
「わからない問題がある」。
そんなとき、すぐに先生から答えを教えてもらうことだけが、学習を進める方法ではありません。
この日、都道府県について学習していた子には、資料集が用意されました。先生が一つひとつ答えを説明するのではなく、必要な情報を自分で探せるようにするためです。
すると、その子は資料集を開き、問題と資料を見比べながら解き始めました。
「知らない」から「教えてもらう」へ進むのではなく、「知らない」から「調べる」へ。
この日のMOANAVIでは、そんな学び方がいくつもの場面で見られました。
答えではなく、「答えにたどり着くためのもの」を渡す
都道府県の問題に取り組んでいた子に対して、先生が用意したのは資料集でした。
記録には、
資料集を使って見比べながら解いていました。
と残っています。
一見すると、とても小さな出来事です。
けれど、ここには学習を自分で進めていくための大切な経験があります。
資料集を使うためには、まず「この問題では何を調べればよいのか」を考えなければなりません。そしてページの中から必要な情報を探し、問題と照らし合わせ、自分なりに答えを決めます。
先生から答えを聞けば、その問題は早く終わります。
一方で、資料を使って解けば時間はかかるかもしれません。しかし、その過程には「必要な情報を探す」「比べる」「判断する」という学習が加わります。
教科書や資料集は、知識が書かれているだけの本ではありません。
子ども自身が学習を進めるための「道具」にもなります。
MOANAVIで大切にしているのは、わからないことを一人で抱え込ませることではありません。必要なときには先生が支えながらも、子ども自身が使える道具を増やしていくことです。
一人で解くことだけが「自分で学ぶ」ではない
もちろん、資料を渡せば、すべての子がすぐに自力で進められるわけではありません。
この日は、分数の「通分」に取り組んでいた子もいました。
通分のプリントでは、先生と一緒にゆっくりと問題を解いています。記録には、「ゆっくりでも確実に解けるように一緒に解いていった」とあります。
通分の学習には約35分取り組み、その後の確認も行いました。
ここで重要なのは、「自分で学ぶ」を「最初から最後まで一人でできること」と考えないことです。
まだ慣れていない学習では、一緒に解く。
解き方がわかってきたら、自分で試す。
必要になったら、また支援を受ける。
そうやって、先生の支援と自分で考える時間を行き来しながら、少しずつ自分で進められる範囲を広げていくことも、自立した学習につながっていきます。
この日の記録でも、「最後まで解くのに慣れなかったので、慣れるまでもう少し問題を解くとよさそう」と次の課題が具体的に残されました。
「できた」「できなかった」で終わらず、次に何をすればよいかが見えている。
それも、一日の学習から得られた大切な成果です。
正五角形と正八角形。簡単には終わらない問題にも向き合う
別の子は、円を使って正五角形と正八角形をかく問題に取り組んでいました。
簡単には進まなかったようで、先生のフォローを受けながらの学習になりました。
それでも記録に残されたのは、
最後まであきらめずに粘りづよく解くことができた。
という姿です。
この子はこの日、正多角形だけでなく、合同な図形や算数のさまざまな問題にも取り組んでいます。
ここでも、先生がいる意味は「正解を教える人」だけではありません。
一人では止まってしまうところで少し支える。考え続けられる状態をつくる。そして、最後に答えへたどり着くところまでは本人が進む。
すぐに解ける問題をたくさんこなす学習とは違う価値が、こうした時間にはあります。
わからない問題に出会ったとき、「できないから終わり」ではなく、「何かを使えば進める」「助けてもらいながらなら進める」という経験を重ねていくこと。
それは、これから新しい内容を学んでいくうえでも大切な土台になります。
「読むための漢字」では、ヒントも使いながら70問
一方、manabisの「Yomi漢」に取り組んだ子は、この日70問に挑戦しました。
Yomi漢は、漢字そのものを書く練習とは少し違い、熟語や言葉を実際にどう読むのかに挑戦する教材です。
「勢力」「改修」「規律」「直径」「操縦」といった音読みの言葉だけでなく、「耕す」「肥やす」「明かす」「八つ当たり」など、読み方を考える必要のあるさまざまな語彙が登場しました。
70問のうち正解は50問。20問はパスしています。
そして、この学習で特に目を引くのが、61問でヒントを使っていることです。
ヒントをたくさん使ったことを、「まだできていない」と見ることもできます。
しかし、この日の実践という視点から見ると、別の意味も見えてきます。
わからない言葉に出会ったとき、その場で止まるのではなく、ヒントという手がかりを使いながら70問まで進んでいるからです。
資料集を使った子と、実は構造はよく似ています。
わからない。
だから、手がかりを使う。
そして、もう一度自分で考える。
紙の資料集でも、先生のフォローでも、デジタル教材のヒントでも、その役割は「代わりに答えること」ではありません。
子どもがもう一度、自分で問題に向かうための足場になります。
「何も見ないで解ける」だけを目標にしない
学校の勉強では、ときに「何も見ずに答えられること」が強く求められます。
もちろん、覚えた知識を使えるようになることは大切です。
けれど、実際の学びはそれだけではありません。
知らないことに出会ったら、資料を探す。
まだ難しければ、先生と一緒に考える。
読み方がわからなければ、ヒントを使う。
一度でできなければ、もう一度問題を解いて慣れていく。
この日、子どもたちがしていたのは、まさにそうした学習でした。
資料集と問題を見比べていた子。
通分を先生と一緒に一問ずつ確実に進めていた子。
正多角形の問題を、フォローを受けながら最後まであきらめなかった子。
ヒントを使いながら70問の漢字の読みへ挑戦した子。
使っている教材も、学んでいる内容も、先生との距離も違います。
それでも共通しているのは、「わからないところで学習を終わらせていない」ということです。
学べる子とは、「全部知っている子」ではない
学習が得意になるためには、知識を増やすことだけでなく、「わからないときにどうするか」を知ることも必要なのではないでしょうか。
教科書を見る。
資料集を開く。
ヒントを使う。
先生に支えてもらう。
もう一問やってみる。
そうした方法をいくつも持っていれば、初めて見る問題や、まだ習熟していない内容に出会ったときにも、学習を続けることができます。
だからMOANAVIでは、すぐに答えを教えることだけを支援とは考えていません。
資料集を置くこともある。
一緒に一問を解くこともある。
少しだけフォローして、最後まで本人に考えてもらうこともある。
教材のヒントに任せることもある。
その子が今、自分でできることはどこまでなのか。
何があれば、もう少し先まで進めるのか。
この日の教室にあったのは、一つの決まった学び方ではありませんでした。
「わからない」をなくしてから学習を始めるのではなく、「わからない」と出会ったところから、何を使って先へ進むのかを学んでいく。
答えそのものと同じくらい、その経験を積み重ねることにも価値がある。
そんなことが見えた一日でした。

