている地域、日本、そして世界が、どのようにつながっているのかを少しずつ知っていくこと。
次の章からは、その中でも都道府県、世界の統計、日本の貿易、雨温図といった学びについて、さらに詳しく見ていきます。
都道府県――47個の名前を覚えて終わりにしない
小学校の社会で、日本地理を学ぶときに大きな山の一つになるのが47都道府県です。
北海道、青森県、岩手県……と名前を覚える。
地図を見て、それぞれがどこにあるのかを覚える。
県庁所在地も覚える。
もちろん、これらは日本地理を学ぶための大切な基礎です。
しかし、47都道府県の名前と場所を全部覚えたとしても、それだけでは日本について分かったことにはなりません。
北海道と沖縄県では気候が大きく違います。
東京都と鳥取県では人口が大きく違います。
長野県には海がなく、千葉県は三方を海に囲まれています。
同じ日本の中にありながら、面積も、人口も、地形も、気候も、産業も、それぞれ違います。
manabisでは、都道府県を「47個の名前を暗記する学習」から、日本を比較して見るための入口へ広げたいと考えています。
まずは「どこにあるのか」を知る
都道府県について考えるためには、やはり場所を知る必要があります。
北海道がどこにあるのか。
神奈川県はどこにあるのか。
四国には何県があるのか。
九州の北側にはどの県があるのか。
地図上の位置が分からなければ、その地域の気候や産業について学んでも、知識がなかなか結びつきません。
そのため、都道府県の名前と場所を覚えることにはきちんと意味があります。
ただ、最初から47都道府県を完璧に覚えなくても構いません。
知っている県を一つ増やす。
旅行したことのある場所を見つける。
自分の住んでいる地域の隣には何県があるのかを見る。
そんなところからでも日本地図は少しずつ身近になります。
都道府県クイズや地図を使った学習を繰り返しながら、名前と場所を結びつけていくことが最初の土台になります。
「一番大きい県は?」から地理が始まってもいい
都道府県について学ぶ入口は、地図だけではありません。
たとえば、
「日本で一番面積が広い都道府県は?」
という問いがあります。
答えは北海道です。
では2番目はどこでしょう。
一番人口が多いのは?
人口が少ないのは?
こうした都道府県ランキングには、子どもが興味を持ちやすい面があります。
「どこが一番?」
という問いは、とても単純です。
でも、ランキングを見ていると、それだけでは終わらなくなります。
北海道の面積はなぜこれほど大きいのか。
東京都は面積では大きくないのに、なぜ人口が多いのか。
面積が広ければ人口も多くなるわけではないのか。
二つのランキングを見比べるだけでも、新しい疑問が生まれます。
順位を覚えるためではなく、順位の違いから特徴を見つける。
これがmanabisで都道府県ランキングを扱う理由です。
面積だけでなく、いろいろな数字から比べてみる
都道府県には、比較できるデータがたくさんあります。
面積。
人口。
農産物の生産量。
工業に関する統計。
そのほかにも、地域によってさまざまな特徴があります。
一つの都道府県だけを見ていると分かりにくい数字も、47都道府県を並べると意味が見えてきます。
「この県は全国の中でもかなり多い」
「同じ地方の県が上位に並んでいる」
「思っていた地域とは違った」
そんな発見があります。
そして、そこで終わらず、
「どうして?」
と考えてみる。
農産物なら、気候や土地の使われ方が関係しているかもしれません。
工業なら、人口、交通、港、歴史などが関係しているかもしれません。
一つの統計から、別の社会科の学習へ進むことができます。
名産品を丸暗記するだけでは見えないもの
都道府県の学習では、
「○○県といえば○○」
という形で名産品を覚えることがあります。
覚えやすく、都道府県に親しむ入口としてはとても便利です。
しかし、その組み合わせだけを暗記してしまうと、
「なぜそこで多くつくられているのか」
という部分が抜け落ちることがあります。
気候が適している。
広い土地がある。
海に面している。
大きな消費地に近い。
昔からその産業が発達してきた。
地域の特徴には、何かしらの背景があります。
すべてを一度に理解する必要はありません。
最初は「この県が多いんだ」と知るだけでもいい。
そのあとで気候を学んだとき、
「あの農産物が多かったのは、これと関係しているのかな」
と知識がつながることがあります。
都道府県を一つずつ孤立させない
47都道府県を、
北海道はこれ。
青森県はこれ。
岩手県はこれ。
というように47個の独立した暗記事項として覚えようとすると、大変です。
しかし実際の日本は、県境ですべてが途切れているわけではありません。
同じ地方には似た気候の地域があります。
山脈を挟んで気候が変わることがあります。
大都市の周辺には交通網が広がっています。
海沿いには港があり、それが産業と結びつくことがあります。
隣り合う都道府県を比べる。
同じ地方の県を比べる。
離れた地域なのに似ているところを探す。
反対に、近いのに違うところを探す。
比較することで、47個の点だった知識が少しずつ日本地図の上でつながっていきます。
「自分の県」から始めてもいい
47都道府県を北から順番に覚えなくても、日本地理は学べます。
自分が住んでいる都道府県から始めても構いません。
面積は全国でどのくらいなのか。
人口は?
どんな産業があるのか。
どんな地形なのか。
気候にはどんな特徴があるのか。
次に隣の県を見てみる。
旅行したことのある県を調べる。
好きな食べ物の産地を見る。
知っている場所を中心に少しずつ地図を広げていく方法もあります。
社会の自主学習で何を調べればいいか迷ったときにも、都道府県は題材を見つけやすい分野です。
ランキングを一つ開いて、
「なぜこの県が1位なんだろう」
と調べるだけでも、一つの自主学習になります。
47都道府県は、日本を見るための47個の入口
都道府県学習の目的を「47個全部覚えること」だけにしてしまうと、全部言えるようになったところで学習が終わってしまいます。
でも、本当はそこから先にたくさんの学びがあります。
場所を見る。
面積を比べる。
人口を比べる。
農産物を見る。
工業を見る。
気候を見る。
地域同士を比べる。
そして、
「なぜ、この地域にはこんな特徴があるのだろう」
と考える。
47都道府県は、暗記しなければならない47個の項目ではありません。
日本という国をいろいろな方向から見るための、47個の入口です。
manabisでも、都道府県の名前や位置を覚えるところから、その先にある統計やランキング、産業、気候へと興味を広げられるようにしていきたいと考えています。
世界の統計――数字から世界を見る
世界には、およそ200の国や地域があります。
国名や首都を覚えることも、世界地理を学ぶための大切な基礎です。
しかし、名前と場所を覚えただけでは、それぞれの国がどのような国なのかまではなかなか見えてきません。
そこで役に立つのが統計です。
面積。
人口。
人口密度。
さまざまな生産量。
一つひとつは単なる数字ですが、国と国を比べてみると、その数字から世界の姿が少しずつ見えてきます。
manabisでは、世界の統計を「数字を暗記するための資料」ではなく、世界について疑問を持つための材料として扱っています。
「世界で一番大きい国は?」という入口
世界の統計に興味を持つきっかけは、難しいものでなくて構いません。
「世界で一番面積が大きい国はどこ?」
「人口が一番多い国は?」
こうしたランキングへの興味から始めてもいいと思います。
1位を予想してから答えを見る。
当たっていれば、その次を見てみる。
外れていたら、「そんなに大きいんだ」と驚く。
それだけでも、それまで名前だけ知っていた国に一つの特徴が加わります。
さらに世界ランキングを上から眺めていくと、
「1位と2位はどのくらい違うんだろう」
「日本は何位なんだろう」
「この国は思っていたより大きい」
と、次の興味が生まれます。
世界地理の学習は、必ずしも地図帳の最初のページから順番に始めなくてもいいのです。
順位だけでなく「どのくらい違うのか」を見る
ランキングを見ると、どうしても順位に目が向きます。
しかし、統計を見るときには数字そのものにも注目してほしいと思っています。
1位と2位がほとんど同じ数字なのか。
それとも、1位だけが圧倒的に大きいのか。
10位と50位ではどのくらい違うのか。
順位だけでは、こうした差の大きさまでは分かりません。
たとえば、面積ランキングを見るなら、
「A国は1位、B国は2位」
と覚えるだけではなく、実際の面積も見てみる。
人口ランキングなら、人口の数字そのものを比べてみる。
そうすると、ランキングは単なる順位表ではなくなります。
順位と実際の数字を一緒に見ることで、その差まで含めて世界を捉えられるようになります。
面積と人口を比べるだけでも、国の見え方が変わる
一種類の統計だけを見るのではなく、違う統計を組み合わせると、さらに面白くなります。
たとえば面積と人口です。
面積が大きい国だからといって、必ず人口も多いとは限りません。
反対に、面積ではそれほど上位ではないのに、多くの人が暮らしている国もあります。
そこで、
「面積の割に人口が多いのはなぜだろう」
「こんなに広いのに、人口はそれほど多くないのはなぜだろう」
という疑問が生まれます。
気候が関係しているのかもしれません。
砂漠や山岳地帯が多いのかもしれません。
都市に人口が集中しているのかもしれません。
統計は答えをすべて教えてくれるものではありません。
むしろ、数字を見たことで新しい問いが生まれることに価値があります。
日本を世界の中に置いてみる
世界の統計を見るときには、日本を一緒に比べてみるのも面白い方法です。
日本の面積は、世界の国々と比べるとどのくらいなのか。
人口ではどのあたりなのか。
普段日本で生活していると、日本の大きさを日本だけで考えてしまいます。
しかし、世界の国々と並べると見え方が変わります。
日本よりはるかに大きな国もあれば、日本より小さな国もたくさんあります。
一つの数字について、
「日本ではこれくらい」
という基準を持って世界を見ると、知らない国の数字もイメージしやすくなります。
都道府県ランキングで自分の住んでいる県を探すのと同じように、世界ランキングの中で日本を探す。
そこから世界地理に入っていくこともできます。
「どこ?」と地図を見たくなる統計にしたい
世界ランキングを見ていると、知らない国の名前が出てくることがあります。
そこで終わっても構いません。
でも、
「この国、どこにあるんだろう」
と思ったなら、それは地理学習が始まった瞬間です。
地図を開いて場所を確認する。
周りにはどんな国があるのかを見る。
海に面しているのかを見る。
どんな気候なのか調べる。
統計を入口にして、地図へ移動できます。
逆に、地図で知った国について統計を見てもいい。
地図と統計を行ったり来たりすることで、国名、位置、数字が少しずつ結びついていきます。
統計は変わるからこそ、丸暗記だけでは足りない
人口や生産量などの統計は、ずっと同じ数字ではありません。
時間が経てば変化します。
順位が入れ替わることもあります。
だから社会科で統計を学ぶとき、特定の年の数字をすべて暗記することだけを目的にすると、その知識はいずれ古くなります。
それよりも、
どの国が大きい傾向にあるのか。
どの地域に特徴があるのか。
数字をどう比較するのか。
そこから何を読み取れるのか。
という見方を身につける方が、その後も使えます。
統計には必ず「いつの数字なのか」という視点が必要だということも、数字を扱ううえでは大切です。
世界ランキングは、答えではなく次の疑問をつくる
世界の面積ランキングを見た。
人口ランキングを見た。
それだけなら、数分で終わるかもしれません。
でも、
「なぜこの国にはこんなに人が多いんだろう」
「この広い国には、どんな地域があるんだろう」
「この国と日本にはどんな関係があるんだろう」
と一つでも疑問が生まれれば、その先にはいくらでも調べることがあります。
産業。
気候。
歴史。
文化。
貿易。
日本との関係。
一つの統計から、社会の別の分野へ学習を広げることができます。
manabisで世界の統計や世界ランキングを扱う理由も、たくさんの順位を覚えてもらうためだけではありません。
数字を比べることで、それまで知らなかった世界に気づく。
そして、
「どうして、この数字になるんだろう」
と考える。
統計は、世界についての答えを並べた表であると同時に、世界についての新しい疑問をつくる入口でもあります。
日本の貿易――「輸出・輸入」を実際の数字から考える
日本は、世界のさまざまな国や地域と物を売り買いしています。
海外へ物を売る「輸出」。
海外から物を買う「輸入」。
社会科では、この二つの言葉を学びます。
しかし、「輸出とは何か」「輸入とは何か」を覚えただけでは、日本の貿易について分かったことにはなりません。
日本は何を輸出しているのか。
何を輸入しているのか。
どの国や地域との貿易が多いのか。
なぜ、その品目を海外から買っているのか。
逆に、日本から海外へ多く売っているものにはどんな特徴があるのか。
実際の貿易統計を見ていくと、「輸出」「輸入」という言葉の向こう側に、日本の暮らしや産業と世界とのつながりが見えてきます。
manabisでは、日本の貿易についても、実際の数字を比べながら考えられるようにしています。
「日本から出ていく」のが輸出、「日本へ入ってくる」のが輸入
貿易を学び始めたときに、まず混乱しやすいのが輸出と輸入です。
日本を基準に考えれば、
日本から外国へ送り出すのが輸出。
外国から日本へ入ってくるのが輸入です。
言葉として覚えるだけなら、それほど難しくありません。
ところが、具体的な品目や相手国が出てくると、少し複雑になります。
「日本は、この品目を輸出しているのか、輸入しているのか」
「この国は、日本に売っているのか、日本から買っているのか」
誰の立場から見ているのかを整理する必要があります。
だからこそ、実際の貿易データを見ることには意味があります。
輸出品と輸入品を何度も見比べるうちに、「日本から見た輸出・輸入」という方向が少しずつ分かるようになります。
日本は何を海外から買っているのだろう
私たちの身の回りには、海外との貿易によって届いているものがたくさんあります。
食料。
エネルギー資源。
工業に使われる原料。
衣類やさまざまな製品。
普段の生活では、それがどの国から来たものなのかを意識しないこともあります。
しかし輸入の統計を見ると、日本の生活や産業が世界とつながっていることが数字として現れます。
ここで大切なのは、
「この輸入品は○○から多く輸入している」
と組み合わせだけを暗記することではありません。
なぜ日本はそれを輸入しているのか。
日本国内だけでは十分に確保できないのか。
その国では、なぜ多く生産できるのか。
輸入品の数字からも、次の疑問をつくることができます。
日本から海外へ何を売っているのだろう
輸出についても同じです。
日本でつくられたさまざまな製品や部品などが、世界へ送り出されています。
輸出統計を見ると、
「日本では、こういうものが多く海外へ売られているんだ」
ということが分かります。
さらに相手国を見ると、日本の産業がどの国や地域と強く結びついているのかも見えてきます。
ここでも、品目名や相手国を一つずつ暗記して終わりにはしたくありません。
なぜ、この品目の輸出が多いのか。
どこでつくられているのか。
その産業にはどんな特徴があるのか。
どこへ運ばれているのか。
輸出という一つの数字から、日本の工業や交通、世界との関係へ学習を広げることができます。
相手国を見ると、日本と世界のつながりが見える
貿易統計では、品目だけではなく相手国を見ることも重要です。
日本がどの国や地域から多く輸入しているのか。
どこへ多く輸出しているのか。
国ごとの数字を比べると、日本と世界との経済的なつながりが見えてきます。
ここで、前の章で見た世界地理の知識も使えます。
その国はどこにあるのか。
日本から近いのか、遠いのか。
人口はどのくらいなのか。
どんな産業があるのか。
一つの国を「世界地図にある名前」として覚えていたときとは違い、日本と実際に物をやり取りしている相手として見ることができます。
世界地理と日本の貿易は、別々の暗記単元ではありません。
ランキングにすると、貿易の特徴を見つけやすい
貿易統計には非常に多くの数字があります。
表をそのまま眺めるだけでは、小学生や中学生にとって特徴をつかみにくいこともあります。
そこでmanabisでは、統計をランキングとして見る方法も使っています。
どの品目が多いのか。
どの国との取引が多いのか。
順位をつけることで、まず大きな特徴を見つけやすくなります。
ただし、ここでも1位を当てることだけが目的ではありません。
1位と2位には大きな差があるのか。
上位にはどんな国が並んでいるのか。
輸出と輸入では相手国がどう違うのか。
同じ国が両方で上位にいるのか。
ランキングを入口にして、実際の数字を比べていきます。
貿易統計も「いつの数字か」が大切
貿易の数字は変化します。
世界の情勢が変わる。
物の価格が変わる。
産業の構造が変わる。
新しい取引が増える。
それによって、輸出額や輸入額、相手国の順位が変わることがあります。
だから貿易についても、「この順位を永久に覚えておけばいい」という学び方には向いていません。
統計を見るときには、
これはいつの数字なのか。
という視点が必要です。
社会科の資料集に掲載されている数字と、別の年の統計で順位が違っていても、どちらかが間違っているとは限りません。
データには時点がある。
これは、統計を使って社会を学ぶうえで知っておいてほしいことの一つです。
貿易を知ると、身の回りの物の見え方が変わる
日本の貿易は、教科書の中だけにある話ではありません。
スーパーに並んでいる食品。
家で使っている電化製品。
自動車。
服。
毎日の生活で使っているエネルギー。
私たちの身の回りにあるものの多くが、さまざまな形で世界とのつながりを持っています。
「これはどこでつくられたんだろう」
「材料はどこから来たんだろう」
「日本から海外へ売られているものには何があるんだろう」
そう考えると、貿易は急に身近な社会の学習になります。
manabisで日本の貿易を扱うのも、輸出品や輸入品のランキングを丸暗記してもらうためではありません。
実際の数字を見て、
比べる。
気づく。
疑問を持つ。
そして、別の資料を調べる。
日本の暮らしや産業は、日本の中だけで完結しているわけではない。
貿易の数字は、私たちが世界とどのようにつながっているのかを知るための、一つの入口です。
雨温図――グラフを覚えるのではなく、気候を読み取る
社会科の地理で、多くの子どもが一度は出会うのが雨温図です。
月ごとの平均気温を折れ線グラフで、降水量を棒グラフで表したものです。
雨温図の問題では、
「この雨温図はどの都市でしょう」
という形で出題されることがあります。
そのため、
「この形は札幌」
「これは東京」
「これは那覇」
というように、雨温図の形と都市名をセットで覚えようとすることがあります。
もちろん、代表的な都市の雨温図を何度も見れば、特徴的な形を覚えることはできます。
しかし、それだけでは雨温図を読めるようになったとは言えません。
manabisで雨温図を扱うときに大切にしているのは、グラフの形を暗記することではなく、
「このグラフから、どんな気候だと分かるだろう」
と考えることです。
雨温図には、二つの情報が重なっている
雨温図を見るときには、まず気温と降水量を分けて考える必要があります。
折れ線グラフは気温。
棒グラフは降水量です。
気温について見るなら、
夏はどのくらい暑いのか。
冬はどのくらい寒いのか。
一年を通した気温差は大きいのか、小さいのか。
といった特徴を読み取れます。
降水量なら、
雨の多い時期はいつなのか。
少ない時期はいつなのか。
一年を通して多いのか。
冬にも多く降っているのか。
といったことが分かります。
つまり雨温図は、一つのグラフの中に、
「一年間の暑さ・寒さ」と「雨や雪の多さ」
という二つの変化を重ねた資料です。
まずここを分けて見られるようになるだけでも、雨温図の読み取りはかなりしやすくなります。
都市名を当てる前に、特徴を言葉にする
雨温図の問題を見ると、すぐに都市名を考えたくなります。
しかしmanabisでは、その前にグラフの特徴そのものを見る問題も大切にしています。
たとえば、
「冬にも降水量が多い」
「年間を通して降水量が少ない」
「冬でも気温が高い」
といった特徴です。
雨温図を見て、まず何が起きているのかを言葉にする。
この段階では、まだ都市名が分からなくても構いません。
冬の気温がかなり低い。
夏との気温差が大きい。
冬の降水量が多い。
一年中暖かい。
こうした特徴を一つずつ拾っていけば、
「では、日本のどの地域にありそうだろう」
と次の段階へ進めます。
グラフ → 特徴 → 地域
という順番で考えることで、単なる雨温図の見分け方ではなく、資料を根拠にして地域を考えることができます。
日本の気候は、同じ国の中でもかなり違う
日本は南北に長く、山地も多く、海にも囲まれています。
そのため、同じ日本でも地域によって気候にはかなり大きな違いがあります。
北の地域と南の地域では気温が違います。
日本海側と太平洋側では、特に冬の降水量に違いが現れます。
内陸部では、沿岸部とは違った特徴が見られます。
南西諸島のように、一年を通して気温が高い地域もあります。
こうした違いは、文章で説明を読んで覚えることもできます。
しかし、実際の雨温図を並べてみると、
「本当にこんなに違うんだ」
と目で確認できます。
日本の気候区分を言葉として覚えることと、雨温図の特徴を読み取ることがつながっていきます。
一枚だけでなく、比べると特徴が見えやすくなる
一枚の雨温図だけを見ていると、その特徴に気づきにくいことがあります。
そこでmanabisでは、複数の雨温図を比較して考える問題も扱います。
たとえば、三つの雨温図を見て、
「冬の降水量が最も多いのはどれ?」
「年間を通して最も暖かいのは?」
「降水量が最も少ないのは?」
と考えます。
このとき、都市名を覚えている必要はありません。
グラフそのものを比較すれば答えられます。
一枚だけなら「多いのかな、少ないのかな」と迷っていた降水量も、別の地域と並べれば違いがはっきりします。
気温も同じです。
比較することで、
絶対的な数字を見るだけでは気づかなかった特徴が見えるようになります。
これは雨温図に限らず、社会科で統計資料を読むときにも使う見方です。
毎回まったく同じ雨温図を覚えない
雨温図の練習で、いつも同じ数枚のグラフだけを使っていると、
「この形を見たことがあるから、この都市」
という答え方ができるようになります。
それでテストに正解できることもあります。
しかし、少し違う都市の雨温図が出た途端に分からなくなってしまうかもしれません。
manabisでは、複数地点のデータをもとに雨温図を描き分け、問題として使えるようにしています。
毎回まったく同じ画像を覚えるのではなく、さまざまな雨温図に触れる。
そうすることで、
「冬の降水量を見る」
「気温の年較差を見る」
「年間を通した気温を見る」
といった、別の雨温図でも使える見方を身につけてほしいと考えています。
雨温図から、地形や暮らしへつなげる
雨温図を読めるようになると、その先にも学習を広げられます。
なぜ日本海側では冬の降水量が多いのか。
山地は気候にどのような影響を与えているのか。
気候の違いは農業と関係しているのか。
雪の多い地域では、暮らしにどんな工夫があるのか。
暖かい地域では、どんな作物が育てられているのか。
雨温図そのものには、こうした答えがすべて書かれているわけではありません。
でも、グラフから特徴を見つければ、
「なぜ?」
を考えるきっかけになります。
前の章で紹介した都道府県や農産物、統計ともつながります。
「この県ではこの農産物が多い」
という知識を持っているときに、その地域の雨温図を見る。
すると、
「この気候が関係しているのかもしれない」
という新しい見方ができます。
雨温図は「資料を読む」練習でもある
雨温図の学習で身につけたいのは、特定の都市とグラフを結びつける力だけではありません。
グラフを見る。
軸や数字を確認する。
変化を見る。
複数の情報を比べる。
特徴を言葉にする。
その特徴から考えられることを推測する。
これは、社会科でさまざまな統計や資料を読むときに共通して使う力です。
知らない都市の雨温図が出てきても、
「知らないから分からない」
で終わるのではなく、
「冬は寒い」
「夏との気温差が大きい」
「冬にも降水量が多い」
と、資料の中にある情報から分かることを一つずつ拾っていく。
manabisの雨温図問題で目指しているのも、そこです。
雨温図の形を覚えて正解するのではなく、
グラフを見れば、その土地の一年間の気候が少し見えてくる。
雨温図を、暗記する図から「地域を読み取るための資料」へ変えていきたいと考えています。
百人一首――「覚えなさい」ではなく、何度も触れる
百人一首には、百首の和歌があります。
学校で百人一首に取り組むとき、
「来週までに20首覚えましょう」
「上の句を見たら下の句が分かるようにしましょう」
といった形で暗記することもあります。
百首という数を最初に見ると、それだけで大変そうに感じるかもしれません。
しかも、普段の生活では使わない言葉や、現代とは違う表現もたくさん出てきます。
一首ずつ紙を見ながら覚えようとしても、なかなか頭に入らないことがあります。
そこでmanabisの百人一首では、最初から「百首を全部覚えよう」とするのではなく、まず何度も百人一首に触れることを大切にしています。
上の句を聞いて、下の句を探す
百人一首の面白さの一つは、上の句と下の句の組み合わせです。
最初は、
「この上の句の続きは何だったかな」
と考えながら探します。
何度も繰り返していると、少しずつ見覚えのある組み合わせが増えてきます。
さらに慣れてくると、上の句を最後まで聞かなくても、
「あ、この歌だ」
と分かることがあります。
百人一首の競技では、こうした上の句と下の句の結びつきが重要になります。
しかし、最初からそこまで覚える必要はありません。
まず一首に出会う。
また同じ歌に出会う。
少し覚える。
忘れる。
もう一度出会う。
その繰り返しで構いません。
「暗記する時間」だけが暗記ではない
百人一首を覚えようとすると、
和歌を読む。
隠して言ってみる。
覚えていなければ、また読む。
という方法があります。
もちろん、こうした暗記も有効です。
一方で、ゲームのように何度も問題を解いているうちに、意識して暗記していなかった歌まで覚えてしまうことがあります。
「これ、前にも出てきた」
「この言葉の続き、なんとなく分かる」
という経験が増えていくからです。
人は、一度見ただけのものよりも、何度も出会ったものの方を覚えやすくなります。
百人一首も同じです。
manabisでは、百人一首を「暗記しなければならない100個の課題」としてだけではなく、何度も遊びながら出会える100首として扱いたいと考えています。
音で聞くことにも意味がある
百人一首は文字だけで成り立っているものではありません。
実際のかるたでは、読み手が和歌を読み上げ、それを聞いて札を取ります。
そのためmanabisでも、百人一首を音声で聞きながら取り組めるようにしています。
文字で見れば分かる歌でも、耳から聞くとすぐには分からないことがあります。
反対に、何度も聞いているうちに、文字を思い出すより先に音の流れで続きが分かるようになることもあります。
和歌には独特のリズムがあります。
五・七・五・七・七という言葉のまとまりを耳から何度も聞くことも、百人一首に親しむ一つの方法です。
ただ文字列を丸暗記するだけではなく、
見ることと聞くことの両方から歌に触れる。
Web上で百人一首を練習するからこそできることの一つです。
分からない歌があっても、そのまま続けられる
百人一首の練習を始めたばかりなら、知らない歌がたくさんあって当然です。
百首すべてを覚えてから問題を始める必要はありません。
むしろ、
知らない状態でやってみる。
間違える。
正しい組み合わせを見る。
また出てきたときに考える。
という順番でも学べます。
最初はほとんど分からなかったとしても、何度も続けているうちに、
「これは知っている」
という歌が少しずつ増えていきます。
知らないものが減っていくというより、知っているものが増えていく感覚です。
これは百人一首に限らず、manabisの学習全体で大切にしている考え方でもあります。
上の句と下の句がつながる瞬間がある
何度も百人一首を練習していると、不思議な瞬間があります。
以前は上の句を全部聞いても分からなかったのに、ある日、最初の数文字を聞いただけで下の句が浮かぶ。
意識して覚えた記憶がなくても、
「これだ」
と分かる。
繰り返し触れてきたものが、頭の中で結びついた瞬間です。
百人一首の暗記では、この経験が増えていきます。
最初から100首を同じ強さで覚える必要はありません。
すぐ覚える歌もあります。
なかなか覚えられない歌もあります。
似た言葉と混ざる歌もあります。
それでも、何度も出会えば少しずつ違いが見えてきます。
百人一首から、古典への入口が生まれることもある
百人一首を覚える目的は、かるたで札を取れるようになることだけではありません。
百首の中には、恋の歌もあれば、季節や自然を詠んだ歌もあります。
現代の日本語とは違う言葉も登場します。
最初は意味が分からなくても、
「これはどういう意味なんだろう」
と思った歌があれば、そこから調べてみることができます。
誰が詠んだ歌なのか。
どんな意味なのか。
どんな場面を詠んでいるのか。
現代語にするとどうなるのか。
百人一首をきっかけに、古典や日本語そのものへ興味が広がることもあります。
もちろん、manabisで百人一首を使うたびに、すべての歌の意味を調べる必要はありません。
今日は札を取るだけでもいい。
次の日には、好きな歌を一首見つけてもいい。
そのくらいの距離から古典に触れることもできます。
「勉強しているつもりはなかった」があってもいい
百人一首は、manabisの中でも「勉強」と「遊び」の境界がかなり曖昧な学習です。
札を探すことに夢中になっているとき、本人は古典の暗記をしているつもりではないかもしれません。
でも、その間にも上の句を聞いています。
下の句を見ています。
同じ和歌に何度も出会っています。
前より早く分かる歌が増えています。
それなら、十分に学びは起きています。
「百人一首を100首覚えなさい」と言われるとやりたくなくても、
「ちょっとやってみよう」
なら始められることがあります。
そして、始めてしまえばもう一回やりたくなることもあります。
manabisの百人一首で目指しているのは、短期間で100首を無理に暗記させることではありません。
上の句を聞き、下の句を探し、間違え、また出会う。
その繰り返しの中で、気がついたら知っている歌が増えている。
百人一首には、そんな学び方がよく似合うと考えています。
LABO――正解を選ぶ前に、まず動かしてみる
ここまで紹介してきた学習には、多くの場合「答え」がありました。
計算には答えがあります。
素因数分解にも、正負の数にも答えがあります。
漢字や英単語には正しい読み方やスペルがあり、社会や理科の問題にも正解があります。
問題を読み、考え、答えを出し、正しいかどうかを確かめる。
これは学習の大切な形です。
しかし、理科を学んでいると、問題を解くだけではどうしても伝わりにくいものがあります。
たとえば、てこです。
「支点から遠いほど、小さな力で動かせる」
と文章で説明することはできます。
公式を覚えて計算問題を解くこともできます。
でも、本当に重りを置く場所を変えたとき、てこが傾いたり、つり合ったりする様子を自分で動かして見る経験とは少し違います。
そこでmanabisには、問題を解くためのアプリとは別に、**自分で操作し、結果を観察するための「LABO」**があります。

LABOでは、最初に問題を出さない
一般的な理科の学習アプリなら、
「このてこをつり合わせるには、どこに重りを置けばよいでしょう」
という問題を出すことができます。
選択肢を用意して、正解したら次の問題へ進む。
もちろん、そうした問題にも学習価値があります。
でもLABOでは、あえてそこから始めません。
まず、触ってみます。
重りを置く。
場所を変える。
重さを変える。
すると、てこが動く。
「こっちに置いたら傾いた」
「同じ重さなのに、場所を変えたら動き方が変わった」
「ここならつり合った」
そうした結果を見てから、
「どうしてだろう」
と考えてほしいからです。
LABOの基本は、
操作する → 現象が起きる → 観察・測定する → 考える → もう一度試す
という流れです。
予想してから動かしてもいいし、とりあえず動かしてもいい
実験というと、
「まず予想を立てましょう」
と言われることがあります。
もちろん、予想してから結果を確かめることには意味があります。
「こうなると思う」
と考えてから操作すれば、予想と結果の違いにも気づきやすくなります。
でもLABOでは、最初から立派な予想を立てる必要はありません。
何が起きるか分からなければ、とりあえず動かしてみてもいい。
一度動かしてみたあとで、
「じゃあ、もっと遠くへ置いたらどうなる?」
と次の予想を立ててもいい。
実験は、いつも最初から答えにつながる仮説を立てられるものではありません。
触ったことで疑問が生まれ、その疑問から次の実験が始まることもあります。
LABOでは、その行ったり来たりを止めないようにしています。
同じ実験を何度やってもいい
問題集では、一度正解すると次の問題へ進むことが多くなります。
しかし実験では、一度うまくいったからといって終わる必要はありません。
てこがつり合った。
では、重りを重くしたらどうなるだろう。
反対側の重りを動かしたら?
両方の条件を変えたら?
またつり合わせることはできるだろうか。
条件を一つ変えるだけで、別の実験になります。
元に戻して、もう一度同じことをしても構いません。
「さっきと本当に同じ結果になるのか」を確かめることも実験です。
LABOを理科実験シミュレーターとしてつくっている理由の一つは、何度でもやり直せることにあります。
実際の理科実験では、器具を準備し、材料を用意し、片づける必要があります。
学校だからこそできる本物の実験には大きな価値がありますが、毎日自宅で同じ環境を用意できるわけではありません。
Web上の実験なら、思いついたときにすぐ条件を変えて試せます。
シミュレーターは、本物の実験の代わりではない
ここは、LABOをつくるうえで大切にしているところです。
画面上でてこを動かせたからといって、本物のてこを触る経験が不要になるわけではありません。
実際の器具には重さがあります。
手触りがあります。
摩擦もあります。
思ったように設置できないこともあります。
現実の実験では、シミュレーションのように条件が完全に整っているとは限りません。
だから、LABOで理科実験をすべて置き換えようとは考えていません。
むしろ、
授業の前に少し触ってみる。
実験したあとにもう一度条件を変えてみる。
教科書を読んで分からなかったところを動かして確かめる。
家で復習するときに使う。
そんな使い方ができます。
本物の実験とデジタルの実験は、どちらか一方を選ぶものではありません。
それぞれにできることがあります。
「正解した」ではなく「分かったかもしれない」
LABOでは、正解のボタンを押すことよりも、自分で規則性に気づくことを大切にしています。
何度かてこを動かしているうちに、
「重い方がいつも下がるわけじゃないな」
と気づく。
さらに試して、
「支点からの距離も関係しているのかもしれない」
と考える。
また条件を変える。
そして、
「こうするとつり合うんじゃないか」
と予想する。
それが実際につり合ったとき、
画面から「正解!」と言われなくても、自分の中では一つの発見が起きています。
こうした学びは、正答率だけでは測りにくいものです。
だからLABOでは、クイズに正解した回数ではなく、実際に操作しながら学んだ時間そのものも学習として扱っています。
家でもできる「理科実験の入口」をつくる
小学生や中学生が家で理科を勉強しようとすると、どうしても教科書、問題集、動画などが中心になります。
それらはどれも大切な学習方法です。
でも、その間にもう一つ、
「自分で動かしてみる」
という選択肢があってもいいと思います。
理科の問題を解く気分ではない。
長い説明を読む気にもならない。
それならLABOを開いて、重りを一つ置いてみる。
そこから何か気になれば、もう一つ動かしてみる。
たったそれだけでも、現象との接点ができます。
manabisのLABOは、立派な実験レポートを書くためだけの場所ではありません。
操作する。
変化を見る。
比べる。
気づく。
また動かす。
「本当にそうなるの?」と思ったとき、自分の手で確かめられる場所。
問題を解いて正解する学習とは違う、もう一つの理科の学び方としてLABOをつくっています。
ゴムカー実験――ゴムの力を数字だけで覚えない
ゴムを引っぱって手を離すと、元の形に戻ろうとします。
強く引けば、その力も大きく感じます。
小学校の理科では、こうしたゴムの性質を利用して、
「ゴムを長く伸ばすと、車の進む距離はどうなるだろう」
といった実験を行います。
文章で、
「ゴムを長く伸ばすほど、物を動かす力が大きくなる」
と覚えることもできます。
テストでその知識を問うこともできます。
しかし、この学習で本当に面白いのは、答えを知ることよりも、
自分で条件を変えたとき、結果がどう変わるのかを見ること
ではないでしょうか。
LABOの「ゴムカー実験」は、その部分を何度でも試せるようにつくっています。

まずは走らせてみる
ゴムカー実験では、画面上の車を実際に走らせます。
最初から、
「ゴムを長く伸ばすと、車は遠くまで進みます」
と答えだけを教えるためのものではありません。
条件を決める。
走らせる。
結果を見る。
そして、もう一度条件を変えて走らせる。
まずはそこから始まります。
最初の一回は、深く考えずに走らせても構いません。
「これくらいかな」
と設定してスタートする。
車が進む。
どこまで進んだのかを見る。
すると自然に、
「もっと変えたらどうなるんだろう」
という次の操作が生まれます。
LABOでは、この一回目の実験が次の疑問をつくることを大切にしています。
条件を一つ変えて、結果を比べる
理科実験では、条件を比べることが重要です。
一回だけ車を走らせて、
「ここまで進みました」
で終わってしまうと、それが何によって決まったのかは分かりません。
そこで条件を変えます。
一度目よりゴムの伸ばし方を変えてみる。
もう一度走らせる。
結果を比べる。
さらに条件を変える。
何回か試しているうちに、
「こっちの方が遠くまで進んだ」
「この条件だとあまり進まなかった」
と違いが見えてきます。
その違いから、
「ゴムの伸ばし方と車の進む距離には、何か関係がありそうだ」
と考えられます。
答えを先に覚えてから確認するだけではなく、結果の違いから関係を見つけていくことができます。
「たぶんこうなる」を、自分で確かめる
何度かゴムカーを走らせていると、次の結果を予想できるようになります。
「さっきよりゴムを伸ばしたから、今度はもっと進むんじゃないか」
そう思ったら、実際に試します。
予想した通りになるかもしれません。
思っていた結果と違うかもしれません。
どちらでも構いません。
重要なのは、
予想 → 実験 → 結果 → 次の予想
という流れが生まれることです。
学校の理科で「予想を書きましょう」と言われると、正しい予想を書かなければいけないように感じることがあります。
でも、実験前の予想は間違っていてもいいものです。
むしろ予想と結果が違えば、
「どうして?」
という新しい疑問が生まれます。
LABOでは、予想を正解させることよりも、自分で試して確かめることを重視しています。
同じ条件でも、もう一度試してみる
実験では、条件を変えるだけでなく、同じ条件でもう一度試してみることにも意味があります。
一度結果が出たから、それが必ずいつでも同じ結果になるとは限りません。
実際の実験では、車の置き方や床の状態、ゴムの状態など、さまざまなものが結果に影響します。
Web上のシミュレーションでは現実のすべてを再現することはできませんが、
「条件をそろえる」
「一つだけ条件を変える」
「結果を比べる」
という実験の基本的な考え方には何度も触れることができます。
ゴムカーをただ遠くまで走らせるゲームとして終わらせず、
何を変えたら、結果がどう変わったのか
を見ることが大切です。
「一番遠くまで飛ばす」が目的になってもいい
とはいえ、最初から理科実験として真面目に取り組む必要もありません。
「とにかく遠くまで走らせたい」
という遊び方から始まっても構いません。
もっと進ませたい。
では、何を変えればいいのか。
条件を変える。
走らせる。
さっきより進んだ。
もう少し変える。
この時点で、本人が「理科の勉強をしている」と思っていなくても、すでに比較と試行錯誤が始まっています。
これはmanabisがLABOをつくった理由とも深く関係しています。
勉強らしい見た目にしなければ、学びにならないわけではありません。
目的を達成するために条件を変え、結果を見て、また方法を変える。
そこには十分に考える活動があります。
実際にゴムカーを作ってみてもいい
LABOでゴムカー実験をしたあと、本物のゴムカーを作ってみるのも面白いと思います。
輪ゴムや車輪などを使って、自分で車をつくる。
実際に走らせてみる。
すると、画面上では気にしなくてよかった問題がたくさん出てきます。
車輪がまっすぐ回らない。
床との摩擦が大きい。
左右に曲がってしまう。
ゴムがうまく巻けない。
同じように引っぱったつもりでも、毎回少し結果が違う。
シミュレーターでは条件を整理して現象を見やすくできます。
本物の実験では、整理しきれないさまざまな条件が一緒に現れます。
だからこそ、両方を経験すると違いも見えてきます。
LABOは本物のゴムカー実験を不要にするものではありません。
実際に試してみたくなる入口にもなってほしいと考えています。
ゴムの力を「知っている」から「試したことがある」へ
テストで、
「ゴムを長く伸ばすと、物を動かす力はどうなりますか」
と聞かれれば、文章を覚えて答えることができます。
それも必要な学習です。
でも、
「本当に?」
と思ったときに、自分で条件を変えて車を走らせた経験があれば、その言葉には実際に見た現象が結びつきます。
ゴムの伸ばし方を変える。
車を走らせる。
結果を見る。
比べる。
次を予想する。
また走らせる。
ゴムカー実験で大切にしているのは、正解を一回確認することではありません。
条件と結果の関係を、自分で何度も動かしながら確かめること。
「ゴムの力」という教科書の言葉を、画面の中で実際に変化する現象として触ってみる。
それが、LABOのゴムカー実験です。
なぜLABOには「問題」がなくてもいいのか
学習アプリをつくろうとすると、つい「問題」を用意したくなります。
問題を出す。
子どもが答える。
正解か不正解かを判定する。
正解数を数える。
この仕組みは、とても分かりやすいものです。
実際、manabisにも計算、漢字、英単語、理科、社会など、問題を解くことで学ぶアプリがたくさんあります。
では、LABOにも問題をつけた方がいいのでしょうか。
てこの実験なら、
「左側のこの位置に重りがあります。つり合わせるには右側のどこに重りを置けばよいでしょう」
という問題をつくれます。
ゴムカーなら、
「より遠くまで走らせるには、ゴムをどうすればよいでしょう」
と聞くことができます。
どちらも立派な理科の問題です。
それでもLABOでは、問題に正解することを中心には置いていません。
それは、問題がない状態だからこそ生まれる学びもあると考えているからです。
問題を出した瞬間、目的は「正解すること」になる
「てこをつり合わせなさい」
と問題を出せば、子どもの目的はてこを観察することから、
「どうすれば正解になるか」
へ変わります。
もちろん、それが悪いわけではありません。
学んだことを使えるか確かめるには、とてもよい方法です。
でも、まだ仕組みを知らない段階ならどうでしょう。
何も説明せず、画面にてこと重りだけを置いておく。
重りを一つ置いてみる。
てこが傾く。
反対側にも置いてみる。
まだ傾いている。
位置を変えてみる。
今度は反対へ傾いた。
少し戻す。
つり合った。
このとき子どもは、「正解を探している」のではありません。
目の前で起きたことに反応しながら、自分で次の操作を決めています。
現象そのものが、次に何をするかを考える材料になっています。
「自由に触る」は、何も考えていないことではない
自由に操作できる教材を見ると、
「ただ遊んでいるだけにならないか」
と思うかもしれません。
実際、最初は何も考えずに動かすこともあるでしょう。
重りを適当な場所に置く。
何度も動かす。
ゴムカーをとにかく走らせる。
でも、その中で結果が変われば、少しずつ行動も変わります。
「ここに置くと、こうなる」
「さっきより遠くに置いたら、反対に傾いた」
「これくらいなら、つり合いそう」
最初は偶然だった操作が、次第に予想を伴う操作へ変わることがあります。
ゴムカーでも、
「もっと遠くまで走らせたい」
と思えば、条件を変え始めます。
遊んでいるように見えても、
操作 → 結果 → 次の操作
が繰り返されているなら、そこにはすでに試行錯誤があります。
問題がないから、自分で問題をつくれる
LABOで起きてほしいことの一つが、子ども自身が問いをつくることです。
てこを触っていて、
「一番端に置いたらどうなる?」
と思う。
「重さを2倍にしたら?」
「左右で違う重さでもつり合う?」
「この組み合わせなら、どこに置けばいい?」
誰かから出された問題ではありません。
自分が操作した結果から生まれた問題です。
ゴムカーでも同じです。
「もっと遠くへ行かせられるかな」
「この条件とこの条件では、どちらが遠い?」
「どこまで変えたら結果が大きく変わる?」
一つ試すたびに、次の問いをつくれます。
問題集では、次の問題は教材をつくった側が決めます。
LABOでは、次に何を試すのかを子ども自身が決めることができます。
「正解」がないのではなく、確かめ方が違う
LABOには問題がないからといって、何をしても同じというわけではありません。
てこには、てこの仕組みがあります。
条件によって傾き方は変わります。
つり合う条件もあります。
ゴムにも、条件と結果の関係があります。
ただ、その関係を最初から「答え」として提示しないだけです。
自分で条件を変えれば、結果が返ってくる。
その結果が、自分の考えを確かめる材料になります。
「こうなると思った」
実際に動かす。
予想通りだった。
あるいは違った。
ならば、もう一度考える。
LABOでは、画面に表示される「○」や「×」だけではなく、現象そのものから自分の考えを確かめます。
正解するためなら、最短の方法を探す
問題には正解があります。
そのため、効率よく正解する方法を探すのは自然なことです。
公式を覚える。
解き方のパターンを覚える。
選択肢を消去する。
それらも重要な学習方法です。
一方、実験では少し遠回りすることに意味があります。
わざと極端な条件にしてみる。
さっき試したところへ戻る。
同じことをもう一度やる。
意味がなさそうな場所へ重りを置く。
予想と違ったので、別の条件を試す。
最短距離で正解へ向かう必要がないからこそ、いろいろな条件を見ることができます。
失敗した操作も、そのまま実験結果になります。
学んでいる時間を、正解数だけで測らない
問題形式の学習なら、
10問中8問正解した。
100問解いた。
という形で成果を数えやすくなります。
LABOでは、それだけでは測れません。
重りを何度も動かしながら20分考えていた子どもに、
「問題には一問も正解していないから、今日は学習していない」
とは言えないはずです。
だからLABOでは、操作しながら取り組んでいる時間そのものも学習として扱います。
ただ画面を開いたままにしている時間ではありません。
実際に操作し、条件を変え、現象を見ながら取り組んでいる時間です。
manabisでは、こうしたLABOでの活動もSTUDY POINTやメダルにつながるようにしています。
問題を解く学習だけを「勉強」として扱わないためです。
問題が必要になったら、問題を解けばいい
もちろん、てこの計算問題を解くことにも意味があります。
ゴムの性質について、文章問題で知識を確かめることにも意味があります。
LABOがあるから、問題が不要になるわけではありません。
役割が違います。
問題では、
「学んだことを使って答えを出せるか」
を確かめることができます。
LABOでは、
「条件を変えると何が起きるのか」
を自分で確かめることができます。
問題を解いたあとにLABOを触ってもいい。
LABOで気づいたことを教科書で調べてもいい。
実際の実験をしたあと、家でもう一度LABOを動かしてもいい。
一つの学び方ですべてを済ませる必要はありません。
「何をすればいいか」が決められていない時間も、学びになる
学校の学習では、多くの場合、
「今日はこれを勉強します」
「この問題を解きます」
「ここまでできたら終わりです」
と、取り組むことが決められています。
それは、多くの人が一緒に学ぶためにも必要な仕組みです。
でも、子どもの学びのすべてが、誰かから与えられた課題である必要はありません。
何となく触る。
面白い動きを見つける。
もう一回やる。
条件を変える。
違いに気づく。
「なんで?」と思う。
その瞬間、誰かから問題を出されていなくても学習は始まっています。
だからLABOでは、無理にすべてを問題形式へ変えませんでした。
問題を解く場所ではなく、自分で問題を見つけられる場所を残しておく。
それも、manabisに必要な学びの一つだと考えています。
MAKE――問題を出されなくても、子どもは考える
ここまでのLABOでは、用意された現象を自分で操作しながら確かめる学びについて紹介しました。
では、最初から「確かめるべき現象」すら決められていなかったらどうでしょう。
何をつくるのか。
どこから始めるのか。
どんな形にするのか。
完成をどこにするのか。
それを自分で決める場所が、manabisの「MAKE」です。
MAKEには、
「この問題を解きなさい」
という課題がありません。
「この見本と同じものをつくりなさい」
というゴールも、最初から決めていません。
部品や素材を自由に組み合わせて、動くもの、役に立つもの、面白いものを自分でつくるための場所として考えています。
その最初のMAKEとしてつくったのが、ブロックを自由に積み上げられるアプリです。

15×15×15の空間を、自由に使う
ブロックを使ったMAKEには、15×15×15の空間があります。
そこへ好きな色のブロックを置いていきます。
家をつくってもいい。
塔をつくってもいい。
文字をつくってもいい。
何かのキャラクターをつくってもいい。
意味の分からない巨大な物体をつくっても構いません。
「今日はこれをつくりましょう」という指示はありません。
だから、最初に必要になるのは、
「何をつくろう?」
と考えることです。
これは問題集とはかなり違う始まり方です。
問題集では、何をするかは問題をつくった人が決めています。
MAKEでは、その最初の部分から自分で決めます。
頭の中にあるものを、そのまま置くことはできない
「家をつくろう」
と思ったとします。
でも、そう思っただけでは画面上に家は現れません。
どのくらいの大きさにするのか。
どこに壁をつくるのか。
入口はどこにするのか。
高さはどのくらいにするのか。
屋根をどう表現するのか。
一つずつブロックに置き換える必要があります。
頭の中では「家」という一つのまとまりだったものを、
床。
壁。
柱。
入口。
屋根。
というように分けて考えます。
そして、それぞれをさらにブロック一個一個へ分解していきます。
つくるという行為には、頭の中にあるイメージを小さな要素へ分ける作業があります。
これは、後で紹介するCODEにもつながる考え方です。
思った通りにならないから、考える
実際につくり始めると、最初に考えていた通りにはならないことがあります。
壁をつくったら狭すぎた。
左右の高さが合わない。
屋根をつけようとしたら形がおかしい。
遠くから見るとバランスが悪い。
途中で別のアイデアを思いついた。
そこで、
「失敗した」
と終わる必要はありません。
ブロックを外す。
置き直す。
形を変える。
大きくする。
小さくする。
最初からつくり直す。
MAKEで繰り返してほしいのは、
置く → 組み合わせる → 見る → 思ったのと違う → 作り直す
という流れです。
一回で思った通りにならないこと自体が、ものづくりの一部です。
正解がないから、完成も自分で決める
計算問題なら、正しい答えが出れば一問終了です。
MAKEには、その終了条件がありません。
家をつくったとして、
壁と屋根ができたら完成なのか。
窓までつくるのか。
庭もつくるのか。
家具のようなものまで表現するのか。
もっと大きな建物へつくり変えるのか。
それを決めるのも自分です。
途中で、
「もうこれでいい」
と思えば、そこで完成です。
反対に、一度完成したものへ翌日また手を加えても構いません。
ものづくりには、問題集のような「模範解答」がありません。
だからこそ、
自分で目標を決め、自分で完成を判断する
という経験ができます。
立体をつくると、空間の見方も必要になる
MAKEのブロックは、平面上に絵を描くものではありません。
奥行きと高さのある空間にブロックを配置します。
そのため、
「このブロックはどこに置かれているのか」
「この位置の一段上はどこなのか」
「反対側から見たらどうなっているのか」
と、立体的に考える場面が出てきます。
図形の章では、直方体や立方体などの立体図形を問題として扱いました。
MAKEでは、公式を使って体積や表面積を求めるわけではありません。
しかし、自分で立体をつくっていると、
幅。
奥行き。
高さ。
面。
重なり。
といったものを自然に意識します。
図形問題を解くことと、空間の中でものを組み立てることは別の活動ですが、そこで使っている感覚にはつながる部分があります。
「遊んでいただけ」で終わっても構わない
子どもがブロックを30分積んでいたとします。
大人から見ると、
「勉強はいつ始めるの?」
と思うかもしれません。
でも、その30分の間に、
何をつくるか考えた。
形を決めた。
ブロックの位置を考えた。
思った通りにならず修正した。
別の方法を試した。
完成したものを見て、さらに手を加えた。
ということが起きていたなら、そこには十分な思考があります。
本人が、
「空間認識能力を鍛えています」
「創造力を伸ばしています」
と思いながら遊ぶ必要はありません。
むしろ、そんなことを意識せず、
「これをつくりたい」
という気持ちで夢中になっている方が自然です。
manabisでは、「勉強らしく見えるかどうか」だけで学びを判断しないようにしています。
STEAM教育という言葉より先に、つくってみる
子どものものづくりやデジタル工作は、STEAM教育という言葉で説明されることがあります。
科学、技術、工学、芸術、数学などを横断しながら学ぶ考え方です。
MAKEにも、そうした学びにつながる要素はあります。
立体を考える。
構造を考える。
色や形を考える。
試行錯誤する。
完成したものを人に見せる。
しかし、MAKEを使う子どもに最初から、
「今日はSTEAM学習をしましょう」
と伝える必要はないと考えています。
まず、つくる。
面白かったから、もっとつくる。
うまくいかなかったから、直す。
その中で必要になったものを考える。
学習の名前は、あとからついてきてもいい。
それがMAKEの考え方です。
つくったものを残せることにも意味がある
問題を解いた結果は、正解数や学習履歴として残すことができます。
ものづくりでは、それとは違うものが残ります。
作品そのものです。
昨日つくったものを、あとからもう一度見る。
続きをつくる。
別の作品と比べる。
「前はこんなものをつくっていたんだ」と振り返る。
manabisでは、登録して利用する環境ではMAKEの作品を保存できるようにしています。
また、完成した作品を共有して見てもらうこともできます。
誰かの作品を見れば、
「こんなつくり方もあるんだ」
と新しい発想が生まれるかもしれません。
ただし、他の人と同じものをつくる必要はありません。
他人の作品も、自分の次の発想を生む材料の一つです。
MAKEは「自由時間」ではなく、「自由に考えられる時間」
問題がない。
正解もない。
好きなものをつくっていい。
そう聞くと、学習から離れた自由時間のように見えるかもしれません。
でも、自由だからこそ決めなければならないことがあります。
何をつくるのか。
どうつくるのか。
どこを直すのか。
いつ完成にするのか。
誰かが問題を用意してくれない代わりに、自分で小さな問題を次々につくりながら進みます。
「ここにブロックを置きたい。どうすればいい?」
「この形を左右同じにしたい」
「もっと高くしたい」
「思っていた形と違う。どこを直そう」
それを一つずつ解決していく。
だからMAKEでは、問題を出さなくても子どもは考えます。
つくりたいものがあること自体が、次に考えることを生み出すからです。
manabisのMAKEは、勉強の途中に用意した単なる息抜きではありません。
問題を与えられて答える学習とは反対側にある、
「自分でつくるものを決め、試し、直し、形にする学び」
を置いておくための場所です。
CODE――プログラミング言語より先に「どう動かす?」を考える
プログラミング学習というと、
「どのプログラミング言語を覚えればいいのか」
「英語のようなコードを書けないといけないのか」
というイメージを持つことがあります。
もちろん、本格的にプログラムをつくるようになれば、プログラミング言語を学ぶことになります。
しかし、その前に身につけられるものがあります。
目的を達成するためには、何をどんな順番で行えばいいのか。
同じ動きを何度もするとき、まとめることはできないか。
ある条件のときだけ違う動きをさせるにはどうすればいいか。
思った通りに動かなかったとき、どこを直せばいいのか。
こうした手順や仕組みを考えることです。
manabisの「CODE」では、文字でプログラムを書くことより先に、
「どうすれば、自分が考えた通りに動かせるだろう」
というところからプログラミングに触れられるようにしています。
最初のCODEとしてつくったのが、「ダンジョン脱出」です。

ペットに命令して、ダンジョンから脱出する
ダンジョン脱出では、manabisのペットに指示を出します。
目標は、迷路の中にいるペットをゴールまで動かすことです。
前へ進む。
後ろへ進む。
右を向く。
左を向く。
一つひとつの命令は、とても単純です。
でも、
「ゴールへ行って」
という命令はありません。
自分で、
前へ進む。
右を向く。
前へ進む。
前へ進む。
といった手順を組み立てなければなりません。
人間なら迷路を見て、
「そこを右に行って、そのあと上へ」
と何となく考えられます。
しかし、ペットを動かすには、それを実行できる小さな命令へ分解する必要があります。
やりたいことを、実行可能な手順へ分ける。
これがCODEで最初に体験してほしいことの一つです。
命令は、上から順番に実行される
プログラムでは、命令の順番が重要です。
「前へ進む」のあとに「右を向く」のか。
「右を向く」のあとに「前へ進む」のか。
使っている命令は同じでも、順番が違えば結果は変わります。
これは実際に動かしてみると、とても分かりやすくなります。
「これでゴールへ行くはず」
と思って実行する。
ところが、違う方向へ進んでしまう。
そこでコードを見る。
「あ、曲がる場所が一つ早かった」
と気づく。
ブロックを入れ替える。
もう一度実行する。
今度は思った通りに進む。
CODEでは、正しい手順を最初から教えて、それをそのまま並べてもらうことを目的にしていません。
自分で手順をつくり、実行結果を見て修正することを大切にしています。
同じ命令が続いたら、「繰り返す」を考える
迷路が少し大きくなると、
前へ進む
前へ進む
前へ進む
前へ進む
というように、同じ命令を何度も並べる場面が出てきます。
もちろん、そのまま四つ並べてもペットは動きます。
でも、
「前へ進むを4回繰り返す」
とまとめることもできます。
そこで登場するのが「繰り返す」です。
同じ処理を何度も書くのではなく、
繰り返す部分を一つのまとまりとして考える。
これは実際のプログラミングでも非常に重要な考え方です。
さらに、「ずっと繰り返す」という考え方もあります。
決められた回数だけではなく、停止するまで同じ処理を続ける。
ただ命令を長く並べるところから、
「この部分には同じ規則がある」
と見つけるところへ進んでいきます。
「もし前に壁があれば」で、状況を見て動きを変える
決められた一本道なら、前へ進む回数と曲がる場所を覚えて並べればゴールできます。
でも、状況によって動きを変えなければならないとしたらどうでしょう。
そこで使うのが条件分岐です。
たとえば、
「もし前に壁があれば」
という条件を使います。
前に壁がある。
だから右を向く。
壁がなければ、そのまま前へ進む。
このように、
「もし○○なら、△△する」
という仕組みをつくれます。
さらに、
「もし○○ならA、そうでなければB」
という分岐も考えられます。
ここまで来ると、単に最初から最後まで決められた命令を並べるだけではありません。
ペット自身が周囲の状況を確かめ、その結果によって次の行動を変える仕組みになります。
センサーは、ペットが周りを知るための目になる
条件分岐を使うためには、今どんな状態なのかを知る必要があります。
CODEでは、そのためにセンサーを使います。
前に壁があるか。
左に壁があるか。
右に壁があるか。
ゴールにいるか。
メダルをいくつ集めたか。
こうした情報を条件として使うことで、ペットの動きを変えられます。
たとえば、
「前に壁がなければ進む」
「前に壁があれば右を向く」
という仕組みを組み合わせれば、単純に移動回数を指定するのとは違うプログラムになります。
どこに壁があるのかを全部覚えて命令を書くのではなく、
その場の状態を調べて、自分で次の行動を決める仕組み
をつくることができます。
うまく動かなかったときが、CODEの大切な時間
プログラムを実行すると、思っていた通りに動かないことがあります。
むしろ、最初から完璧に動く方が少ないかもしれません。
壁にぶつかる。
違う方向へ曲がる。
途中で同じ場所をぐるぐる回る。
ゴールを通り過ぎる。
止まってほしいところで止まらない。
そんなとき、
「不正解だった」
だけで終わらせません。
どこまでは思った通りに動いたのか。
どの命令から違ったのか。
向いている方向を勘違いしていなかったか。
繰り返す範囲は正しいか。
条件の使い方は合っているか。
一つずつ確認します。
そしてブロックを動かし、もう一度実行します。
これはプログラミングでいうデバッグにつながる経験です。
間違いをなくすために最初から慎重に正解をつくるのではなく、
動かして、間違いを見つけて、直す。
CODEでは、この試行錯誤そのものを学習として考えています。
ゴールできても、別の方法がある
一度ゴールできたら、それで終わっても構いません。
でも、同じ迷路でも別のプログラムを考えることができます。
命令を一つずつ並べる。
繰り返しを使って短くする。
条件分岐を使う。
もっと少ないブロックで動かせないか考える。
同じ結果へ到達するプログラムが、一つしかないとは限りません。
ここが、答えが一つに決まっている計算問題との大きな違いです。
「ゴールへ着く」という目的は同じでも、そこへ至る手順には工夫の余地があります。
一度動いたものを、
「もっと分かりやすくできないか」「もっと短くできないか」
と見直すことも、プログラミングの大切な考え方です。
小学生のプログラミングで、最初から言語を覚えなくてもいい
プログラミングという言葉を聞くと、英数字や記号が並んだソースコードを想像するかもしれません。
しかし、小学生がプログラミング的思考に触れるために、最初からそうした記法を覚える必要はありません。
CODEでは、命令を色分けされたブロックとして扱います。
動作。
繰り返しなどの制御。
条件分岐。
それぞれの役割を見ながら、ブロックを組み合わせます。
文字を正確に入力できるかどうかではなく、
どの命令を、どの順番で、どの条件で動かすのか
という部分に集中できます。
将来、本格的なプログラミング言語を学ぶときには書き方が変わります。
でも、
順番に実行する。
繰り返す。
条件によって分ける。
状態を調べる。
うまくいかなければ修正する。
という考え方は、その先でも使います。
CODEは「プログラムを書く場所」より「仕組みを考える場所」
manabisでCODEをつくるとき、目的を「プログラマーになるための勉強」にはしていません。
プログラミングを仕事にするかどうかに関係なく、
大きな目的を小さな手順へ分ける。
順番を考える。
同じ処理をまとめる。
条件によって行動を変える。
結果を確かめる。
間違っていたら原因を探す。
もっとよい方法を考える。
こうした考え方には触れることができます。
ダンジョン脱出でやっていることは、とても単純です。
ペットをゴールまで連れていく。
でも、そのために自分で仕組みをつくらなければなりません。
「どう動かす?」
と考える。
ブロックを並べる。
実行する。
失敗する。
直す。
もう一度動かす。
そして、自分が考えた通りにペットが動いた瞬間、
書いた命令がただのブロックではなく、自分がつくった仕組みになります。
それが、manabisのCODEで最初に体験してほしいプログラミングです。
学習ゲームと「遊び」の境界を、あえて曖昧にする
「これは勉強です」
と言われた瞬間に、やりたくなくなる子どもがいます。
反対に、
「ちょっとやってみる?」
と渡されたものなら、何となく触り始めることがあります。
やっていることの中身を見れば、考えたり、覚えたり、試したりしている。
でも本人は、それを勉強だとは思っていない。
manabisでは、そんな時間があってもいいと考えています。
むしろ、勉強と遊びの境界をきれいに分けすぎないことは、manabisをつくるうえで大切にしている考え方の一つです。
「楽しい学習」と「学習っぽくしたゲーム」は少し違う
子どもに楽しく勉強してもらうために、学習へゲームの要素を加える方法があります。
問題に正解すると得点が入る。
連続正解でボーナスがつく。
制限時間内に何問解けるか挑戦する。
ランキングで競う。
こうした学習ゲームには、普通の問題集とは違った楽しさがあります。
manabisにも、STUDY POINTやメダル、アバター、ペットなど、学習を続けたくなる仕組みがあります。
ただ、manabisが考えている「遊びながら学ぶ」は、それだけではありません。
計算問題に得点をつければ、計算ゲームにはできます。
しかしMAKEで自由にブロックを積んでいる子どもは、そもそも問題を解いていません。
LABOでてこの重りを何度も動かしている子どもも、正解数を増やしているわけではありません。
CODEでペットが壁にぶつかり、
「なんでこっち行くんだよ」
と言いながらブロックを並べ直している時間も同じです。
学習にゲームをかぶせるだけではなく、活動そのものが面白く、その中に考えることが含まれている。
manabisでは、そこまで含めて「楽しく学ぶ」を考えています。
「遊んでいる」と「学んでいる」は同時に起こる
子どもがMAKEで大きな建物をつくっています。
本人に、
「今、何を勉強しているの?」
と聞いても、
「別に勉強してない。つくってるだけ」
と答えるかもしれません。
それで構いません。
どこにブロックを置くか考える。
左右の形をそろえる。
高さを調整する。
思った通りにならなければ壊してつくり直す。
その活動の中には、空間を捉えたり、計画したり、試行錯誤したりする時間があります。
CODEでも同じです。
本人の目的は、
「プログラミング的思考を身につけること」
ではなく、
「このペットをゴールまで行かせたい」
かもしれません。
そのために手順を考え、繰り返しを使い、条件を考え、失敗したコードを修正する。
目的は遊びでも、その過程では考えています。
遊びと学びは、必ずしもどちらか一方ではありません。
「勉強から逃げた」ことを、すぐ失敗にしない
子どもに計算を勧めたけれど、やりたくないと言った。
漢字も嫌だと言った。
英単語も今日はやりたくない。
こういう日はあります。
そこで、
「じゃあ今日は勉強しないんだね」
と終わらせるのではなく、別の入口があってもいいと思っています。
LABOを開いてみる。
MAKEで何かつくる。
CODEでダンジョンを動かしてみる。
百人一首をやってみる。
最初に大人がやってほしかった学習とは違うかもしれません。
でも、そこで何かに夢中になり、試し、考えているなら、その時間まで「勉強から逃げた時間」として扱う必要はありません。
manabisを考える中で大切にしている言葉があります。
「勉強から逃げた先にも、学びがある。」
これは、「嫌な勉強は全部しなくていい」という意味ではありません。
計算を練習しなければならないこともあります。
漢字を覚えなければならないこともあります。
学校のテストに向けて、気が進まなくても取り組まなければならない日もあります。
それでも、子どもの学び全体を見たときに、決められた勉強をしている時間だけを学びとして数えなくてもいいのではないか。
そう考えています。
ゲーム感覚で始めたあとに、勉強へ戻ることもある
面白いのは、遊びに近いところから始めたからといって、そのままずっと遊び続けるとは限らないことです。
CODEをやっていた子が、少しして計算を始める。
MAKEで作品をつくったあと、漢字をやる。
LABOを触っていて気になったことを、教科書で調べる。
百人一首から、歌の意味を調べ始める。
学習の入口と、そのあとに進む場所は同じでなくても構いません。
最初から、
「これから30分、算数を勉強する」
と決めなければ始められない環境よりも、
何かを始めたあと、その日の興味や状態に合わせて別の学びへ移動できる環境
をつくりたいと思っています。
manabisにいろいろな種類のアプリを置いている理由も、ここにあります。
「ご褒美があるから勉強する」も否定しない
学習にご褒美を使うことについては、さまざまな考え方があります。
「本来、勉強そのものを楽しいと思うべきだ」
という考え方もあります。
理想としては、学ぶことそのものを面白いと思える場面が増えてほしいと思います。
でも、毎日の学習すべてを純粋な知的好奇心だけで続けられる子どもばかりではありません。
大人だって同じです。
成果が見える。
ポイントが増える。
メダルが手に入る。
新しいアバターやペットが欲しい。
そんな理由で、
「もう少しやろう」
と思えることがあります。
その結果、もう10問計算した。
知らなかった漢字に出会った。
別の理科問題を解いた。
それなら、その動機も利用していいと考えています。
大切なのは、ご褒美だけを目的にして中身のない操作を繰り返させることではありません。
もう少し続けるきっかけとしてゲームの仕組みを使い、その先に実際の学習があることです。
子どもが「何をするか」を選べる余白を残す
大人がすべてを決めれば、学習を管理することは簡単になります。
今日は算数を20分。
次に漢字を10分。
そのあと英単語を20個。
終わったら終了。
それが必要な日もあります。
でも、それだけでは子どもが、
「今日は何をやろう」
と考える機会はありません。
manabisでは、計算を選んでもいい。
漢字でもいい。
英語でもいい。
理科や社会でもいい。
LABOでもMAKEでもCODEでもいい。
百人一首でもいい。
その日の入口を、自分で選べる余白を残しています。
もちろん、好きなものだけを選んでいればすべての学習が十分になるわけではありません。
必要な学習を大人が提案する場面もあります。
それでも、自分で選んだ学びが一つくらいあっていい。
そこから「自分で学ぶ」という感覚が生まれることがあります。
「遊びか、勉強か」を大人が急いで決めなくてもいい
子どもが何かに夢中になっているとき、
「それは勉強なの?」
とすぐに分類する必要はないのかもしれません。
何を考えているのか。
何を試しているのか。
昨日と違うことをしているのか。
うまくいかなかったとき、どうしているのか。
そこを見ると、遊びに見える活動の中にも学びが見つかることがあります。
逆に、机に座って問題を解いているからといって、必ず深く考えているとも限りません。
見た目だけでは、学びは判断できません。
manabisは、計算問題のような「いかにも勉強」という場所から、LABO、MAKE、CODEのように遊びとの境界が曖昧な場所まで、一つの中に置いています。
それは意図的です。
勉強する場所と遊ぶ場所の間に、はっきりした壁をつくらない。
その間を子ども自身が行ったり来たりできるようにする。
遊んでいたはずなのに考えていた。
勉強していたはずなのに面白くなってきた。
そんな境界の曖昧な時間も、manabisでは大切な学びの一部だと考えています。
STUDY POINT――学んだ量を一つの尺度で残す
manabisには、計算、漢字、英単語、理科、社会、百人一首、図形、LABO、MAKE、CODEなど、かなり性格の違う学びがあります。
ここで一つ問題が生まれます。
計算を100問解いたことと、英単語を25語学習したこと。
理科の問題に取り組んだことと、LABOで実験を続けたこと。
MAKEでものづくりをしたことと、CODEで何度もプログラムを直したこと。
これらを、どうやって同じmanabisの中に残せばよいのでしょうか。
単純に「問題数」で比べることはできません。
そもそもMAKEには問題がありません。
LABOにも、正解数を中心に置いていません。
そこでmanabisでは、異なる学びを横断して記録するために、STUDY POINTという共通の尺度を使っています。
アプリごとの「1問」を、そのまま比べない
同じ1問でも、必要な時間や負荷は違います。
簡単な計算を1問解くことと、複雑な図形問題を1問解くことを、まったく同じ「1問」として数えるのは少し不自然です。
英単語と素因数分解でも違います。
だからSTUDY POINTでは、単純に、
「1問正解=1ポイント」
とはしていません。
それぞれの学習内容に応じて、取り組みを共通のポイントへ換算します。
計算を繰り返す。
英単語を入力する。
図形を考える。
理科や社会の問題を解く。
それぞれ方法は違っても、学習したことをSTUDY POINTという一つの形にして残します。
目的は、異なる学習を完全に同じものとして扱うことではありません。
違う学びをしていても、「今日はこれだけ学んだ」という足跡を一つの場所に残せるようにすることです。
正解数を持たないLABO・MAKE・CODEも、学習として残す
STUDY POINTが特に重要になるのが、LABO、MAKE、CODEのような活動です。
LABOで、てこの重りを何度も動かした。
MAKEで、ブロックを組み合わせながら作品をつくった。
CODEで、ペットが思った方向へ進まず、何度もブロックを入れ替えた。
こうした活動には、
「今日は何問正解しました」
という数字がありません。
だからといって、学習していないわけではありません。
そこでLABO、MAKE、CODEでは、実際に操作しながら取り組んでいる時間をもとにSTUDY POINTへつなげています。
現在の仕組みでは、活動している時間が120秒積み重なるごとに1 STUDY POINTとなり、1日に獲得できるポイントには上限を設けています。
ただ画面を開いて放置しているだけの時間を増やしたいわけではないため、操作がしばらくなければ活動時間の計測は止まります。
正解したから学習したのではなく、試し、考え、操作していたことも学習として記録する。
STUDY POINTには、そうした役割もあります。
得意な学習だけでポイントを増やし続ける仕組みにはしない
ポイントがあると、
「一番簡単にポイントを取れるアプリだけをずっとやればいい」
という使い方もできてしまいます。
でも、それではポイントを集めることが学習そのものより強くなってしまいます。
そこでmanabisでは、それぞれの学習から1日に獲得できるSTUDY POINTに上限を設けています。
ある学習を十分にやったら、別の学習へ移ってみる。
もちろん、ポイントとは関係なく同じ学習を続けても構いません。
計算をもっと練習したければ、そのまま続ければいい。
MAKEの作品を完成させたいなら、ポイントの上限に達したあともつくり続ければいい。
STUDY POINTは、
「ここまでやったら勉強をやめなさい」という時間割ではありません。
学習した量を残すための一つの目安です。
「何を勉強したか」と「どのくらい取り組んだか」は別に残す
STUDY POINTだけを見ても、その日に何を学習したのかまでは分かりません。
同じ10ポイントでも、
計算を中心に取り組んだ10ポイントと、
英語や理科、CODEを行き来して獲得した10ポイントでは、中身が違います。
だからSTUDY POINTですべての学習記録を置き換えようとは考えていません。
どのアプリを使ったのか。
何に取り組んだのか。
どんな成果が残ったのか。
そうした情報には、それぞれ意味があります。
STUDY POINTは、その上にあるもう一つの尺度です。
学習内容の違いを消すのではなく、違う活動を横断して「取り組んだ量」を見るための数字として使っています。
小さな学習も、足していけば一日の記録になる
家庭学習では、毎日まとまった時間を確保できるとは限りません。
朝に少し計算した。
帰宅してから英単語をやった。
夜にCODEを少し触った。
一つひとつを見ると短い学習かもしれません。
でも、それらはすべて同じ一日の中で起きた学びです。
STUDY POINTがあれば、別々のアプリで行った学習も積み重なっていきます。
「今日は算数を30分やった」
という時間だけでは表しにくい、manabisのような学び方にも合っています。
何か一つを長時間やる日もある。
いろいろなものを少しずつ触る日もある。
そのどちらも、その日の学びとして残せます。
ポイントは、学力そのものを表す数字ではない
ここはとても重要です。
STUDY POINTが100の子どもは、50の子どもより学力が2倍高い。
そういう数字ではありません。
たくさん勉強したからといって、すべてを理解しているとも限りません。
短時間でも非常に深く考える学習もあります。
逆に、長時間取り組んでもなかなか理解できない日もあります。
学力や理解度を、一つのポイントですべて表すことはできません。
STUDY POINTが表しているのは、もっと限定されたものです。
「manabisの中で、今日これだけ学習に取り組んだ」という活動の記録です。
点数ではなく、足跡に近いものだと考えています。
無料でも、今日の頑張りは見える
manabisは、登録しなくても無料で使えます。
その状態でも、その日のSTUDY POINTを見ることができます。
今日はどのくらい取り組んだのか。
もう少しやってみようか。
違うアプリも触ってみようか。
その日の学習を少し見えるようにするだけでも、次の行動につながることがあります。
一方、登録して利用する環境では、STUDY POINTをその日だけで消さず、積み重ねていくことができます。
昨日の学び。
先週の学び。
これまで続けてきた学び。
それらが、自分の学習履歴として残っていきます。
ここには、無料で教材を使えるmanabisと、manabisを「自分の学習環境」として使うことの違いもあります。
STUDY POINTは「もっとやれ」と言うための数字ではない
学習量が数字になると、大人はつい、
「昨日より少ない」
「もっとポイントを取ろう」
と言いたくなるかもしれません。
でも、STUDY POINTを子どもを追い立てるための数字にはしたくありません。
今日は5ポイントだった。
昨日は20ポイントだった。
そんな日があって当然です。
大切なのは、毎日まったく同じ数字にすることではありません。
今日は少しだけでも学んだ。
今日はたくさんやった。
今月はこんなふうに積み重なった。
そうしたものが見えることで、
「自分は何もしていなかったわけではない」
と振り返れることにも意味があります。
問題の正解数だけでは残しにくかったLABOでの実験も、MAKEでのものづくりも、CODEでの試行錯誤も、その中に含まれます。
manabisには、いろいろな学び方があります。
だからこそ、そのすべてを一つの基準へ無理に押し込めるのではなく、それぞれの学び方を残したまま、共通して積み上がるものをつくりたかった。
今日は、これだけ学んだ。
その小さな実感を数字として残す仕組みが、STUDY POINTです。
メダル――「できた」を残す
勉強は、終わった瞬間には達成感があっても、その感覚がすぐに消えてしまうことがあります。
計算をたくさん解いた。
漢字を練習した。
英単語を覚えた。
理科や社会の問題に取り組んだ。
そのときには確かに頑張ったのに、数日後には「何をやったんだっけ」となることもあります。
manabisでは、そうした学習の積み重ねを残す仕組みの一つとして、メダルを用意しています。
メダルはテストの点数ではありません。
誰かから評価された証明書でもありません。
その学習に取り組み、一つの区切りまで進んだことを、
「できた」という形で残すものです。
100点を取らなくても、学習は積み重なっている
学校のテストでは、80点、90点、100点というように結果が数字で返ってきます。
それは、自分がどこまで理解できているのかを確認するために必要です。
一方、日々の学習には、テストの点数だけでは表しにくいものがあります。
今日は計算をたくさん練習した。
英単語を何度も入力した。
百人一首を繰り返した。
昨日より多く問題に取り組んだ。
そうした日常の学習に、毎回点数をつける必要はありません。
でも、
「ここまでやった」
という区切りはあってもいい。
manabisでは、アプリごとに学習を進めるとゲージがたまり、一定のところまで到達するとメダルを獲得できます。
一問の正解を一つの成果として終わらせるのではなく、複数の取り組みを積み重ねた先に一つのメダルがあります。
メダルまで、あと少し
学習を続けていると、
「あと少しでメダルが取れる」
という状態になります。
この「あと少し」は、意外と重要です。
何も目印がなければ、
「今日はもう終わり」
となっていたところで、
「もう少しだけやろう」
と思うことがあります。
あと数問。
あと少し。
そしてゲージが100%になる。
メダルを獲得する。
そのために追加で取り組んだ数問も、実際の学習です。
学習のご褒美というと、勉強とは関係のないものを外から与えるイメージがあります。
manabisのメダルは、それとは少し違います。
学習した結果そのものを、目に見える形へ変えるためのものです。
同じアプリでも、何枚も獲得できる
一度メダルを取ったら、そのアプリは終了。
そういう仕組みにはしていません。
計算は、一度一定量を解いたからといって、それ以降の練習が不要になるわけではありません。
英単語も、漢字も、百人一首も同じです。
だから、また取り組めば次のメダルを目指せます。
1枚目。
2枚目。
3枚目。
少しずつ増えていきます。
このとき重要なのは、
「この単元を完全に習得した」
という認定ではありません。
メダルの枚数は、理解度をそのまま表す数字ではないからです。
むしろ、
「これだけ取り組んできた」
という活動の蓄積に近いものです。
LABO・MAKE・CODEにもメダルがある
問題を解くアプリだけにメダルを用意すると、
「正解できる活動だけが学習である」
という見え方になってしまいます。
しかし、これまで紹介してきたように、manabisではLABOで実験することも、MAKEでものをつくることも、CODEで試行錯誤することも学びとして扱っています。
そこでLABO、MAKE、CODEにもメダルがあります。
これらでは、正解数を積み重ねる代わりに、実際に活動している時間を積み重ねます。
現在は、それぞれ20分の活動で一つのメダルにつながります。
もちろん、
「20分経ったから実験を理解した」
「20分MAKEをしたから創造力が身についた」
という意味ではありません。
そうではなく、
問題の正解数では数えられない活動にも、取り組んだ記録を残す
ためのメダルです。
メダルが、別の学習へ移るきっかけになる
メダルにはもう一つ面白い役割があります。
一つのアプリでメダルを取ったあと、
「次は何のメダルを取ろう」
と考えることがあります。
計算のメダルを取ったから、次は漢字。
漢字の次は理科。
百人一首をやってみる。
LABOを触ってみる。
最初の目的は「別のメダルが欲しい」だけかもしれません。
でも、そのために別の学習へ移れば、今まで使っていなかったアプリに触れることになります。
manabisにはさまざまな学びを置いているので、メダルを集めること自体が、違う学習へ移動するきっかけにもなります。
これは、一つの教材を最初から最後まで順番に進める仕組みとは少し違います。
ゲストでも、最初の達成感は味わえる
manabisは登録せずに使い始められます。
その状態でも、学習を進めればメダルを獲得できます。
無料だから、登録していないから、成果が何も起きないということにはしていません。
初めてmanabisを開いた子どもが計算を始める。
ゲージが少しずつ伸びる。
100%になる。
メダルを獲得する。
そこまでを、アカウント作成の前に体験できます。
「登録しないと続きができません」
ではなく、
まず学んで、まず達成感を得る。
manabisが登録不要で始められることと、メダルの仕組みはここでもつながっています。
メダルは、次の楽しみにもつながっている
manabisでは、メダルは単独で存在しているわけではありません。
集めたメダルは、アバターやペットといった別の楽しみにもつながっています。
最初のメダルを取った。
すると、新しいものが手に入る。
さらにメダルを集めると、また次の楽しみがある。
この仕組みを入れているのは、
「勉強したのだから、ご褒美をあげよう」
という単純な発想だけではありません。
学習したことが、その日の正解数として消えていくのではなく、
manabisの中に何かを増やしていく感覚
をつくりたいからです。
学べば、自分の世界に少し変化が起きる。
その変化が、
「次もやってみよう」
につながることがあります。
「頑張ったね」と言われなくても、自分で見える
子どもの学習を大人が見て、
「今日は頑張ったね」
と声をかけることには大きな意味があります。
でも、すべての学習をいつも誰かが見ているとは限りません。
家で一人で取り組むこともあります。
大人が忙しくて、何問やったのか気づかないこともあります。
そんなときでも、
メダルが一枚増えた。
という結果は残ります。
誰かに褒めてもらう前に、自分で、
「取れた」
と分かります。
学習の評価をすべてシステムに任せたいわけではありません。
人から認めてもらうことと、画面上のメダルには違う価値があります。
それでも、自分が取り組んだことを自分で確認できる小さな証拠があることには意味があります。
メダルは「学力」ではなく「積み重ね」のコレクション
メダルをたくさん持っているから、他の人より頭がいい。
そういうものにはしたくありません。
得意な学習も違います。
使っている時間も違います。
学び始めた時期も違います。
だからメダルの枚数を、そのまま学力の順位として見ることはできません。
メダルが表しているのは、
計算した。
覚えた。
問題を解いた。
実験した。
つくった。
試した。
そうした一つひとつの積み重ねです。
今日の学習が終わったとき、何も残らないのではなく、一枚増えている。
明日また学べば、さらに増える。
そのメダルを見れば、
「自分はこれだけやってきた」
と振り返ることができます。
manabisのメダルは、学習を評価するための勲章ではありません。
学んだ時間の中にあった小さな「できた」を、一つずつ消えない形にしていく。
そのためのコレクションです。
アバターとペット――「勉強に必要ないもの」を、なぜ入れたのか
計算をできるようになるために、アバターは必要ありません。
漢字を覚えるために、ペットも必要ありません。
英単語のスペルを覚えるためにも、図形の面積を求めるためにも、理科や社会の問題を解くためにも、本来ならなくても困らないものです。
学習サービスに必要な機能だけを考えるなら、問題と答え、解説、学習記録があれば十分だという考え方もできます。
それでもmanabisには、アバターとペットを入れています。
それは、子どもが学習するときに必要なのは、教材として必要なものだけではないと考えているからです。
メダルを集める理由が、もう一つあってもいい
前の章で紹介したように、manabisでは学習を積み重ねることでメダルを獲得できます。
メダルそのものにも、
「ここまでやった」
という達成感があります。
でも、メダルを集めることで、その先に別の楽しみも生まれます。
アバターが増える。
ペットが増える。
新しく手に入れたものを使ってみる。
すると、
「次のアバターが欲しい」
「新しいペットが欲しい」
という理由で、もう一枚メダルを取りたくなることがあります。
最初の動機が、
「計算力を高めたい」
でなくても構いません。
「アバターが欲しいから、もう少しやる」
でも、そのために実際に計算をしたのであれば、その時間には計算練習が起きています。
実際に子どもたちが反応したのは、こういう部分だった
MOANAVIで実際に子どもたちにmanabisを使ってもらったとき、アバターやペットにはすぐに反応がありました。
「こんなアバターが欲しい」
「こんなペットがあったらいい」
という話が出ます。
そして、欲しいものを手に入れるためにメダルを集めようと、いろいろな学習アプリへ移っていく姿も見られました。
これは、manabisをつくる側にとっても興味深いことでした。
大人が、
「今日は算数の次に理科をやりなさい」
と指示したわけではありません。
子ども自身の目的は、アバターやペットだったかもしれません。
でも、そのために、
「こっちのアプリもやってみよう」
と別の学習へ動いたのです。
学習内容そのものとは直接関係のない楽しみが、学習と学習の間をつなぐことがあります。
「勉強そのものを好きにさせる」ことだけを目標にしない
理想を言えば、子どもが学ぶことそのものを面白いと思い、自分からどんどん勉強してくれれば、それが一番簡単です。
実際、好きな分野ならそうなることがあります。
理科が好きで、放っておいても調べる子。
歴史が好きで、本を読み続ける子。
計算すること自体を楽しめる子。
でも、すべての子どもが、すべての学習内容を好きになるわけではありません。
好きではないけれど、練習した方がいいこともあります。
必要だと分かっていても、やりたくない日もあります。
そんなとき、
「勉強は将来のために必要だからやりなさい」
という理由だけでは動けないことがあります。
それなら、
「あと少しでペットが手に入る」
という理由を使ってもいい。
manabisでは、学習への動機を一種類に限定しないようにしています。
自分で選べることが、manabisを「自分の場所」にする
アバターは、ただ集めるだけではありません。
手に入れた中から、自分が使いたいものを選べます。
ペットも同じです。
誰もが同じ見た目の画面を使うのではなく、
「自分はこれがいい」
と選べる部分があります。
これは学力とは関係ありません。
テストの点数も上がりません。
でも、毎回開く場所に自分で選んだものがいることには、教材としての効率とは別の価値があります。
学校のノートに好きなシールを貼ったり、筆箱にお気に入りのものを入れたりするのと少し似ています。
それがなくても勉強はできます。
でも、自分が使うものに少し愛着があると、その場所との関係が変わることがあります。
manabisを単に、
「無料の問題を解くサイト」
として使うだけでなく、
「自分が使っている学習環境」
にしていくための要素の一つが、アバターやペットです。
最初から全部持っているより、少しずつ増える方が面白い
もし最初からすべてのアバターとペットを自由に選べたら、好きなものをすぐ使えます。
それも一つの方法です。
でもmanabisでは、学習を続けることで少しずつ獲得していく仕組みにしています。
最初は少ない。
メダルを取る。
一つ増える。
さらに学ぶ。
また増える。
すると、学習した時間が別の形でも残っていきます。
STUDY POINTは数字として積み上がります。
メダルは学習の区切りとして増えていきます。
そしてアバターやペットは、学習によって自分のコレクションが広がったことを目で見せてくれます。
同じ「学習履歴」でも、数字だけとは違った残り方です。
ペットは、ただの画像で終わらせない
ペットには、もう一つ役割があります。
manabisの中で一緒に過ごす存在です。
学習を続ける中で、少しずつ親しみを持てるような仕組みを入れています。
さらにCODEの「ダンジョン脱出」では、自分が選んでいるペットが実際に迷路の中を動きます。
普段manabisの中にいるペットが、今度は自分のプログラムによって動く。
前へ進む。
曲がる。
壁の前で止まる。
自分が組んだコードが間違っていれば、思っていた場所へ行ってくれません。
こうなるとペットは、単なるプロフィール画面の飾りではなくなります。
manabisの別々の場所をつなぐ存在にもなります。
「欲しい」が、新しい学習との出会いをつくる
アバターやペットを集めたい。
そのためにメダルが欲しい。
では、どの学習をやろう。
いつも計算ばかりやっていた子が、別のアプリを開いてみる。
百人一首を触ってみる。
理科の問題をやってみる。
図形に挑戦してみる。
最初は報酬が目的でも、そこで面白いものが見つかるかもしれません。
「これ、意外と好きかも」
という学習に出会える可能性があります。
大人が、
「いろいろな教科をバランスよく勉強しましょう」
と言う代わりに、
子ども自身の「欲しい」を、別の学びへ移動する力として使う。
アバターやペットには、そんな役割も期待しています。
学習に必要ないからこそ、入れる意味がある
教育サービスをつくっていると、
「これは学力向上に直接必要なのか」
という基準で機能を考えたくなります。
その基準だけなら、アバターもペットも最初に削られるものかもしれません。
でも、子どもは教材を処理するための機械ではありません。
面白いから触る。
欲しいから頑張る。
好きなものを選びたい。
集めたい。
誰かに見せたい。
そうした気持ちを持っています。
それをすべて学習から排除して、
「純粋に勉強だけをしなさい」
とする必要はないと考えています。
計算には計算そのものの価値があります。
漢字には漢字を学ぶ価値があります。
LABOには実験する価値があり、MAKEにはつくる価値があり、CODEには仕組みを考える価値があります。
そして、その周りに、
「もう少し続けてみたい」
と思えるものがあってもいい。
アバターやペットは、勉強するために絶対に必要なものではありません。
だからこそmanabisでは、あえて入れています。
学習だけを並べた場所ではなく、子どもが「また開きたい」と思える自分の学習環境をつくるためです。
「頑張った」が見えなくならないようにする
子どもの学習を見ていると、結果だけでは分からないことがたくさんあります。
同じ10問正解でも、すぐに解けた10問と、何度も間違えながらようやく解けた10問では過程が違います。
昨日は5分しかできなかった子が、今日は20分取り組んだかもしれません。
今まで避けていた図形問題を、初めて自分から開いたかもしれません。
LABOで何度も条件を変えていたかもしれない。
MAKEで一度つくったものを全部壊して、最初からつくり直したかもしれない。
CODEでは、ゴールできるまで何度もプログラムを修正したかもしれません。
ところが、こうした学びの多くは、その場で消えていきます。
画面を閉じれば、今日どれだけ試したのかは見えなくなる。
一週間後には、本人も忘れているかもしれません。
manabisでは、学習を支えるためには「何を学べるか」だけでなく、学んできたものが見えなくならないことも大切だと考えています。
点数だけでは残せない頑張りがある
学習成果を分かりやすく示す方法の一つが、テストの点数です。
前回60点だったものが80点になった。
正答率が上がった。
できなかった問題ができるようになった。
こうした変化は、とても大切です。
しかし、点数になる前の時間もあります。
まだうまくできないけれど練習している。
分からないことを調べている。
何度も間違えている。
試している。
つくり直している。
そうした途中の状態を、
「まだできていないから成果はゼロ」
としてしまうと、学習のかなり大きな部分が見えなくなります。
だからmanabisでは、正解したかどうかだけではなく、STUDY POINTやメダルなどを使って、取り組んだこと自体も別の形で残せるようにしています。
学習履歴は「監視するための記録」だけではない
学習記録という言葉から、
「保護者が子どもの勉強を確認するための機能」
を想像することがあります。
何時に勉強したのか。
何問やったのか。
どのくらい取り組んだのか。
もちろん、家庭学習の様子を知るために記録が役立つことはあります。
でも、manabisで学習履歴を残す一番の目的を、子どもを監視することにはしたくありません。
記録は、本人が自分の学習を振り返るためにも使えます。
「今月、意外とやってるな」
「最近は英語をよくやっている」
「前は計算ばかりだったけど、理科も増えてきた」
「こんなにメダルを集めたんだ」
自分がしてきたことは、毎日の中では意外と見えません。
だからこそ、過去の自分の行動をあとから見られることに意味があります。

数字だけでなく、集めたものにも履歴が残る
学習記録というと、グラフや表を想像しがちです。
何問。
何分。
何ポイント。
何日。
数字は比較しやすく、とても便利です。
manabisにもSTUDY POINTがあります。
でも、子どもにとって学習の積み重ねが数字だけで見えることが、いつも一番面白いとは限りません。
そこで、メダルがあります。
アバターがあります。
ペットがあります。
MAKEなら、自分がつくった作品を保存できる環境もあります。
これらも見方を変えれば、学習履歴です。
今持っているアバターは、最初から全部与えられたものではありません。
メダルを集めたから増えたものがあります。
ペットも同じです。
作品なら、そのとき自分が何をつくったのかがそのまま残ります。
数字の履歴と、コレクションとしての履歴と、作品としての履歴。
学習したことを一つの形だけで残す必要はありません。
「できなかった日」まで失敗にしない
学習記録には、一つ注意したいことがあります。
記録が残るようになると、空白も見えるようになることです。
昨日は20ポイント。
今日は3ポイント。
昨日はたくさん勉強したのに、今日はほとんどできなかった。
そこで、
「今日は全然ダメだった」
と評価してしまうことがあります。
でも、人間の状態は毎日同じではありません。
たくさんできる日があります。
少ししかできない日があります。
何もしたくない日もあります。
manabisの記録は、毎日同じ量を達成することを要求するためのものではありません。
3ポイントしか取れなかった日でも、その3ポイント分は何かをしたということです。
一問だけでも問題を解いた。
少しだけ英単語をやった。
LABOを触った。
そうした小さな活動まで、
「少ないから意味がない」
と消してしまわないようにしたいと思っています。
続けてきたことは、あとから見たときに大きくなる
一日の学習だけを見ると、小さなものです。
計算を20問。
漢字を少し。
英単語を10個。
CODEを10分。
それだけでは、大きな成果に見えないかもしれません。
でも、それが何日も積み重なると話が変わります。
今日の20問だけではなく、これまで解いてきた問題がある。
今日のメダル1枚だけではなく、今まで集めてきたメダルがある。
一日では小さかったものが、時間が経つと、
「こんなにやってきた」
という量になります。
学習習慣をつくるときにも、この感覚は大切です。
毎日大きな成果を出そうとすると続かなくても、小さな学習なら始められることがあります。
その小さな学習が消えずに残れば、あとから自分の積み重ねとして見ることができます。
無料で始められることと、残していくことは分けて考える
manabisでは、登録しなくても学習を始められます。
これは最初から大切にしていることです。
無料で、登録なしで、広告なしで、インストールもせずに使える。
「ちょっとやってみよう」と思ったときに、まず使えることを優先しています。
一方で、長く使うほど、
「昨日までの学習を残したい」
「集めたものを消したくない」
「MAKEの作品を保存したい」
という価値も出てきます。
そこで、登録して利用する環境では、学習履歴やSTUDY POINT、獲得したアバターやペットなどを、学習者自身のものとして積み重ねていけるようにしています。
これは、無料版ではまともに学べないように制限するという考え方とは違います。
無料では教材を使える。
登録して使う環境では、manabisを「自分の学習環境」として残していける。
この違いを大切にしています。
大人が気づかなかった頑張りもある
家庭では、保護者が子どもの学習をすべて見ているわけではありません。
学校や学習の場でも、先生が一人の子どものすべての行動を見ることはできません。
大人が別のことをしている間に、自分で問題を解いていたかもしれません。
誰にも言わずに英単語をやっていたかもしれません。
何度も失敗しながらCODEを直していたかもしれません。
それを誰も見ていなかったからといって、その頑張りがなかったことになるわけではありません。
記録が残っていれば、
「これやったんだ」
とあとから気づくことができます。
そして、そのとき初めて、
「頑張ったね」
という会話が生まれることもあります。
システムが人間の代わりに子どもを評価するのではなく、人間が子どもの学びに気づくための材料を残す。
学習記録には、そんな役割もあると思っています。
「何ができるようになったか」と同じくらい、「何をしてきたか」を残したい
教育では、どうしても成果が求められます。
何ができるようになったのか。
どこまで理解したのか。
テストで何点取れたのか。
それらを確かめることは必要です。
でも、成果が出るまでには過程があります。
分からなかった。
間違えた。
やり直した。
少しできた。
また忘れた。
もう一度やった。
試してみた。
つくり直した。
そうした時間を通って、ようやく「できる」にたどり着くことがあります。
manabisでは、最終的な正解だけを残すのではなく、その途中にあった学習もできるだけ消したくありません。
STUDY POINT。
メダル。
アバターやペット。
学習履歴。
作品。
それぞれ形は違いますが、根底にある考え方は同じです。
子どもが今日やったことを、明日になったらなかったことにしない。
小さな「頑張った」を積み重ねて、あとから自分でも振り返れるようにする。
それも、manabisを単なる無料学習サイトではなく、長く使える学習環境にしていくために必要なことだと考えています。
manabisでは「全部やる必要」はない
manabisには、いろいろな学習があります。
計算。
漢字。
英単語。
理科や社会。
図形。
素因数分解や正負の数。
百人一首。
都道府県や世界の統計。
雨温図。
そして、LABO、MAKE、CODE。
これだけ並んでいると、
「毎日バランスよく全部やった方がいいのでは?」
と思うかもしれません。
でも、manabisでは全部やることを目標にはしていません。
今日は計算だけでもいい。
百人一首ばかりやる日があってもいい。
LABOをずっと触っている日があってもいい。
MAKEで作品をつくって終わる日があってもいい。
大切にしたいのは、用意されたものを全部消化することではなく、その子がその日に学びへ向かえる入口を見つけることです。
学習サイトを「上から順番に終わらせるもの」にしない
一般的な教材には順番があります。
1ページが終わったら2ページ。
第1章が終わったら第2章。
小学4年生の内容が終わったら小学5年生へ進む。
体系的に学習するときには、とても合理的な方法です。
manabisにも、それぞれの学習内容には段階があります。
しかし、manabis全体を一冊の問題集のように、
「最初から最後まで順番に全部終わらせるもの」
にはしていません。
計算をしていた子どもが、突然都道府県を見てもいい。
雨温図から日本の気候に興味を持ってもいい。
CODEをやったあとに百人一首へ移ってもいい。
MAKEをして、その日は終わってもいい。
manabisの中を移動するときに、決められた順路はありません。
得意なものから始めてもいい
家庭学習では、
「苦手なところを勉強しなければ」
と考えがちです。
もちろん、苦手な内容を練習することは必要です。
でも、毎回苦手なものから始めなければならないわけではありません。
算数が得意なら、まず計算をする。
百人一首が好きなら、そこから始める。
社会が好きなら、都道府県ランキングを見る。
ものづくりが好きなら、MAKEを開く。
自分が入りやすいところから学習を始める。
一つ始めると、
「もう少しやろうかな」
となることがあります。
そこから別の学習へ移る日もあります。
苦手な学習へ向かう前に、まず学習そのものを始めるための助走があってもいいと思っています。
好きなものばかりやる時期があってもいい
子どもが何かに夢中になると、同じことを繰り返すことがあります。
百人一首ばかり。
計算ばかり。
都道府県ばかり。
MAKEばかり。
大人から見ると、
「もっといろいろやった方がいいのでは」
と思うかもしれません。
確かに、長い目で見ればさまざまな分野を学ぶ必要があります。
でも、短い期間まで必ず均等にする必要はありません。
好きだから何度もやる。
昨日より詳しくなる。
もっと知りたくなる。
自分なりのやり方を見つける。
一つのことに集中している時間にも価値があります。
そして、興味はずっと同じとは限りません。
ある日突然、別のものへ移ることがあります。
manabisでは、そのとき次の入口がすぐ近くにある状態をつくっています。
「今日はこれしかできなかった」と考えない
家庭学習を続けていると、
「今日は計算しかできなかった」
「10分しか勉強できなかった」
という日があります。
でも、
「計算しかできなかった」ではなく、「今日は計算をした」
と考えることもできます。
10分しかできなかったのではなく、10分は学習した。
CODEを少しだけ触った。
漢字を何問かやった。
LABOで実験した。
何もしなかったことと、少しでも何かに触れたことは同じではありません。
特に、勉強への抵抗が強い子どもにとっては、学習を始めること自体が大きなハードルになる場合があります。
そこで最初から、
「今日は国語、算数、理科、社会を全部やろう」
とすると、始める前から重くなってしまうことがあります。
それなら、
「何か一つ選んでみる?」
くらいから始めてもいい。
学年だけで、やることを全部決めなくてもいい
子どもの学習状況は、学年だけでは決まりません。
小学6年生でも、小学4年生の計算を復習したいことがあります。
中学生でも、小学校の漢字を確認したいことがあります。
反対に、小学生が興味を持って中学校で扱う内容を触ってみても構いません。
学校の授業では、学年ごとに学習内容を整理する必要があります。
一方、自宅での自主学習まで、必ず同じ境界で区切る必要はありません。
分からなければ戻る。
簡単なら先へ進む。
面白そうなら触ってみる。
今の自分に必要なところを使う。
manabisを学年別の一本道だけにしないのは、そのためでもあります。
すべてを一人で決めなくてもいい
「自分で選んでいい」と言われても、何をすればいいのか分からない子どももいます。
それも当然です。
そんなときは、大人が選択肢を少し絞ってもいいと思います。
「今日は計算と漢字、どっちにする?」
「学校で今やっているところを少しやってみる?」
「今日は問題を解きたくなければLABOでもいいよ」
完全に自由にすることと、すべて大人が決めることの間には、たくさんの方法があります。
子どもの状態によって、その幅を変えればいい。
今日は自分で決められる。
今日は決めてもらった方が楽。
そういう違いもあります。
manabisが選択肢を多く用意しているのは、子どもにすべての判断を任せるためではなく、その子に合わせて選べる余地を増やすためです。
学習履歴を「やっていないもの探し」に使わない
学習記録が残ると、
「算数はやっているけれど、英語をやっていない」
「理科のメダルが少ない」
と、空いているところが気になります。
もちろん、それを見て次の学習を提案することはできます。
ただ、学習履歴をいつも、
「何が足りないかを探す表」
として見る必要はありません。
「今月はこれをよくやったんだね」
「最近CODEをよくやっているね」
「メダルが増えたね」
と、やったものを見ることもできます。
不足を見るための記録と、積み重ねを見るための記録。
同じデータでも、見方によって子どもへの伝わり方は変わります。
学校の勉強をすべてmanabisで完結させる必要もない
manabisにたくさんのアプリが増えても、学校で学ぶすべてをmanabisだけで完結させようとは考えていません。
本を読むことも学習です。
ノートに書くことも必要です。
実物を使った実験もあります。
人と話して分かることもあります。
外へ出て初めて分かることもあります。
学校の授業で学ぶこともあります。
manabisは、その中の一つです。
だから、
「manabisのアプリを全部やれば勉強は完成」
ではありません。
逆に、
「manabisを使うなら全部やらなければならない」
でもありません。
必要なときに必要なものを使えばいい。
「全部ある」ことと「全部やらせる」ことは違う
manabisには、これからも学べるものを増やしていきたいと考えています。
計算だけではなく漢字もある。
理科も社会もある。
問題を解くものだけではなくLABOもある。
MAKEもCODEもある。
選択肢が増えれば増えるほど、子どもがその日に入れる場所も増えます。
でも、選択肢を増やす目的は、やるべきことを増やすためではありません。
全部やらせるために、全部用意するのではない。
その日の子どもが、
「これならやってみようかな」
と思えるものに出会える可能性を増やすために、いろいろな学びを置いています。
今日は一つでもいい。
途中で変えてもいい。
前に戻ってもいい。
好きなものを繰り返してもいい。
必要なら、大人と一緒に決めてもいい。
manabisは、用意された学習をすべて消化するための場所ではありません。
たくさんある学びの中から、その日の自分が進めるところを見つける場所。
全部あるけれど、全部やる必要はない。
その余白を残しておくことも、子どもが自分のペースで学び続けるために必要だと考えています。
参考書も、教科書も、先生も使っていい
manabisで問題を解いていて、分からない問題が出てきたとします。
そんなとき、
「自分の力だけで解かなければならない」
とは考えていません。
教科書を開いてもいい。
参考書で調べてもいい。
ノートを見返してもいい。
家族に聞いてもいい。
学校や塾の先生に質問してもいい。
必要なら、別のWebサイトや動画で調べてもいい。
調べたあとでmanabisへ戻り、自分で答えてみる。
それも立派な学習です。
manabisは、子どもにすべてを教える場所ではありません。
むしろ、分からないことが出てきたときに、別のものを使いながら自分で先へ進めることを大切にしています。
「何も見ないで解ける」だけが学習ではない
テストでは、教科書を見ることができません。
だから最終的には、自分の知識や考える力だけで答えられることも必要になります。
でも、学習している途中までテストと同じ条件にする必要はありません。
たとえば、都道府県について知らないことが出てきた。
地図帳を開いて調べる。
雨温図を見ていて、日本海側の気候の特徴を忘れてしまった。
教科書を確認する。
英単語が分からない。
辞書で調べる。
理科の問題が分からない。
参考書の該当する単元を読む。
そのあと、もう一度問題へ戻る。
この過程では、最初から答えを知っていたわけではありません。
でも、
分からない → 調べる → 分かる → 使ってみる
という学習が起きています。
最初から知っていることを答えるだけが勉強ではありません。
manabisを「問題を出す側」として使う
家庭学習で意外と難しいのが、
「何を勉強すればいいのか」
を決めることです。
教科書を開いても、どこを復習すればいいか分からない。
参考書を持っていても、最初から読む気にはならない。
そんなとき、manabisで問題を始めてしまう方法があります。
問題が出る。
分かれば答える。
分からなければ調べる。
つまりmanabisが、
「今日はこれについて考えてみよう」
というきっかけを出す役割になります。
参考書を最初から最後まで読む必要はありません。
問題に出てきたところだけ調べてもいい。
そこから気になった部分をもう少し読んでもいい。
問題を解くために開いた教科書から、別のことに興味が広がることもあります。
答えを調べることと、答えを写すことは違う
分からない問題を調べていいと言うと、
「それでは答えを見ながら解くだけにならないか」
と思うかもしれません。
もちろん、答えそのものを見つけて、そのまま入力するだけなら、考える部分は少なくなります。
でも、
「答えを見てはいけない」
というルールだけでは、調べる学習まで止めてしまうことがあります。
大切なのは、何を調べるかです。
たとえば、
「台形の面積の公式を忘れた」
なら、公式を調べる。
そして、その公式を使ってmanabisの問題を自分で計算する。
「この漢字の読み方が分からない」
なら、辞書で調べる。
そのあと、もう一度自分で答えてみる。
「なぜ日本海側では冬に降水量が多いのか分からない」
なら、教科書を読んで確かめる。
分からないところを特定し、必要な情報を探し、それを使う。
これも学ぶ力の一つです。
先生は「答えを教える人」だけではない
先生に聞くことも同じです。
分からない問題があると、
「先生、答えは何ですか?」
と聞くことができます。
でも先生とのやり取りは、それだけではありません。
「ここまでは分かったけれど、この先が分からない」
「この二つの違いが分からない」
「こう考えたけれど、どこがおかしい?」
と質問することもできます。
自分で一度考えたものがあると、質問も具体的になります。
そして先生は、その子がどこで困っているのかを見ながら支援できます。
manabisが問題も説明もすべて完結させ、先生を必要なくすることを目指しているわけではありません。
むしろ、
子どもが自分で進み、必要なところで人を頼れる状態
をつくりたいと考えています。
LABOで分からなければ、教科書へ戻ってもいい
これは問題形式のアプリだけではありません。
LABOでてこを動かしていて、
「どうしてこの組み合わせでつり合うんだろう」
と思った。
そこで教科書を読む。
てこの仕組みについて調べる。
そして、もう一度LABOへ戻って同じ条件をつくる。
すると、最初は何となく見ていた現象が、別の見え方になることがあります。
逆の順番でも構いません。
学校でてこの原理を習った。
家でLABOを開いて試してみる。
「本当にそうなる」
と確認する。
読むこと、教えてもらうこと、操作することは、別々の学習ではなく行き来できます。
CODEでも「自分で全部思いつく」必要はない
CODEでプログラムがうまく動かないときも、自分一人で永遠に悩む必要はありません。
繰り返しの使い方を確認する。
条件分岐について調べる。
誰かに、
「ここ、どう考えればいい?」
と相談する。
ヒントをもらったら、自分のコードへ戻って試す。
ものづくりでも同じです。
MAKEでつくりたい形があるなら、実物の建物や写真を参考にしてもいい。
誰かの作品からアイデアを得てもいい。
学ぶということは、何もないところから全部自力で生み出すことではありません。
必要な情報や人を使いながら、自分の目的へ近づいていくことも学習です。
「先生がいなくても学べる」と「先生はいらない」は違う
manabisは、一人でも学習を始められるようにつくっています。
家庭で使うとき、毎回隣に先生がいる必要はありません。
問題は自動で出ます。
答え合わせもできます。
LABOなら自分で実験できます。
MAKEなら自分でつくれます。
CODEなら自分でプログラムを組んで実行できます。
これは、子どもが自分で学習を進めるためには大きな利点です。
でも、
「一人でも学べる」と「人に教えてもらう必要がない」は同じではありません。
どうしても分からないことがあります。
自分では気づけない間違いがあります。
誰かと話したことで、急に理解できることがあります。
自分では思いつかなかった見方を教えてもらうこともあります。
そういうところには、人がいる意味があります。
manabisだけで学習を囲い込まない
学習サービスをつくる側としては、
「このサービスだけですべてできます」
と言えた方が魅力的に見えるかもしれません。
でも、実際の学習はそんなに単純ではありません。
教科書には教科書の良さがあります。
参考書には、体系的に説明を読める良さがあります。
紙のノートには、自分の手で書いて整理できる良さがあります。
本物の実験には、画面では再現できない経験があります。
先生には、その子を見ながら関われる強みがあります。
友達との会話から分かることもあります。
manabisが、それらを全部置き換える必要はありません。
むしろ、それぞれの良さを使いながら学べる方が自然です。
分からないときに「どうするか」を選べる人へ
学習を続けていれば、必ず分からないものに出会います。
そのとき、
「分からないから終わり」
ではなく、
教科書を見る。
参考書を探す。
前の単元へ戻る。
実験してみる。
検索してみる。
先生に聞く。
家族に相談する。
別の方法で考える。
いろいろな選択肢を持っている方が、学習を続けやすくなります。
manabisが目指しているのは、子どもが何も見ず、誰にも頼らず、すべて一人で正解できる状態ではありません。
自分で進めるところは自分で進み、分からなくなったら必要なものを使い、それでも難しければ人を頼る。
そして、分かったらまた自分で進んでみる。
教科書も、参考書も、先生も、manabisも、そのために使える道具の一つです。
manabisは「教えてもらう場所」そのものになるのではなく、いろいろなものを使いながら、自分で学び続けるための場所でありたいと考えています。
家庭でmanabisを使うなら
manabisは、家庭学習でも使えるようにつくっています。
無料で使えて、登録しなくても始められます。
アプリをインストールする必要もなく、ブラウザを開けば使えます。
だから、
「家庭学習用に新しい教材を準備しよう」
と身構えなくても構いません。
今日、少し勉強してほしい。
学校で習った計算を練習したい。
漢字を復習したい。
何を勉強すればいいのか決まっていない。
問題集をやる気分ではないけれど、何かには取り組めそう。
そんなときに、まずmanabisを開いてみる。
家庭で使うなら、毎日の決まったカリキュラムとして使う方法だけでなく、その日の学習を始める入口として使う方法があります。
最初から「30分勉強しよう」と決めなくてもいい
家庭学習を習慣にしようとすると、
「毎日30分勉強する」
「算数を20分、国語を20分」
と時間を決めたくなります。
それで続けられる子どもなら、それもよい方法です。
でも、勉強を始めること自体に抵抗がある子どもにとっては、
「これから30分」
という言葉だけで重く感じることがあります。
そんなときは、
「manabisで何か一つやる?」
くらいでも構いません。
計算を少し始める。
漢字を一つやる。
百人一首を開く。
LABOでてこを動かしてみる。
CODEでダンジョンに挑戦する。
始めてみたら、そのまま続くかもしれません。
5分で終わるかもしれません。
どちらでも、最初から何もしなかったのとは違います。
家庭学習を続けるためには、終わる時間を管理することと同じくらい、始めるまでのハードルを下げることも大切です。
「今日は何をすればいい?」なら、一緒に選ぶ
manabisにはいろいろな学習があるため、逆に、
「何をやればいいか分からない」
となることもあります。
そんなとき、すべて子どもに決めさせる必要はありません。
たとえば、
「学校で今やっている算数を少しやってみる?」
「計算と漢字ならどっちがいい?」
「今日は問題を解くのとLABO、どっちにする?」
というように、選択肢を少なくしても構いません。
大人が全部決めるのでもなく、完全に自由にするのでもない。
その間に、
大人が選択肢を用意して、子どもが最後に選ぶ
という方法があります。
自分で決めるのが得意になってきたら、少しずつ任せる範囲を広げてもいいでしょう。
学校で習っているところの練習にも使える
家庭学習では、学校の授業と組み合わせる使い方もできます。
今、学校で計算を習っているなら計算を練習する。
図形を学んでいるなら図形問題に取り組む。
正負の数を学んでいる中学生なら、その計算を練習する。
社会で日本の気候を学んでいるなら雨温図を見る。
百人一首に取り組んでいる時期なら、家でも繰り返し練習する。
学校で一度習ったことでも、その場ですべて定着するとは限りません。
もう一度やってみる。
違う問題で確かめる。
忘れていたら教科書を確認する。
家庭での復習に、manabisを使うことができます。
苦手なところまで、必ずmanabisだけで解決しなくていい
家庭学習で保護者が困りやすい場面の一つが、
「分からないと言われたけれど、どう教えればいいか分からない」
というときです。
前の章で書いた通り、manabisですべてを解決する必要はありません。
分からなければ教科書を見る。
学校でもらった資料を見る。
参考書を使う。
先生に聞く。
必要なら保護者と一緒に調べる。
そして、分かったところでもう一度manabisの問題へ戻る。
保護者が毎回先生の代わりになって、すべてを説明しなければ家庭学習が成立しない、という状態にはしたくありません。
子ども自身が使える教材や人を組み合わせながら進めることも、家庭学習の一つの形です。
「勉強したくない日」の選択肢を持っておく
毎日同じように勉強できる子どもばかりではありません。
学校から帰って疲れている日。
嫌なことがあった日。
何となく集中できない日。
どうしても問題集を開きたくない日。
そんな日に、
「それでも算数をやりなさい」
と押し続ける方法もあります。
でも、別の入口を用意することもできます。
「じゃあLABOにする?」
「MAKEで何かつくる?」
「CODEやってみる?」
「百人一首ならどう?」
最初に予定していた学習とは違います。
それでも、そこで考えたり、試したり、覚えたりすることはできます。
家庭では毎日を同じ時間割にする必要はありません。
その日の状態に合わせて入口を変えられることは、家庭学習だからこそできることでもあります。
保護者は、ずっと横についていなくてもいい
家庭学習というと、保護者が隣に座って、
問題を出す。
丸つけをする。
間違いを教える。
次に何をするか指示する。
という姿を想像することがあります。
もちろん、一緒に勉強する時間には大きな価値があります。
でも、それを毎日続けるのは大変です。
manabisでは、子どもが自分でアプリを選び、自分で問題に取り組み、答えを確認し、次へ進めるものを多く用意しています。
LABOやMAKE、CODEも、自分で操作できます。
保護者がずっと隣についていなくても、子ども自身で進められる時間をつくる。
そして、本当に困ったところや、話したいことが出てきたときに大人が関わる。
「ずっと教える」から「必要なときに支える」へ。
家庭学習の負担を考えるうえでも、この違いは大きいと思います。
「何点取った?」以外の会話をつくる
学習後の声かけも、
「何問正解した?」
だけでなくていいと思います。
LABOなら、
「何やってみた?」
MAKEなら、
「何つくったの?」
CODEなら、
「ゴールできた?」
「どこが難しかった?」
社会なら、
「何か面白いランキングあった?」
百人一首なら、
「覚えた歌あった?」
と聞くことができます。
子どもが説明してくれれば、その会話自体が振り返りになります。
もちろん、毎日詳しく聞く必要もありません。
「今日は何やったの?」
と聞いたとき、
「これ」
と画面を見せてもらうだけでも構いません。
家庭学習を、保護者が成果を検査する時間だけにはしない。
子どもがやったことに、大人が少し興味を向ける。
それだけでも関わり方は変わります。
学習記録は「管理」より「気づく」ために見る
登録してmanabisを使うと、学習履歴やSTUDY POINTなどを継続して残せます。
家庭では、こうした記録も利用できます。
ただし、
「今日は昨日より少ない」
「この教科をやっていない」
と毎日チェックするためだけに使うと、子どもにとっては監視されているように感じるかもしれません。
それよりも、
「今週けっこうやってるね」
「最近これをよくやってるね」
「メダル増えたね」
と、本人がしていたことに気づく材料として使う。
必要なときには、
「最近計算をやっていないから、今日は少しやってみようか」
と提案する。
記録は、子どもを管理するためだけではなく、大人が見ていなかった学習に気づくためにも使えます。
家庭学習を、保護者だけの仕事にしない
子どもの家庭学習を続けようとすると、保護者にはかなりの負担がかかります。
教材を探す。
プリントする。
今日やるところを決める。
丸つけする。
分からないところを教える。
続けるように声をかける。
これを毎日行うのは簡単ではありません。
manabisだけで、そのすべてをなくせるわけではありません。
それでも、
「何か問題を用意しなければ」
というときには、すでに使える学習があります。
「今日は何をさせよう」
というときには、いくつもの選択肢があります。
「丸つけをしなければ」
という部分も、自動で答えを確認できる学習があります。
保護者が教材を提供する人、採点する人、教える人、管理する人をすべて兼ねなくてもいい。
家庭で子どもが自分で学ぶ時間を少しずつ増やし、大人は人にしかできないところで関わる。
そんな使い方ができればと思っています。
家庭学習に「正しい使い方」を一つだけ決めない
毎朝10分使う家庭があってもいい。
学校から帰ってきたあとに使ってもいい。
宿題が終わってから自由に選んでもいい。
週末だけ使ってもいい。
テスト前の復習に使ってもいい。
不登校などで家庭で過ごす時間が長い子どもが、その日の学習の入口として使ってもいい。
兄弟でそれぞれ違うアプリを使ってもいい。
家庭によって生活も、子どもの状態も違います。
だから、
「manabisは毎日○分、この順番で使ってください」
という一つの正解を決める必要はないと考えています。
まず無料・登録なしで開いてみる。
何か一つやってみる。
合うものがあれば続ける。
必要なら学習を残せる環境を使う。
家庭の中で、その子に合う使い方を見つけていけばいい。
家庭学習を新しい義務として増やすのではなく、家庭で学びたいときに開ける場所を一つ増やす。
manabisを家庭で使うなら、まずはそのくらいから始めてもらえればと思っています。
学校・塾・フリースクール・学童などで使うなら
manabisは、家庭だけでなく、学校、塾、フリースクール、学童、放課後の学習支援などでも使うことができます。
特別なアプリをインストールする必要はありません。
ブラウザから開くことができ、無料で使うだけなら一人ひとりのアカウントを最初に作る必要もありません。
そのため、
「授業で少し使ってみたい」
「早く課題が終わった子に何か学習できるものを用意したい」
「今日はそれぞれ違う学習をさせたい」
といった場面でも使えます。
ただ、manabisを学校や学習支援の場で使うときに一番生かしてほしいのは、単に無料教材をたくさん使えることだけではありません。
子どもによって違う学びを、同じ場所の中で同時に進められること。
そこにmanabisの特徴があります。
同じ時間に、全員が同じことをしなくてもいい
学校の授業では、一つの教室で多くの子どもが学ぶため、同じ内容を一緒に扱うことが基本になります。
先生が説明する。
全員で問題を解く。
答えを確認する。
この方法だからこそできる学びがあります。
一方で、子どもの理解度は全員同じではありません。
すでに分かっている子もいます。
もう一度練習したい子もいます。
前の学年の内容へ戻った方がよい子もいます。
別のことに強い興味を持っている子もいます。
そうしたとき、
「全員が同じプリントをもう一枚」
以外の選択肢があってもいいと思います。
ある子は計算。
ある子は漢字。
ある子は英単語。
ある子は図形。
ある子は理科や社会。
同じ時間に、違う学習をしていても構いません。
同じ場所にいることと、同じ問題を解いていることは、必ずしも同じでなくていい。
manabisは、そうした学習時間にも使えます。
授業の「すき間」にも使える
授業では、子どもによって課題を終える時間が違います。
予定していた問題が早く終わる子もいます。
次の活動まで少し時間が空くこともあります。
そんな数分のために、毎回別のプリントを準備するのは先生にとって負担です。
manabisなら、
「終わった人はmanabisから好きな学習をしていい」
という使い方もできます。
計算をする。
漢字をする。
百人一首をする。
都道府県を見る。
LABOを触る。
CODEに挑戦する。
数分しかなければ、途中で終わっても構いません。
短い時間だから何もできないのではなく、短い時間でもすぐ始められる学習を用意しておくことができます。
一斉授業のあとに、それぞれ違う練習をする
たとえば授業で図形について学んだあと。
全員が同じ説明を聞いたとしても、そのあとの状態は違います。
基本問題をもう少し練習したい子。
少し難しい問題へ進める子。
前の内容を確認したい子。
すでに十分理解できている子。
全員にまったく同じ追加課題を出すのではなく、それぞれが必要な練習をする時間をつくることもできます。
manabisを先生の授業と競合するものにはしたくありません。
先生が教える。
子どもが自分で試す。
必要なら先生に質問する。
また自分で進む。
この行き来ができます。
前の章でも書いたように、manabisは先生を不要にするためのものではありません。
先生がずっと全員に教え続けなくても、子どもが自分で学習を進められる時間をつくるための道具として使うことができます。
塾でも「全員に同じプリント」以外の選択肢になる
塾や学習支援の場でも、同じ時間にいる子どもの学年や理解度が違うことがあります。
一人には足し算の練習が必要。
一人には正負の数。
一人には素因数分解。
一人は漢字をやりたい。
それぞれに紙の教材を用意しようとすると、教材を探し、印刷し、採点する作業が必要になります。
manabisには、ブラウザからそのまま取り組める学習があります。
もちろん、紙の教材をすべて置き換える必要はありません。
書いて練習した方がよい内容もあります。
じっくり途中式を残した方がよい問題もあります。
だから、
紙かデジタルか。
どちらか一方に決めなくていい。
その学習に合う方を使えばいい。
先生が用意したプリントをやったあと、繰り返し練習だけmanabisを使う、といった組み合わせもできます。
フリースクールでは「その子が今日できること」を探せる
フリースクールや、不登校の子どもが利用する学習支援の場では、さらに状況が違います。
同じ年齢でも、学習している内容が大きく異なることがあります。
学校の学習をかなり進めている子。
しばらく勉強から離れていた子。
特定の教科なら取り組める子。
問題集には強い抵抗がある子。
ものづくりなら集中できる子。
その日の状態によって、できることが大きく変わる子もいます。
そうした場で、
「今日は全員このプリントをやります」
という方法だけでは、合わないことがあります。
manabisには問題形式の学習だけでなく、LABO、MAKE、CODEがあります。
だから、
「今日は計算は嫌だけど、CODEならやる」
でもいい。
「勉強したくないけれど、MAKEなら触る」
でもいい。
そこから別の学習へ移るかもしれません。
移らなくても、その活動の中で考えることはできます。
その日の子どもが入れる学びの入口を探せることは、こうした場では特に重要だと考えています。
「自由にやっていい」だけでは難しい子には、選択肢を渡す
学校やフリースクールで、
「manabisから好きなものをやっていいよ」
と言えば、すぐに選べる子もいます。
一方で、選択肢が多すぎると何も選べない子もいます。
そんなときには、先生や支援者が、
「今日はこの三つから選んでみよう」
と絞ることができます。
学校で学習している内容に合わせて候補を出してもいい。
本人の得意なものと、少し挑戦してほしいものを一つずつ出してもいい。
「問題を解く」「実験する」「つくる」の三つから選んでもいい。
manabisは、子どもにすべてを丸投げするためのものではありません。
選択肢がたくさんあるからこそ、その子に合わせて選択肢の幅を調整することができます。
先生が教材をつくり続けなくてもいい時間をつくる
教育現場では、子どもが学習している時間の裏側で、大人が多くの準備をしています。
プリントを探す。
問題をつくる。
印刷する。
採点する。
次の課題を考える。
一人ひとりに違う学習を用意しようとすれば、その負担はさらに大きくなります。
manabisを使えば、そのすべてが不要になるわけではありません。
先生だからこそつくれる教材があります。
その子のために用意する課題にも価値があります。
でも、繰り返し練習や自主学習まで、毎回すべてを先生がゼロから準備する必要はありません。
すでにあるものは使う。
その分、先生は、
困っている子を見る。
質問に答える。
一緒に考える。
学習の相談をする。
子どもの変化に気づく。
そうした人にしかできないところへ時間を使うことができます。
一人一台の端末を「配られた機械」で終わらせない
学校では、子どもが一人一台の端末を使える環境が広がっています。
端末があれば、さまざまなデジタル教材を利用できます。
しかし、端末を持っているだけで自主学習が始まるわけではありません。
「自由に使っていい時間」があっても、何を開けばいいか分からなければ使われません。
そんなとき、
「何か学習したければ、ここを開けばいい」
という場所が一つあると、端末の使い方も変わります。
計算したいとき。
漢字を練習したいとき。
理科や社会をやりたいとき。
実験したいとき。
ものをつくりたいとき。
プログラムを考えたいとき。
それぞれ別のサービスを探し回るのではなく、manabisを入口にできます。
組織で使う価値は、無料教材の数だけではない
学校や塾で使える無料教材を探しているだけなら、インターネット上にはさまざまな選択肢があります。
無料プリントもあります。
問題サイトもあります。
動画教材もあります。
manabisも、その中の一つとして無料で使うことができます。
一方、継続的に使うようになると、
「誰が何をしているのか」
「どんな学習を積み重ねているのか」
を残したくなる場面があります。
一人ひとりの学習が別々に進むほど、先生がすべてを目で追うことは難しくなります。
そこで、学習者ごとの記録を残し、学びの状況を把握できる環境にも意味が出てきます。
無料教材を配ることと、一人ひとりが自分で進む学習環境をつくることは、似ているようで少し違います。
manabisでは、その両方をつなげていきたいと考えています。
manabisがあることで、先生が子どもを見る時間を増やしたい
教育にデジタルを入れると、
「先生をシステムに置き換えるのか」
という話になることがあります。
manabisが目指しているのは、そこではありません。
先生が問題を読み上げなくてもいい。
毎回丸つけをしなくてもいい。
一人ひとりに次の計算問題を用意しなくてもいい。
そうした部分をシステムが担当できれば、その間に先生は別のことができます。
なぜ手が止まっているのかを見る。
困っている子に声をかける。
興味を持っていることについて話す。
分からないところを一緒に考える。
今日の状態を知る。
子ども同士をつなぐ。
先生が教え続けなくても、子どもが学び続けられる時間をつくる。
そして、そこで生まれた時間を、人間にしかできない関わりへ戻していく。
学校でも、塾でも、フリースクールでも、manabisを使う意味はそこにあると考えています。
教材をデジタルに置き換えることそのものが目的ではありません。
子どもが自分で進める部分を少し増やし、大人が本当に必要なところで関われるようにする。
manabisを教育の場で使うなら、そんな役割を持たせたいと思っています。
MOANAVIでは実際に子どもたちが使っている
ここまで、manabisのさまざまな学習と、その背景にある考え方を書いてきました。
計算を繰り返すこと。
漢字や英単語を思い出して答えること。
統計や雨温図から特徴を読み取ること。
LABOで現象を動かして確かめること。
MAKEで自由につくること。
CODEで手順を組み立て、失敗したら直すこと。
STUDY POINTやメダルで、取り組んだことを残すこと。
アバターやペットを、もう少し続けたくなるきっかけにすること。
これらは、机の上だけで考えてつくったものではありません。
MOANAVIには、実際に子どもたちが学んでいる場所があります。
そしてmanabisは、そこで子どもたちが使う学習環境でもあります。
「子どもはこう使うだろう」と、想像だけで決めない
学習アプリをつくるとき、大人はどうしても理想的な使い方を想像します。
このボタンを押してほしい。
この順番で進めてほしい。
この機能なら喜ぶはず。
これくらいなら簡単に分かるだろう。
でも、実際に子どもへ渡してみると、その通りにはなりません。
こちらが目立つと思っていたものに気づかない。
簡単だと思っていた操作で迷う。
逆に、それほど重要だと思っていなかったものに夢中になる。
想定していなかった使い方を始める。
だからMOANAVIでは、manabisを実際の子どもたちに使ってもらいながら、その様子を見ることを大切にしています。
「子どもならこうするはず」ではなく、「実際に子どもはどうしたのか」を見る。
そこから、manabisそのものも変わっていきます。
アバターやペットは、実際に子どもたちが反応した
アバターやペットについては、前の章でも触れました。
実際にMOANAVIの子どもたちがmanabisを使ったとき、こうした要素にはすぐに反応がありました。
アバターを見る。
ペットを見る。
欲しいものについて話す。
「こんなアバターが欲しい」
「こんなペットが欲しい」
というリクエストも出てきました。
そして、メダルを取れば新しいものを獲得できることが分かると、そのために学習する姿も見られました。
ここで興味深かったのは、一つのアプリだけを続けるのではなく、メダルを求めて別の学習にも動いていったことです。
最初の目的は、学習内容そのものではなかったかもしれません。
でも、
「メダルが欲しい」
という気持ちが、
「じゃあ、これもやってみよう」
につながった。
これは、実際に使っている子どもを見なければ分からなかったことの一つです。
大人が勧めなくても、長く学び続けることがある
子どもが勉強を続けるためには、大人が常に声をかけ続けなければならない。
そう思ってしまうことがあります。
「次はこれをやろう」
「もう少し頑張ろう」
「まだ終わっていないよ」
もちろん、声かけが必要な場面はあります。
でも、manabisを使っている子どもを見ていると、自分で次の学習を探しながら長い時間取り組み続けることがあります。
一つのアプリをやる。
メダルを取る。
別のアプリを見る。
今度はこちらをやる。
途中でアバターやペットを見る。
また学習へ戻る。
そうやって、自分でmanabisの中を移動します。
MOANAVIでは、実際に中学生が3時間以上にわたって学習を続けていたこともありました。
もちろん、すべての子どもが毎回そこまで長く学習するわけではありません。
長時間勉強すること自体を目標にしているわけでもありません。
それでも、大人がずっと次の課題を与え続けなくても、子ども自身が次にやることを見つけながら学習を続けることがある。
これはmanabisを考えるうえで、とても重要な実感になっています。
教室で終わらず、家でも続きをする子どもがいた
さらに興味深かったのは、MOANAVIにいる時間だけで学習が終わらなかったことです。
manabisを使った翌日に、自宅でも学習を続け、メダルを獲得していた子どもがいました。
「教室にいるからやる」
だけではなく、
「家でも続きをやってみる」
へつながったということです。
家庭学習を習慣にしようとして、
「家でも毎日勉強しなさい」
と言うことはできます。
でも、自分から家で開いたのであれば意味は少し違います。
誰かに課題を出されたからではなく、自分の中に続きをやる理由が残っていたことになります。
manabisをブラウザから使えるようにしていることにも、ここで意味が出てきます。
MOANAVIで使ったものと、自宅で使うものを分けなくていい。
場所が変わっても、同じ学習環境を開くことができます。
すべてが思った通りにいくわけではない
実際の子どもが使う環境だからこそ、うまくいかないことも見つかります。
こちらが分かりやすいと思っていた操作が伝わらない。
思っていたところを押してもらえない。
せっかくつくった機能がほとんど使われない。
逆に、想定以上に使われるものがある。
学習の難易度が合っていないこともあります。
報酬まで遠すぎることもあります。
操作しづらいところも出てきます。
実際に使ってもらうと、つくる側には見えていなかった問題が次々に出てきます。
それを見つけて、
直す。
また使ってもらう。
また様子を見る。
manabisの開発では、この繰り返しが続いています。
これは、LABOやMAKE、CODEで子どもたちにしてほしいと考えていることと、少し似ています。
つくる → 試す → 思ったのと違う → 直す → また試す。
manabisそのものも、その繰り返しでつくられています。
子どもの行動が、次につくるものを変える
実際に使っている姿を見ると、新しいアイデアも生まれます。
アバターやペットが予想以上に好評なら、種類を増やしてみる。
違うアバターが欲しいという声があれば、次を考える。
一つの学習から別の学習へ移っているなら、その移動をどう支えればいいか考える。
学習したことをもっと残せないか考える。
問題を解く以外の活動にも夢中になるなら、LABOやMAKE、CODEのような場所をさらに広げられないか考える。
つまり、manabisの開発は、
「完成した教育理論を、そのままソフトウェアにした」
という一方向のものではありません。
MOANAVIで考えてきた教育のあり方をmanabisに入れる。
子どもが使う。
そこで起きたことから、こちらも学ぶ。
そしてmanabisを変える。
その変化が、また実際の学びの場へ戻っていく。
教育の実践とソフトウェア開発が、行ったり来たりしています。
「使われたか」だけではなく、「何が起きたか」を見る
アプリを運営するなら、
何人がアクセスしたか。
何回使われたか。
どのアプリが人気なのか。
といった数字を見ることができます。
manabisでも、そうしたデータは大切にしています。
しかし、MOANAVIという実際の学びの場があることで、数字だけでは分からないものも見ることができます。
なぜそのアプリを選んだのか。
どこで笑ったのか。
どこで困ったのか。
友達に何を見せたのか。
何を欲しがったのか。
どこでやめたのか。
一度やめたあと、なぜ戻ってきたのか。
画面の向こう側にいる「ユーザー」ではなく、目の前の子どもの行動として見ることができます。
これは、manabisをつくるうえで非常に大きな意味があります。
manabisは、MOANAVIの実践の中でも育っている
MOANAVIでは、子どもたちが全員同じ学習を同じ速度で進めるわけではありません。
その日の状態も違います。
興味も違います。
得意なことも違います。
勉強に向かえる日もあれば、なかなか向かえない日もあります。
だからこそ、
「一人ひとりが自分で進める部分を増やせないか」
という問いは、単なるサービス開発上のテーマではありません。
実際の教育現場で必要としていることでもあります。
先生がずっと全員へ指示を出し続けなくても、それぞれが何かを始められる。
問題を解く子がいる。
調べる子がいる。
LABOを触る子がいる。
MAKEでつくる子がいる。
CODEで考える子がいる。
必要なときには大人へ相談する。
そしてまた自分で進む。
前の章で書いた、
「先生が教え続けなくても、子どもが学び続けられる時間をつくる」
という考え方も、こうした実際の学びの中から生まれています。
manabisは、MOANAVIとは別の場所でつくられた教材を、あとから子どもたちに使わせているわけではありません。
MOANAVIで実際に子どもたちと学びながら、その経験をもとにつくり続けている学習環境です。
だから、子どもたちの使い方によって、これからも変わります。
予定していたものをつくるだけではなく、目の前で起きたことから次を考える。
manabisに完成形を決めていない理由の一つも、ここにあります。
なぜMOANAVI自身が学習アプリを作るのか
ここまで読んで、
「なぜMOANAVIが、ここまでたくさんの学習アプリを自分たちでつくっているのだろう」
と思った人もいるかもしれません。
世の中には、すでにたくさんの教材があります。
問題集があります。
参考書があります。
無料で使える学習サイトもあります。
計算アプリも、漢字アプリも、英単語アプリもあります。
それなら、既存のものを組み合わせて使えばいい。
実際、MOANAVIでも教科書や参考書、さまざまな教材を使います。
manabisだけですべての学習を完結させようとも考えていません。
それでも、自分たちでmanabisをつくっています。
理由は単純に、
「欲しい学習環境が、そのままの形ではなかったから」
です。
教材が足りなかったわけではない
最初から、
「世の中には良い教材がないから、自分たちでつくろう」
と考えたわけではありません。
優れた教材はたくさんあります。
分かりやすい参考書もあります。
よく考えられた問題集もあります。
学校の教科書もあります。
それぞれを必要に応じて使えばいい。
問題は、教材一つひとつの質だけではありませんでした。
MOANAVIで子どもたちと学んでいると、
「何を勉強するか」
以前のところで止まることがあります。
そもそも勉強を始めたくない。
教材を出したくない。
今日やるものを決められない。
一つ終わったあと、次に何をするのか分からない。
大人が指示しなければ動かない。
こうした場面に何度も出会います。
そこで必要だったのは、単に問題を増やすことではありませんでした。
子どもが自分で学び始め、次の学びへ動いていける環境そのものを考える必要がありました。
「この問題を解いて」だけでは届かない子どもがいる
教育では、
「何を教えるか」
「どう説明するか」
「どんな問題を解かせるか」
が重要です。
でも、その前に、
そもそもその学習に手を伸ばしてくれるか
という問題があります。
計算プリントを渡してもやりたくない。
漢字も嫌。
英語も嫌。
では、その日は何も学べないのでしょうか。
MOANAVIで子どもたちを見ていると、そうではありません。
問題はやりたくなくても、何かをつくるなら動く。
実験なら触る。
ゲームのようなものなら試す。
好きなことなら驚くほど集中する。
そこから、
「問題を解くことだけを学習の入口にしなくてもいいのではないか」
という考えが強くなっていきました。
だからmanabisには、計算や漢字のような反復学習だけでなく、LABO、MAKE、CODEのような場所もあります。
現場で「こうだったらいいのに」と思ったら、自分たちで変えられる
既存の教材を使っていると、
「ここがもう少しこうだったら」
と思うことがあります。
もう少しすぐ始められたら。
問題の出方を変えられたら。
もっと繰り返せたら。
この学習と、あの学習がつながっていたら。
問題ではなく、自由に試せる場所があったら。
頑張ったことを別の形でも残せたら。
でも、他の人がつくった教材なら、基本的にはその仕様の中で使うことになります。
manabisはMOANAVI自身がつくっています。
だから、目の前の子どもを見て、
「ここは違う」
と思えば変えることができます。
子どもが操作で迷っているなら直す。
難しすぎるなら調整する。
思っていた使われ方をしなかったら考え直す。
予想外に喜ばれたものがあれば広げる。
教育現場で起きたことを、そのまま開発へ戻せる。
これは、自分たちでつくる大きな理由の一つです。
教育の考え方を、機能として実装する
教育についての考え方は、文章で書くことができます。
「子どもの主体性を大切にします」
「一人ひとりに合わせます」
「学ぶ楽しさを大切にします」
どれも大切な言葉です。
でも、その考えを実際の仕組みにしようとすると、急に具体的な判断が必要になります。
主体性を大切にするなら、子どもはどこを選べるのか。
一人ひとりに合わせるなら、全員が同じ順番で進まなくてもいいのではないか。
勉強したくない子どもも前提にするなら、問題を解く以外の入口も必要ではないか。
頑張りを大切にするなら、正解数だけではなく取り組んだことも残せないか。
学習を続けてほしいなら、アバターやペットのような楽しみを入れてもいいのではないか。
こうして考えていくと、教育についての考え方が一つずつ機能になります。
STUDY POINTも。
メダルも。
アバターやペットも。
LABOも。
MAKEも。
CODEも。
単独で見ると、それぞれ違う機能です。
でも、その背景にはMOANAVIで考えてきたことがあります。
manabisは、MOANAVIの教育についての考え方を、ソフトウェアとして表現する試みでもあります。
「先生がもっと頑張る」以外の方法をつくりたい
子どもが勉強しない。
そんなとき、大人側の解決策は、
「もっと声をかけよう」
「もっと丁寧に教えよう」
「もっと教材を準備しよう」
となりがちです。
もちろん、それが必要なこともあります。
でも、子どもの人数が増えるほど、一人の先生がすべてを行うことは難しくなります。
一人が計算で困っている。
一人は英語をしている。
一人は理科について質問したい。
一人は今日はなかなか学習を始められない。
そのすべてに先生が常時つき続けることはできません。
だから、
先生が教え続けなくても、子どもが学び続けられる時間を増やせないか
と考えます。
問題を自分で進められる。
答えを自分で確認できる。
次に何をするか自分で選べる。
実験を自分で試せる。
ものづくりを続けられる。
CODEを動かして、失敗したら自分で直せる。
そして、本当に人の助けが必要になったときに先生へ相談する。
そうなれば先生は、全員へ常に問題を与え続ける役割から少し離れられます。
その時間を、子どもの様子を見ることや、話を聞くこと、必要な支援をすることへ使えます。
人を減らすためではなく、人が必要なところを残すため
学習アプリをつくると、
「先生をAIやシステムに置き換えるのか」
という方向へ話が進みやすくなります。
MOANAVIがmanabisでやりたいことは、むしろ逆です。
計算問題を出すこと。
正誤を判定すること。
次の問題を表示すること。
学習記録を保存すること。
同じ種類の問題を何度も用意すること。
こうしたことは、コンピューターが得意です。
一方、
今日は何となく元気がない。
最近少し自信がついてきた。
何か話したそうにしている。
この子には今、答えを教えるより少し待った方がよさそうだ。
友達との関係で困っている。
面白いことを思いついて誰かに聞いてほしそうだ。
こうしたことは、問題を自動生成するのとはまったく違います。
だから、機械にできる部分を機械へ任せる。
そして、人にしかできないところに人が残る。
そのための学習環境をつくりたいと考えています。
MOANAVIで必要だったものを、外にも開いてみる
manabisは、MOANAVIの実際の学びの中で必要だったものをつくりながら育っています。
でも、そこで生まれたものがMOANAVIの子どもたちにしか使えない必要はありません。
計算を練習したい子どもは、ほかにもいます。
漢字を学びたい子もいます。
家庭学習で何をすればいいか迷っている家庭もあります。
学校へ行っていない日に、自宅で何か学びたい子どももいます。
授業で使える無料教材を探している先生もいます。
フリースクールや学習支援の場で、一人ひとりが違う学習を進められる環境を探している人もいるかもしれません。
それなら、MOANAVIの中だけに閉じる必要はありません。
だからmanabisは、無料・登録なし・広告なしで、まず誰でも使える形で公開しています。
MOANAVIで生まれたものを、必要な人が自由に使えるようにする。
そして、外で使われることでまた新しいことが分かれば、それを次の改善につなげることもできます。
「教育サービスをつくること」と「教育をすること」を分けない
manabisをつくることと、MOANAVIで子どもたちと学ぶことは、別々の仕事のように見えます。
でも、実際にはかなり深くつながっています。
子どもと関わる。
困っていることに気づく。
こんなものがあったらいいと思う。
つくる。
使ってもらう。
思った通りにならない。
直す。
また使ってもらう。
そこから、教育についての考え方そのものが変わることもあります。
そして、その考えがまた次の機能になります。
教育実践からソフトウェアが生まれ、ソフトウェアを使った実践からまた教育を考える。
この往復を続けられることが、MOANAVI自身がmanabisをつくる意味だと思っています。
manabisは、完成した教材を販売するためだけにつくられたものではありません。
MOANAVIが子どもたちと関わる中で、
「もっとこういう学び方ができないだろうか」
と考えたものを、実際に動く形にしていく場所です。
だから、新しい問題も増えます。
新しい実験も増えます。
新しいものづくりも、新しいCODEも生まれるかもしれません。
子どもたちを見ていれば、こちらが考えていなかった課題も出てきます。
そのたびに考え、つくり直す。
MOANAVIが教育を続ける限り、manabisをつくる理由もなくならない。
そして、その積み重ねそのものが、MOANAVIの教育をソフトウェアとして形にしていくことなのだと考えています。
manabisは、これからも完成しない
ここまでmanabisについて、かなり長く書いてきました。
計算、図形、素因数分解、正負の数。
漢字、英単語、理科、社会。
都道府県、世界の統計、日本の貿易、雨温図、百人一首。
LABOで実験すること。
MAKEで自由につくること。
CODEで手順や仕組みを考えること。
STUDY POINT、メダル、アバター、ペット、学習記録。
こうして並べると、一つの大きな学習サービスが完成しているように見えるかもしれません。
でも、manabisを「完成した」と考えたことはありません。
今あるものは、現時点でつくられているmanabisにすぎません。
これから新しい学習が増えるでしょう。
今あるアプリも変わるでしょう。
場合によっては、
「これは違った」
と考え直すこともあると思います。
manabisは、最初に完成形を設計して、その設計図に向かってつくっているサービスではありません。
実際に子どもが学ぶ姿を見ながら、必要なものをつくり続ける学習環境です。
最初から、今のmanabisを考えていたわけではない
manabisにこれだけ多くの種類の学びがあると、
「最初からこの全体像を考えて開発したのだろう」
と思われるかもしれません。
実際には、そうではありません。
学習に必要だと思うものをつくる。
使ってみる。
そこから別の課題が見つかる。
では、それを解決するものをつくる。
また使う。
そうしているうちに、manabisの形そのものが少しずつ広がってきました。
問題を解くアプリを増やしていく中で、
「問題を解くことだけが学習ではない」
ということが、よりはっきりしてきました。
そこからLABOのような実験の場所が生まれました。
さらに、
「正解を求めるのではなく、自分で何かをつくる場所があってもいい」
と考え、MAKEが生まれました。
そして、
「考えた手順を実際に動かす場所もつくれる」
とCODEへ広がりました。
つまり、manabisは機能が増えているだけではありません。
つくりながら、manabis自身の「学び」の範囲も広がっています。
子どもが予想と違う使い方をしたら、設計の方を疑う
サービスをつくっていると、
「正しい使い方」
を決めたくなります。
このボタンを押してほしい。
この順番で進んでほしい。
ここで次の学習へ移ってほしい。
でも、実際の子どもはその通りに動くとは限りません。
そこで、
「子どもが使い方を分かっていない」
だけで終わらせるのではなく、
「こちらのつくり方に問題があるのではないか」
と考えることも必要です。
ボタンに気づかないなら、見せ方を変える。
操作しづらいなら、操作方法を変える。
思ったより難しいなら、問題のつくり方を見直す。
誰も使わない機能なら、本当に必要なのか考え直す。
反対に、予想以上に子どもが夢中になったものがあれば、
「なぜこれが面白かったのだろう」
と考える。
子どもの行動は、manabisに対する答えでもあります。
完成しないことと、不完全なままでいいことは違う
「完成しない」と書くと、
「ずっと未完成のものを公開するのか」
と思われるかもしれません。
そういう意味ではありません。
今使えるものは、今使えるものとしてきちんと動くようにする。
不具合があれば直す。
分かりにくいところがあれば改善する。
学習内容にもできるだけ正確さを求める。
これは当然必要です。
そのうえで、
「これでmanabisに必要なものはすべて揃った」
とは考えないということです。
教育そのものが、それほど単純ではないからです。
子どもによって必要なものが違います。
同じ子どもでも、年齢によって変わります。
昨日うまくいった方法が、今日は合わないこともあります。
新しい技術が生まれれば、今までできなかった学び方ができるようになるかもしれません。
完成を宣言して変化を止めるより、必要に応じて変わり続ける方がmanabisには合っています。
新しいアプリを増やすことだけが進化ではない
manabisが成長するというと、
「アプリが100個、200個と増えていく」
ことを想像するかもしれません。
もちろん、学べる内容はこれからも増やしていきたいと思っています。
でも、数を増やすことだけが目的ではありません。
今ある問題をもっとよくする。
操作しやすくする。
子どもが次の学習を見つけやすくする。
学習したことをもっと分かりやすく残す。
異なるアプリの学びをつなげる。
LABOの実験を増やす。
MAKEでできることを広げる。
CODEで、もっと複雑な仕組みを考えられるようにする。
同じアプリでも、改善できるところはいくらでもあります。
「新しいものをつくる」と「今あるものを育てる」の両方を続ける。
それがmanabisの開発です。
子どもから生まれる機能も、これから増えていく
MOANAVIでmanabisを使っていると、子どもからさまざまな反応があります。
こんなアバターが欲しい。
こんなペットが欲しい。
もっとこうしたい。
これが使いにくい。
こちらが質問しなくても、子どもは自分が欲しいものを言うことがあります。
そのすべてを実装するわけではありません。
でも、その声の中に、
「子どもがmanabisをどう見ているのか」
を知る手がかりがあります。
大人が考えた教育上の必要性だけで、manabisのすべてを決める必要はありません。
実際に使っている子どもの側から、新しいmanabisが生まれることもある。
そういう開発でありたいと思っています。
学習内容も、まだまだ増やせる
学校で学ぶ内容だけを考えても、manabisにまだないものはたくさんあります。
国語にも、もっといろいろな学びがあります。
理科にも、まだ実験にできるものがあります。
社会にも、地図や統計を使って考えられる題材があります。
数学にも、操作しながら理解できるものがあるでしょう。
英語にも、単語やフレーズ以外の学びがあります。
そして、学校の教科名だけでは分類しにくい学びもあります。
ものづくり。
プログラミング。
観察。
調査。
読書。
試行錯誤。
何かを比べること。
何かを分類すること。
自分で問いをつくること。
manabisの中に置ける学びは、まだたくさんあります。
だから、
「全教科の教材が揃ったら完成」
とも考えていません。
技術が変われば、学び方も変えられる
manabisはWeb上につくられています。
Webでできることも、これから変わっていきます。
以前なら難しかったことが、技術の進歩によってブラウザだけでできるようになることがあります。
実験をもっとリアルに操作できるかもしれない。
つくったものをもっと自由に動かせるかもしれない。
子どもの学習履歴から、これまでとは違う振り返り方ができるかもしれない。
新しい技術が登場したとき、
「流行っているから入れる」
のではなく、
「これを使えば、今までできなかった学びができるだろうか」
と考えたいと思っています。
技術そのものが目的ではありません。
子どもの学びに新しい選択肢を増やせるなら使う。
必要なければ使わない。
manabisがWebサービスであることは、変わり続けられることとも相性がいいのです。
無料で使える場所も、育て続けたい
manabisの学習アプリは、無料で公開しています。
登録しなくても使えます。
広告も入れていません。
これから機能が増えても、
「まず学ぶことができる場所」そのものは広く開いておきたい
という考えは大切にしたいと思っています。
一方で、長く使えば、
学習履歴を残したい。
STUDY POINTを積み重ねたい。
アバターやペットを集めたい。
MAKEの作品を保存したい。
自分の学習環境として使いたい。
という価値も出てきます。
無料で学べることと、継続して自分の環境を持つこと。
その両方をどうつくっていくかも、これから考え続ける部分です。
「完成していないから、使わないでください」ではない
完成しないmanabisですが、完成するまで待つ必要はありません。
今ある計算を、今日使えばいい。
漢字を練習したければ、今日使う。
雨温図を勉強しているなら、今ある雨温図を使う。
てこを習ったなら、LABOを触ってみる。
何かつくりたければMAKEを開く。
プログラミングに興味を持ったらCODEを試す。
そして、半年後に開いたときには、今とは少し違うmanabisになっているかもしれません。
新しい学習が増えているかもしれない。
以前使ったアプリが使いやすくなっているかもしれない。
子どもが、
「前はこれなかったよね」
と気づくくらいでもいいと思っています。
使われながら育つ学習環境だからこそ、今あるものも今使ってほしい。
教育に「これで終わり」はない
子どもたちと関わっていると、
「これさえあれば、どんな子でも学べる」
という万能な方法はなかなか見つかりません。
ある子に合った方法が、別の子には合わない。
同じ子でも、時期が変われば合わなくなる。
だから新しい方法を試します。
うまくいかなければ変えます。
子どもから教えてもらうこともあります。
manabisも同じです。
一つの完成された教育方法を、すべての子どもへ届けるためのシステムではありません。
いろいろな子どもが、いろいろな状態から学べる可能性を少しずつ増やしていく場所です。
計算から入る子もいる。
漢字から入る子もいる。
百人一首から入る子もいる。
LABOから入る子もいる。
MAKEやCODEから入る子もいる。
そして、今のmanabisにはまだ入口がない子もいるでしょう。
その子が現れたとき、
「manabisには合わなかった」
だけで終わるのではなく、
「では、どんな入口があればいいだろう」
と考える。
その問いが残っている限り、manabisは完成しません。
そして、完成しないことは欠点ではなく、manabisのあり方そのものだと思っています。
まとめ――勉強するとき、とりあえずmanabisを開く
ここまで、manabisについて一つひとつ書いてきました。
計算を繰り返す。
図形を見て考える。
素因数分解を自分で組み立てる。
正負の数を計算する。
漢字を読む。
英単語を思い出して入力する。
理科や社会の問題を解く。
都道府県や世界の統計を見る。
日本の貿易を数字から考える。
雨温図から気候を読み取る。
百人一首に何度も触れる。
LABOで実験する。
MAKEでものをつくる。
CODEで手順を考えて動かす。
それぞれは、かなり違う学びです。
だからmanabisを一言で、
「算数のサイト」
「無料問題集」
「学習ゲーム」
「プログラミング教材」
と説明することはできません。
どれか一つではなく、これらが同じ場所にあることに意味があります。
manabisが目指しているのは、特定の教材を提供することだけではありません。
子どもが学ぼうとしたときに、とりあえず開ける場所をつくることです。
「今日は何を勉強しよう」から始められる
学校なら、その時間に何を学ぶかは時間割で決まっています。
塾でも、先生が課題を用意してくれることがあります。
でも家庭で一人になったときには、
「何を勉強すればいいの?」
というところから始まります。
そんなとき、
算数のサイトを探す。
次は漢字のサイトを探す。
理科をやりたくなったら別の教材を探す。
プログラミングに興味を持ったら、また別のサービスを探す。
これでは、学習を始める前に探す時間が必要になります。
manabisでは、できるだけそれを一つの場所に集めていきたいと考えています。
今日は計算。
明日は漢字。
今日は問題を解きたくないからLABO。
何かつくりたいからMAKE。
ちょっとCODEをやってみる。
そのときの自分に合うものを選ぶ。
だから、manabisの理想的な使われ方の一つは、とても単純です。
「何か勉強しようかな。とりあえずmanabisを開こう。」
そこから始まればいいのです。
無料・登録なしにしているのも、そのため
学ぼうと思ったとき、
会員登録してください。
メールアドレスを入力してください。
パスワードを設定してください。
アプリをインストールしてください。
そのあとでようやく教材が使える。
それでは、「ちょっとやってみよう」という小さな気持ちが途中で消えてしまうことがあります。
だからmanabisは、無料で使えます。
登録しなくても始められます。
広告もありません。
インストールする必要もありません。
ブラウザで開いて、そのまま学習を始められます。
これは単なるサービス上の特徴ではありません。
学び始めるまでにある余計なものを、できるだけ減らしたい。
最初の章から書いてきた考え方につながっています。
問題を解きたい日も、解きたくない日もある
毎日、
「今日は勉強したい」
と思えるわけではありません。
計算をどんどんやれる日があります。
漢字を覚えられる日があります。
理科や社会の問題を面白いと思える日があります。
一方で、
今日は問題なんて見たくない。
という日もあります。
だからmanabisには、LABOがあります。
MAKEがあります。
CODEがあります。
「問題を解きたくないなら今日は学習できない」
としないためです。
実験してみる。
つくってみる。
動かしてみる。
そこにも、観察したり、考えたり、試したり、直したりする時間があります。
そして、そのあと突然、
「計算もやろうかな」
となるかもしれません。
ならなくても構いません。
勉強から少し離れたところにも、学びへの入口を置いておく。
それが、manabis全体を通して大切にしていることです。
「自分で学ぶ」は、一人ですべて解決することではない
manabisでは、子どもが自分で進められることを大切にしています。
でも、それは、
「誰にも頼らず全部自分で理解しなさい」
という意味ではありません。
分からなければ教科書を見る。
参考書を使う。
検索する。
先生に聞く。
家族に相談する。
誰かと一緒に考える。
そして、分かったらまた自分で進む。
それでいい。
manabis自身も、すべてを教える存在になる必要はありません。
問題を出す。
試せる場所を用意する。
何かに気づくきっかけをつくる。
学んだことを残す。
その先で必要になったものは、別の教材や人から学んでもいい。
自分で学ぶというのは、必要なものを自分で使いながら先へ進んでいくことでもあります。
学習したことを、その日のうちに消さない
今日、少し計算した。
英単語を覚えた。
LABOを触った。
MAKEで作品をつくった。
CODEで何度も失敗して、ようやくペットをゴールまで動かした。
一つひとつは小さな出来事です。
でも、それを毎日なかったことにしてしまいたくありません。
だからSTUDY POINTがあります。
メダルがあります。
アバターやペットがあります。
学習履歴があります。
MAKEでは作品を残せる環境もあります。
今日の学びが、明日の自分へ少しつながる。
一週間たったら、
「これだけやった」
と見える。
一か月たったら、さらに積み重なっている。
無料で教材を使うだけでも学習できます。
そして、継続して使うなら、manabisを自分の学習環境として育てていくこともできます。
大人が全部用意しなくても、学びが動き続ける場所へ
家庭では、保護者が毎日教材を用意し続けるのは大変です。
教育の現場では、先生が一人ひとりに違う課題を出し、教え、採点し、次の課題まで用意し続けることにも限界があります。
だから、子ども自身でできるところは自分で進める。
次に何をするか選ぶ。
分からなければ調べる。
必要になったら大人を頼る。
その間、大人はずっと問題を出し続けなくてもいい。
子どもの様子を見る。
話を聞く。
困ったところを一緒に考える。
その子に今必要なものを考える。
コンピューターに任せられるところは任せて、人は人にしかできないところへ戻る。
manabisは、そのための道具にもなりたいと考えています。
学び方は、一つでなくていい
机に向かって問題を解くことは学習です。
本を読むことも学習です。
先生の話を聞くことも学習です。
何かを調べることも学習です。
実験することも。
つくることも。
プログラムを考えることも。
失敗してやり直すことも。
誰かに質問することも。
自分の考えを説明することも。
学びには、いろいろな形があります。
manabisにさまざまなアプリを増やしているのは、それらを一つの方法へ統一したいからではありません。
むしろ反対です。
いろいろな学び方が、そのまま存在できる場所をつくりたい。
計算は、繰り返せばいい。
LABOでは、何度も条件を変えてみればいい。
MAKEでは、好きなものをつくればいい。
CODEでは、失敗しながら仕組みを直せばいい。
それぞれに合った学び方があります。
そして、全部やる必要もない
manabisに学べるものが増えていっても、全部やる必要はありません。
今日は一つ。
明日は違うもの。
しばらく同じものばかりでもいい。
必要になったら前の内容へ戻ってもいい。
興味を持ったら先の内容へ触れてもいい。
学校の学年だけで、自分が触れてよい範囲を決めなくてもいい。
大人と相談して決めてもいい。
自分で決めてもいい。
manabisにたくさんの学びを置くのは、子どもへ大量の課題を与えるためではありません。
選べる入口を増やすためです。
今の自分が入れる入口が一つ見つかれば、そこから学びが始まります。
MOANAVIも、子どもたちから学び続ける
manabisをつくっているMOANAVIにも、最初からすべての答えがあるわけではありません。
実際に子どもたちに使ってもらう。
思っていた通りにいかない。
直す。
予想していなかったものが喜ばれる。
そこから新しいものを考える。
またつくる。
manabisそのものも、ずっとこの繰り返しです。
教育について考えたことをソフトウェアにする。
ソフトウェアを子どもが使う。
その姿を見て、また教育について考える。
そして、次のmanabisをつくる。
だからmanabisは、これからも完成しません。
新しい学習が増えるかもしれません。
今あるものが変わるかもしれません。
今はまだ想像していない学び方が生まれるかもしれません。
それでいいと思っています。
勉強するとき、とりあえずmanabisを開く
manabisを、子どもにとってどんな場所にしたいのか。
最後まで考えると、結局ここへ戻ってきます。
「算数を勉強するならmanabis」
だけではありません。
「漢字ならmanabis」
でもありません。
「プログラミングならmanabis」
だけでもありません。
勉強するとき、とりあえずmanabisを開く。
開いてから、今日は何をするか考える。
計算をしてもいい。
漢字でもいい。
理科でも社会でもいい。
百人一首でもいい。
LABOでもいい。
MAKEでもCODEでもいい。
やってみて違ったら、別のものへ移ればいい。
分からなければ調べればいい。
必要なら誰かに聞けばいい。
少ししかできない日があってもいい。
たくさんできる日があってもいい。
そして、今日やったことが少し残る。
明日また開いたとき、その続きから始められる。
子どもにとって学習が、
「誰かにやらされる時間」
だけではなく、
「自分で何かを選び、試し、知り、つくり、考える時間」
にもなっていく。
そのための入口を、できるだけたくさん用意する。
それが、MOANAVIがmanabisをつくり続けている理由です。
無料で。
登録しなくても。
広告に邪魔されず。
思い立ったときに、すぐ開ける。
そして、計算から実験、ものづくり、プログラミングまで、その日の自分に合った学びを選べる。
学習のプラットフォームといえばmanabis。
いつかそう思ってもらえるくらい、
「何か学びたい」と思ったときに自然と開かれる場所へ。
manabisは、これからも少しずつ広がっていきます。

