
山のように大きなお墓は、なぜ作られたのでしょう?
前が四角、後ろが丸い不思議な形の古墳には、どんな意味があるのでしょう?
その答えのヒントがつまっているのが 古墳時代 です。
古墳時代は、王や豪族があらわれ、
人々をまとめて国をつくろうとした時代でした。
この教材では、
古墳とは何か、前方後円墳のひみつ、はにわや副葬品、
大和政権の広がりまでを、
小学生・中学生にも分かりやすく解説します。
古墳を手がかりに、
日本が「国」へと変わっていく物語をのぞいてみましょう。
古墳時代とは?いつから始まり、どんな時代なのか
古墳時代(こふんじだい)は、日本の歴史の中で、
「国の形がはっきりし始めた時代」 です。
この時代のいちばんの特徴は、名前のとおり、大きな古墳が各地に作られたことです。
古墳時代は、今からおよそ 1700年前(3世紀後半ごろ)から、6世紀ごろ まで続いたと考えられています。
その前の弥生時代の終わりごろから、少しずつ移り変わるように始まり、
のちの飛鳥時代へとつながっていきます。
では、なぜこの時代を「古墳時代」と呼ぶのでしょうか。
それは、この時代に 力をもった王や豪族のお墓として、大きな古墳が作られた からです。
古墳は、ただのお墓ではありません。
どれだけ大きな古墳を作れたかは、その人の 力や支配の広さ を表していました。
弥生時代にも、お墓はありました。
しかし、古墳時代になると、
何百人もの人が協力しなければ作れないほどの巨大な古墳が現れます。
これは、人々を動かす強いリーダー が登場したことを意味しています。
また、古墳時代には、
村どうしがゆるやかにつながり、
いくつかの地域をまとめる大きな力が生まれました。
これが、のちに「大和政権(やまとせいけん)」と呼ばれる存在へと発展していきます。
この時代の人々は、
- 力のある王や豪族に従い
- 税のような形で物をおさめ
- 戦いや争いに備える
といった、より組織だった社会 の中で生活するようになりました。
弥生時代の「村の社会」から、
古墳時代の「国へ向かう社会」へと、大きく一歩進んだのです。
古墳時代を学ぶことで、
「どうして国が生まれたのか」
「人々はなぜリーダーに従うようになったのか」
といった、人間社会の大きなテーマも見えてきます。
クイズ①
次のうち、古墳時代のもっとも大きな特徴として正しいものはどれでしょう?
- 稲作が初めて始まった
- 大きな古墳が作られるようになった
- 学校や法律が整えられた
正解は 2 です。
👉 古墳時代は、力をもつ王や豪族の大きな古墳が各地に作られたことが大きな特徴です。
古墳とは何か?大きなお墓が作られた理由
古墳時代を象徴するものといえば、やはり 古墳(こふん) です。
古墳とは、古墳時代に作られた 王や豪族(力のある人)のお墓 のことを指します。
日本各地にたくさん残っており、その数は10万基以上あるとも言われています。
古墳の大きな特徴は、とても大きいこと です。
中には、山のように高く、長さが何百メートルもあるものもあります。
これほど大きな古墳を作るためには、
たくさんの人を集め、長い時間をかけて工事を行う必要がありました。
では、なぜ古墳時代の人々は、
そこまでして 大きなお墓 を作ったのでしょうか。
一つ目の理由は、
亡くなった王や豪族の力を示すため です。
古墳は、ただの埋葬の場所ではなく、
「この人はこれほど大きな力をもっていた」ということを、
周りの人々に伝える役割も果たしていました。
二つ目の理由は、
人々をまとめるため です。
大きな古墳を作る工事には、多くの人が関わります。
その中で、人々は王や豪族の命令に従い、
役割を分担して働きました。
古墳づくりそのものが、
社会をまとめる大切な活動だったと考えられています。
三つ目の理由は、
死後の世界を大切に考えていた ことです。
古墳の中からは、武器や道具、かざりなどが見つかっています。
これは、亡くなったあとも、
生きていたときと同じように過ごすと考えられていたことを示しています。
このように、古墳は
- お墓
- 力のしるし
- 社会をまとめる場
という、いくつもの意味をもっていました。
古墳を見ることで、
古墳時代の社会のしくみや、人々の考え方が見えてくるのです。
クイズ②
次のうち、古墳が大きく作られた理由として正しいものはどれでしょう?
- 農作物をたくさん保存するため
- 王や豪族の力を示し、人々をまとめるため
- みんなで遊ぶための広場にするため
正解は 2 です。
👉 古墳は、力のある人のすごさを示し、社会をまとめる役割ももっていました。
前方後円墳のひみつと古墳の形のちがい
古墳には、実はいくつかの 形のちがい があります。
その中でも、古墳時代を代表する形として知られているのが
前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん) です。
前方後円墳は、上から見ると
前が四角、後ろが丸 という、とても特徴的な形をしています。
この形は日本にしか見られず、
古墳時代の日本の文化を表す大きな特徴の一つです。
では、なぜこのような形の古墳が作られたのでしょうか。
はっきりした理由は分かっていませんが、
「王の特別な力を表す形だったのではないか」
「人々が集まって儀式を行うための形だったのではないか」
など、さまざまな考え方があります。
前方後円墳は、だれでも入れるお墓ではありません。
この形の古墳は、とくに力のある王や有力な豪族 のために作られたと考えられています。
つまり、古墳の形を見ることで、
その人がどれくらい重要な立場だったのかが分かるのです。
前方後円墳以外にも、古墳にはいくつかの形があります。
たとえば、
- 円墳(えんぷん):丸い形の古墳
- 方墳(ほうふん):四角い形の古墳
これらは、前方後円墳よりも小さいことが多く、
地方の豪族などのお墓だったと考えられています。
このように、古墳の形のちがいは、
社会の中での立場のちがい を表していました。
古墳を比べることで、
古墳時代の社会がどのようなしくみだったのかを考えることができます。
クイズ③
次のうち、前方後円墳の特徴として正しいものはどれでしょう?
- 前も後ろも四角い形をしている
- 前が四角、後ろが丸い形をしている
- 日本以外の国にもたくさん見られる形である
正解は 2 です。
👉 前方後円墳は、前が四角、後ろが丸い、日本独自の形をした古墳です。
王や豪族があらわれた古墳時代の社会
古墳時代になると、日本の社会には、
はっきりとしたリーダー があらわれるようになります。
それが、王(おう) や 豪族(ごうぞく) と呼ばれる人たちです。
弥生時代にも、村をまとめる人はいましたが、
古墳時代の王や豪族は、
いくつもの地域や人々をまとめる力 をもっていました。
その力の大きさは、
作られた古墳の大きさや形からも読み取ることができます。
豪族とは、
土地や人を多く支配し、
武器や鉄の道具を持っていた有力な一族のことです。
彼らは、王に従いながら、
それぞれの地域を治める役割を果たしていました。
このようにして、
王を中心に、豪族が支える形の社会ができていきます。
これは、のちの国づくりのもとになるしくみ でした。
また、王や豪族は、
争いが起きたときには人々を守り、
祭りや儀式を行って、
人々の心をまとめる役割も果たしていました。
古墳時代の社会は、
「力のある人に従う」だけの社会ではありません。
守られるかわりに、
人々は働きや物をおさめることで社会を支えていました。
こうした関係の中で、
組織だった社会 が少しずつ形づくられていったのです。
クイズ④
次のうち、古墳時代の王や豪族の役割として正しいものはどれでしょう?
- 人々をまとめ、地域や社会を治めていた
- 文字や法律を作り、学校を広めた
- 狩りや採集だけで生活していた
正解は 1 です。
👉 王や豪族は、多くの人々をまとめ、社会を治める中心的な存在でした。
はにわや副葬品から分かる古墳時代のくらし
古墳時代の人々のくらしを知る手がかりは、
古墳の中やまわりから見つかる はにわ や 副葬品(ふくそうひん) にあります。
副葬品とは、亡くなった人といっしょに古墳におさめられた品物のことです。
まず、はにわ について見てみましょう。
はにわは、古墳のまわりに並べられていた、土で作られた人形や道具の形をしたものです。
人の形、家の形、動物、武器など、さまざまな種類があります。
はにわが置かれた理由については、
- 王や豪族の力を示すため
- 古墳の場所をはっきりさせるため
- 亡くなった人を守るため
など、いくつかの考え方があります。
はにわの種類が多いことから、
古墳時代の人々が 死後の世界を大切に考えていた ことが分かります。
次に、副葬品 です。
古墳の中からは、
剣やよろいなどの武器、
鏡やかざり、
鉄の道具などが見つかっています。
これらの副葬品から、
古墳時代の人々の生活や技術が分かります。
たとえば、鉄の武器や道具が多く見つかることから、
鉄を使った技術が広がっていたことが分かります。
また、副葬品の種類や数は、
その古墳に入った人の 身分の高さ を表していました。
立場の高い王や豪族ほど、
多くの立派な副葬品を持っていたのです。
はにわや副葬品は、
「当時の人々が、何を大切にして生きていたのか」
を教えてくれます。
文字の資料が少ない古墳時代において、
これらはとても貴重な手がかりなのです。
クイズ⑤
次のうち、はにわや副葬品から分かることとして正しいものはどれでしょう?
- 古墳時代の人々が文字をたくさん使っていたこと
- 学校や法律がすでに整っていたこと
- 古墳時代のくらしや考え方
正解は 3 です。
👉 はにわや副葬品から、当時の生活や技術、死後の世界への考え方などが分かります。
古墳時代の遺跡と大和政権の広がり
古墳時代のようすは、文章の記録が少ないため、
遺跡(いせき) から読み取ることがとても重要です。
全国に残る古墳の分布を調べることで、
この時代の政治や社会の広がりが見えてきます。
古墳は、日本の各地で見つかっていますが、
とくに 近畿地方 に大きくて立派な古墳が多く集まっています。
その代表が、大阪府にある 大仙陵古墳(だいせんりょうこふん) です。
この古墳は、前方後円墳の中でも最大級で、
当時、非常に大きな力をもった人物の墓だと考えられています。
このような大きな古墳が、同じ地域に集中して作られていることから、
その地域を中心に、強い政治の力 が働いていたことが分かります。
その中心となったのが、大和政権(やまとせいけん) です。
大和政権とは、
近畿地方を中心に、
多くの豪族をまとめていった政治のしくみを指します。
王を中心に、各地の豪族が協力しながら、
国をまとめようとしていました。
古墳の広がりを見ると、
大和政権の影響が、少しずつ日本各地に広がっていったことが分かります。
同じ形の前方後円墳が各地に作られたことは、
大和政権の力が遠くまで及んでいたことを示す手がかりです。
このように、
遺跡と地図を結びつけて考えることで、
古墳時代が 日本が一つにまとまり始めた時代 であったことが見えてきます。
クイズ⑥
次のうち、大和政権について正しいもの はどれでしょう?
- 近畿地方を中心に、多くの豪族をまとめていた
- 古墳時代より前の縄文時代に生まれた
- 学校や法律がすでに全国に広がっていた
正解は 1 です。
👉 大和政権は、近畿地方を中心に、各地の豪族をまとめて力を広げていきました。
古墳時代から飛鳥時代へ何がつながったのか
古墳時代の終わりごろ、日本の社会はさらに大きく変わり始めます。
その変化の先にあるのが、飛鳥時代 です。
古墳時代と飛鳥時代は、はっきりと切り替わるというより、
少しずつつながりながら移り変わっていった と考えると分かりやすいでしょう。
古墳時代には、
王を中心に豪族が力をもち、
古墳を作ることでその力を示していました。
しかし時代が進むにつれて、
「だれが、どのように国を治めるのか」ということが、
よりはっきり決められるようになります。
また、外国との交流も深まりました。
朝鮮半島や中国との関係が強くなり、
新しい技術や考え方が日本に伝わります。
その中でも大きな影響を与えたのが 仏教 です。
仏教の伝来は、政治や文化のあり方を大きく変えていきました。
さらに、
豪族どうしの争いをおさえ、
国を安定させるために、
天皇を中心とした政治が進められていきます。
こうした動きが、
飛鳥時代の 天皇中心の国づくり へとつながっていきました。
このように、古墳時代は、
- 王や豪族の力が強かった時代
- 国の形が見え始めた時代
であり、
飛鳥時代は、
- 法律や制度を整え
- 国としてのしくみを固めていく時代
だと言えます。
古墳時代から飛鳥時代への変化を知ることで、
日本がどのように「国」になっていったのかを、
流れとして理解することができます。
古墳時代を深く学べる自由研究アイデア
古墳時代は、「お墓・社会・国づくり」が大きく進んだ時代です。
自由研究では、調べた事実+自分の考え をセットにすると、
とてもよいまとめになります。
アイデア① 古墳の形にはどんな意味があるの?
前方後円墳・円墳・方墳など、
古墳の形を調べて比べてみましょう。
- どんな形があるか
- どんな人のお墓だったのか
- なぜ形にちがいがあるのか
図やイラストを入れてまとめると、分かりやすくなります。
アイデア② はにわは何のために置かれたの?
はにわには、人・家・馬・武器など、さまざまな種類があります。
- どんなはにわがあるか
- それは何を表しているのか
- はにわから分かる当時のくらし
写真やイラストを使って調べると、楽しくまとめられます。
アイデア③ なぜそんなに大きな古墳を作れたのか
何百メートルもある古墳を、
機械のない時代にどうやって作ったのかを考えてみましょう。
- 何人くらいの人が必要だったか
- どのくらいの時間がかかったか
- それが分かることは何か
→ 社会の力 に注目する研究です。
アイデア④ 古墳の分布から大和政権の広がりを考えよう
地図を使って、
有名な古墳がどこに多いかを調べてみましょう。
- 近畿地方に多い理由
- 前方後円墳が全国に広がった意味
- 大和政権との関係
社会科と地理がつながる研究になります。
アイデア⑤ 弥生時代と古墳時代は何がちがう?
弥生時代の記事と比べて、
- 社会のしくみ
- リーダーのあり方
- くらしの変化
を表にして整理すると、
時代の変化 がとても分かりやすくなります。
アイデア⑥ 古墳時代の人々は死後の世界をどう考えていた?
副葬品やはにわを手がかりに、
- なぜ物をいっしょに入れたのか
- どんな死後の世界を想像していたのか
を考えてみましょう。
「事実+自分の考え」が書ける、発展的なテーマです。
おさらいクイズで古墳時代をふり返ろう
ここまで学んだ古墳時代のポイントを、クイズで確認してみましょう。
しっかり思い出しながら答えてみてください。
クイズ①
古墳時代が「古墳時代」と呼ばれる理由として正しいものはどれでしょう?
- 古い家がたくさん残っているから
- 王や豪族の大きな古墳が作られたから
- 古い道具がすべて土の中から見つかったから
正解は 2 です。
👉 古墳時代には、王や豪族のお墓として大きな古墳が各地に作られました。
クイズ②
前方後円墳が多く作られたことから分かることとして正しいものはどれでしょう?
- 力のある王や豪族が存在していた
- すべての人が同じ立場で生活していた
- 学校や法律がすでに整っていた
正解は 1 です。
👉 前方後円墳は、特に力のある人のために作られた古墳だと考えられています。
クイズ③
はにわや副葬品を調べることで分かることとして正しいものはどれでしょう?
- 古墳時代の文字の読み方
- 未来の日本のようす
- 古墳時代のくらしや考え方
正解は 3 です。
👉 はにわや副葬品から、当時の生活や技術、死後の世界への考え方が分かります。
この記事を書いた人
西田 俊章(MOANAVIスクールディレクター/STEAM教育デザイナー)
公立小学校で20年以上、先生として子どもたちを指導し、教科書の執筆も担当しました。
現在はMOANAVIを運営し、子どもたちが「科学・言語・人間・創造」をテーマに学ぶ場をデザインしています。



