
「探究学習」と聞いて、はっきりとしたイメージを思い浮かべられる人は、実はそれほど多くありません。
調べ学習との違いが分からなかったり、正解があるのか不安になったり、「結局、何を目指している学びなのだろう?」と感じたことがある方も多いのではないでしょうか。
こうした戸惑いは、保護者や教員だけでなく、学校現場全体で長く共有されてきたものでした。
その背景には、探究学習が大切だと言われながらも、「何を大事にすればよいのか」が十分に言葉になってこなかった、という事情があります。
現在、国のレベルで行われている議論では、この探究学習について、あらためて考え方を整理し直そうとする動きが進んでいます。
探究とは何か。課題はどう考えればよいのか。うまくいっていないと感じるとき、どこを見直せばよいのか。
そうした疑問に、少しずつ共通の見方が示され始めています。
この記事では、その整理の内容をもとに、探究学習を**「特別で難しいもの」ではなく、「迷いながら育てていく学び」**として捉え直します。
小中学生の保護者や、探究に向き合う若手教員の方が、安心して読み進められるよう、できるだけ分かりやすく解説していきます。
探究学習に対して感じてきたモヤモヤを、少し整理するところから、一緒に始めてみませんか。
探究学習とは何か?なぜ分かりにくいと言われてきたのか
「探究学習」と聞いて、すぐに内容を説明できる人は多くありません。
学校で行われていることを見ても、「自由研究のようなもの?」「調べ学習と何が違うの?」「正解はあるの?」と、保護者も教員もどこかモヤモヤした感覚を抱きがちです。
実はこの“分かりにくさ”は、個々の学校や先生の問題というより、探究学習そのものが、これまでとても分かりづらい形で説明されてきたことに原因があります。
これまでの探究学習の定義が抱えていた課題
これまで、学習指導要領の中で探究学習は
「問題解決的な学習が発展的に繰り返されていくこと」
といった表現で説明されてきました。
一見するともっともらしく聞こえますが、冷静に考えると、これはかなり抽象的です。
- 何をすれば「問題解決」なのか
- どこまでやれば「発展的」なのか
- 教科の学習とどう違うのか
こうした点が、文章からは読み取りにくかったのです。
特に学校現場では、「探究は教科とは別の特別な学び」「何か高度なことをしなければいけない」という受け止め方が生まれやすくなりました。その結果、
- とりあえずテーマを決めさせる
- インターネットや本で調べさせる
- レポートやスライドにまとめさせる
という形に落ち着きやすくなっていきました。
この流れ自体は、決して間違いではありません。しかし、「なぜそれをやるのか」「その子自身にとってどんな意味があるのか」という部分が、後回しになりやすかったのも事実です。
「探究=調べ学習」になりがちだった理由
探究学習が「調べ学習で終わってしまう」ことが多かったのには、理由があります。
まず、学校は「教えること」に慣れている場所です。
教科書があり、学ぶ内容が決まっており、評価の基準も比較的はっきりしています。
一方、探究学習は、
- 何を調べるか
- どこまで深めるか
- どうまとめるか
が、子どもごとに異なります。
そのため、教師にとっても「これでよいのか分からない」学びになりやすいのです。
結果として、
- 調べる内容を細かく指定する
- まとめ方の型をそろえる
- 成果物の出来で判断する
といった形に寄っていきやすくなります。
これは、先生が楽をしているからではありません。評価や説明責任を果たすために、そうせざるを得なかったという側面があります。
つまり、「探究が分かりにくい」「探究が形だけになる」という問題は、現場の努力不足ではなく、そもそもの考え方が共有されていなかったことに原因があったのです。
探究学習は「特別なこと」ではない
ここで大切なのは、探究学習を「何か新しい特別な教育」と捉え直さないことです。
本来、探究とはとても素朴な学びです。
- 「どうしてだろう?」と疑問をもつ
- 「調べてみたい」「確かめてみたい」と思う
- やってみて、考え直して、また試す
こうしたプロセスは、子どもが日常的に行っているものです。
にもかかわらず、学校という枠組みの中で「探究」という名前がついた瞬間に、
- 難しそう
- 失敗できなさそう
- 正解を出さなければいけなさそう
という印象が強くなってしまいました。
だからこそ今、探究学習について
「そもそも何を大切にする学びなのか」
「どこを目指せばよいのか」
を、あらためて整理し直す必要が出てきたのです。
「分からなかった」のは、自然なことだった
ここまで読んで、「自分もよく分からないまま探究に向き合っていたかもしれない」と感じた方もいるかもしれません。
それは、決して悪いことではありません。
探究学習は、これまで
- 明確な共通言語がなく
- 学校ごと、先生ごとに解釈が違い
- 保護者に説明しにくい
状態で進められてきました。
だからこそ、「分からなかった」「モヤモヤしていた」という感覚は、とても自然なものです。
そして今、そのモヤモヤを整理し、「これなら分かる」「これなら安心できる」探究の考え方を共有しようという動きが、国のレベルで進み始めています。
次の章では、その中心となっている
**文部科学省の「探究に関するワーキンググループ」**が、どのような役割を持ち、何を議論しているのかを見ていきます。
文部科学省の探究WGとは?学習指導要領改訂との関係
探究学習について「国が整理し直している」と聞くと、
「どこで、誰が、何を話し合っているの?」
と気になる方も多いと思います。
ここで中心となっているのが、**文部科学省のワーキンググループ(WG)**です。
この章では、専門用語をできるだけ使わずに、
- このWGは何のための集まりなのか
- なぜ今、探究が議論されているのか
- 学校現場や子どもたちにどう関係するのか
を整理します。
中央教育審議会と探究WGの位置づけ
文部科学省には、教育の大きな方向性を検討するための審議会として
中央教育審議会
があります。
この中央教育審議会(中教審)は、
- 学習指導要領の改訂
- 教育制度の見直し
- これからの学校教育の在り方
などについて、専門家や現場関係者が議論する場です。
探究学習を扱っているのは、その中の
教育課程部会という部会に設けられた
「生活、総合的な学習・探究の時間ワーキンググループ(WG)」です。
このWGは、
- 小学校の生活科
- 小中高の総合的な学習の時間
- 高校の総合的な探究の時間
といった、**「教科を横断する学び」**をまとめて扱う役割を担っています。
つまり、探究WGは
「一部の学校の先進的な取り組みを紹介する場」ではなく、
全国の学校に共通する考え方を整理するための場なのです。
なぜ今、探究学習があらためて議論されているのか
探究学習そのものは、決して新しいものではありません。
「総合的な学習の時間」が始まってから、すでに約30年が経っています。
それにもかかわらず、なぜ今になって、探究の定義や考え方を
あらためて整理する必要が出てきたのでしょうか。
背景には、いくつかの大きな変化があります。
一つは、学校現場での広がりです。
探究は、もはや一部の学校だけのものではなくなり、
ほぼすべての学校で実施される学びになりました。
その一方で、
- 学校によって内容に大きな差がある
- 「これでいいのか分からない」という声が多い
- 教員間・学校間で共通理解が持ちにくい
といった課題も、はっきり見えるようになってきました。
もう一つは、社会の変化です。
- AIやデジタル技術の進展
- 正解が一つに定まらない課題の増加
- 知識を覚えるだけでは対応できない時代
こうした状況の中で、
「探究で何を育てたいのか」
「学校でやる意味は何なのか」
を、改めて言葉にする必要が出てきたのです。
探究WGで議論されているテーマの全体像
探究WGで話し合われている内容は、多岐にわたりますが、
大きく見ると、次の3つに整理できます。
1.探究とは何か(概念の整理)
これまで曖昧だった
「探究って結局何?」
という問いに、できるだけ分かりやすく答えようとしています。
これは、「新しい理想像を押しつける」ためではなく、
現場が迷わずに考えられる共通の土台をつくるためです。
2.課題設定をどう考えるか
探究学習で最も難しいと言われてきたのが、課題設定です。
- テーマを決められない
- 立派な問いにしなければならないと思ってしまう
- 途中でズレてしまう
こうした悩みを前提に、
「課題は最初から完成していなくてよい」
という考え方が整理されつつあります。
3.探究の質をどう捉えるか
探究を評価するとき、
- 何を基準に見るのか
- 成果だけで判断してよいのか
といった点も、長年の課題でした。
WGでは、
「課題」「プロセス」「成果」という複数の視点から
探究の質を捉える考え方が示されています。
これは、点数をつけるためというより、
学びを振り返り、次につなげるための視点です。
WGは「答えを決める場」ではない
ここで誤解しやすいのは、
「WGが探究の正解を決めるのではないか?」
という見方です。
実際には、WGは
「この通りにやりなさい」と指示を出す場ではありません。
むしろ、
- これまでの実践を整理し
- 共通して大切にしたい考え方を言語化し
- 学校や地域が判断するための“よりどころ”を示す
という役割を担っています。
つまり、探究WGは
学校現場の自由度を奪うための議論ではなく、
自由に考えるための“地図”を描こうとしている
と考えると分かりやすいでしょう。
この議論は、保護者や子どもにも関係がある
「国の会議の話」と聞くと、
どこか遠い世界の出来事に感じるかもしれません。
しかし、探究WGで整理されている考え方は、
- 子どもが何を学んでいると考えるか
- 学校での活動をどう受け止めるか
- 成果が見えにくい学びをどう理解するか
といった点に、直接関わっています。
だからこそ、
「文科省のWGで何が議論されているのか」を知ることは、
探究学習を“他人事”ではなく
自分や子どもに関わる学びとして理解することにつながります。
次の章では、
このWGで示された
**「探究学習の新しい定義」**を、
さらにかみ砕いて見ていきます。
探究学習の再定義|文科省が示した新しい考え方
探究WGの議論の中でも、特に大きな意味をもっているのが
**「探究学習の再定義」**です。
これまで探究は、
「問題解決的な学習」
「答えのない問いに向き合う学び」
など、やや抽象的な言葉で説明されることが多くありました。
そこで今回、文部科学省は、
探究学習をもう少し具体的で、現場がイメージしやすい言葉で捉え直そうとしています。
探究は「問題を解く学び」ではなく「価値を生み出す学び」
新しい整理で強調されているのは、
探究を単なる「問題解決」として捉えない、という点です。
問題解決型の学習では、
- 問題があらかじめ設定されている
- 正解に近づくことがゴールになる
ことが多くなります。
一方、探究学習では、
- 何が問題なのかを考えるところから始まり
- 必ずしも一つの正解にたどり着かなくてもよい
- その過程で新しい見方や価値が生まれる
ことが重視されます。
つまり、探究とは
「用意された問いに答える学び」ではなく、
「自分なりの問いを育て、意味を見いだしていく学び」
だと整理されたのです。
この考え方は、探究を「難しいこと」「特別なこと」と感じていた人にとって、
大きな転換点になります。
実社会・実生活とのつながりが出発点になる
再定義の中で繰り返し出てくるキーワードが、
**「実社会・実生活との関わり」**です。
探究は、教室の中だけで完結する学びではありません。
- 日常生活で感じた違和感
- 身近な出来事への疑問
- 社会の中で見聞きした問題
こうしたものを出発点にしてよい、ということが
はっきりと示されています。
これは、
「立派なテーマを考えなければ探究にならない」
という思い込みをやわらかくほぐす整理でもあります。
子どもが感じた小さな「なぜ?」や「気になる」は、
探究の入口として十分に価値があるのです。
教科の学びは「目的」ではなく「手段」
もう一つ、大きなポイントがあります。
それは、教科の学びの位置づけです。
これまで、探究学習と教科の関係が分かりにくい、
という声は多くありました。
- 探究は教科とは別物なのか
- 教科で学んだ知識はどこで使うのか
こうした疑問に対して、今回の整理では、
教科の学びは探究の「手段」として活用する
という考え方が明確になっています。
つまり、
- 理科や社会で学んだことを使って調べる
- 国語で学んだ力を使って考えをまとめる
- 算数や数学を使ってデータを整理する
といった形で、
教科の学びが探究を支える役割を担うのです。
探究が教科の上に乗るのではなく、
教科と探究が行き来しながら学びが深まっていく
というイメージに近づいています。
「好き」「得意」「興味」から始めてよいという明確なメッセージ
今回の再定義で、特に保護者や教員にとって安心材料になるのが、
探究の出発点として「興味・関心」を重視している点です。
興味・関心には、
- 好きなこと
- 得意なこと
- 何となく気になること
も含まれます。
これは、
「社会的に立派なテーマでなければならない」
「みんなの役に立つ課題でなければならない」
というプレッシャーを和らげる考え方です。
もちろん、学年が上がるにつれて、
- 社会とのつながり
- 学問的な視点
- 将来との関係
が意識されていくことはあります。
しかし、最初からそこを求める必要はありません。
自分にとって意味のある問いから始めてよい
ということが、はっきりと言葉にされたのです。
試行錯誤しながら「新たな価値」を生み出すプロセス
再定義では、探究を
「試行錯誤を繰り返す学習のプロセス」
として捉えています。
- やってみる
- うまくいかない
- 考え直す
- 別の方法を試す
こうした行きつ戻りつの過程こそが、探究の中心です。
その中で生まれる「新たな価値」とは、
必ずしも大きな発明や成果物を指すわけではありません。
- 見方が変わった
- 前より深く理解できた
- 自分なりの考えを持てるようになった
こうした変化も、立派な「価値」です。
再定義は「縛るため」ではなく「安心するため」
ここまで読むと、
「探究のハードルが上がったのでは?」
と感じる方もいるかもしれません。
しかし、今回の再定義は、
探究を厳しく縛るためのものではありません。
むしろ、
- これでいいのか分からなかった
- 自信が持てなかった
という状態から、
「この方向で考えてよい」という安心感を共有する
ための整理だと言えます。
次の章では、
この考え方をさらに具体化する
**「課題設定の捉え方」**について見ていきます。
探究学習における課題設定とは?最初から立派でなくていい
探究学習について話すとき、保護者や教員から最も多く聞かれる悩みの一つが
**「課題設定が難しい」**というものです。
- テーマが決まらない
- 決めたけれど、これでいいのか不安
- 途中で話がズレてしまう
こうした戸惑いは、探究学習に真剣に向き合っているからこそ生まれます。
そして今回の探究WGでは、この「課題設定」について、これまでとは少し違う見方が示されました。
課題は「最初に完成させるもの」ではない
従来、学校現場では
「まず良い課題を設定することが大事」
と考えられがちでした。
確かに、課題が明確であれば、学びは進めやすくなります。
しかしその一方で、
- 立派な問いを立てなければならない
- 途中で変えてはいけない
- 先生がOKを出した問いでなければならない
といった、見えないプレッシャーが生まれていたのも事実です。
今回の整理で強調されているのは、
課題は探究の途中で「育っていくもの」
という考え方です。
最初から完成された問いである必要はありません。
むしろ、探究の過程を通して問いが洗練されていくこと自体が、
大切な学びだとされています。
素朴な疑問から探究は始まる
探究の出発点は、とてもシンプルです。
- 「どうしてだろう?」
- 「なぜこうなっているのかな?」
- 「もっと知りたい」
こうした、日常の中で生まれる素朴な疑問が、探究の芽になります。
たとえば、
- いつも同じ場所が混むのはなぜか
- なぜこの植物はここに多いのか
- どうしてこの遊びは楽しいのか
こうした問いは、一見すると小さく、曖昧に見えるかもしれません。
しかし、探究WGでは、こうした問いこそが探究の自然な出発点だと整理されています。
大切なのは、その問いをすぐに「立派な課題」に言い換えようとしないことです。
探究の中で問いは「解明したい問い」に変わっていく
探究が進む中で、子どもは次のような変化を経験します。
- 調べてみたら分からないことが増えた
- 思っていたのと違うことに気づいた
- 別の視点が必要だと感じた
こうした経験を通して、最初の疑問は、
- より具体的な問い
- 焦点の絞られた課題
- 自分なりに意味のあるテーマ
へと変わっていきます。
探究WGでは、この過程を
「問いが洗練されていくプロセス」
として捉えています。
つまり、課題設定とは一度きりの作業ではなく、
探究全体を通して何度も見直されるものなのです。
途中で課題が変わるのは「失敗」ではない
探究学習では、途中で課題が変わることがあります。
- 別の視点に興味が移った
- 予想と違う結果が出た
- 新しい疑問が生まれた
こうした変化は、これまで
「計画が甘かった」「失敗した」
と受け取られることもありました。
しかし、今回の整理では、
課題が変わること自体が探究の質を高める場合がある
と考えられています。
試行錯誤の中で問いが変わるのは、
学びが深まっている証拠でもあるからです。
保護者・教員ができる「課題設定」の支え方
課題設定において、大人ができることは、
答えを教えることではありません。
むしろ、
- なぜそう思ったの?
- どこが気になったの?
- それを確かめるとしたら、どうする?
といった問いかけを通して、
子どもが自分の問いを言葉にするのを助けること
が重要になります。
また、課題が曖昧なままでも、
「今はこれでいい」と受け止める姿勢も大切です。
探究は、
「きれいにまとまること」
よりも、
「考え続けること」
に価値があります。
課題設定は「評価のため」ではない
課題設定が苦しくなってしまう背景には、
「評価される」ことへの意識もあります。
- 立派な課題でないと評価が下がるのでは
- 他の子と比べられるのでは
こうした不安が、課題設定を硬くしてしまいます。
探究WGの整理は、
課題設定を評価のための作業にしない
というメッセージでもあります。
課題は、
探究を進めるための「道しるべ」であり、
見直してよいもの、変えてよいものなのです。
課題設定を「怖いもの」にしないために
探究学習がうまくいくかどうかは、
最初の課題設定の完成度で決まるわけではありません。
- 小さな疑問から始めてよい
- 途中で変わってよい
- 迷ってよい
こうした前提が共有されることで、
探究はずっと取り組みやすい学びになります。
次の章では、
この探究のプロセスをどう捉え、どう振り返るのかという
「探究の質」という考え方について見ていきます。
探究学習の評価とは?「探究の質」という新しい見方
探究学習について、課題設定の次に多く聞かれる悩みが
**「どう評価すればよいのか分からない」**というものです。
- 何をもって「よい探究」と言えるのか
- 成果が見えにくいとき、どう判断すればいいのか
- 点数や評定とどう結びつくのか
こうした疑問は、保護者にも教員にも共通しています。
今回の探究WGでは、この問題に対して
「探究の質」という考え方が示されました。
探究学習は「結果」だけでは測れない
まず押さえておきたいのは、
探究学習はテストのように
「正解か不正解か」で評価する学びではない、という点です。
探究では、
- 同じテーマでも進み方が違う
- たどり着く結論が違う
- 成果物の形が違う
ということが当たり前に起こります。
そのため、
- 立派なレポートができたか
- 発表がうまくできたか
といった「見えやすい結果」だけで判断すると、
本来大切にしたい学びの部分が見えなくなってしまいます。
「探究の質」を考える3つの視点
探究WGでは、探究の良し悪しを
一つの物差しで測るのではなく、
複数の視点から捉える考え方が示されています。
その中心となるのが、次の3つの視点です。
1.課題の質
その問いは、本人にとって意味のあるものだったか。
自分なりに「なぜ?」を持ち続けようとしていたか。
課題が社会的に立派であるかどうかよりも、
本人の関心や問題意識と結びついていたか
が重視されます。
2.プロセスの質
探究の途中で、
- 調べ方を工夫したか
- うまくいかない場面で考え直したか
- 別の視点を取り入れようとしたか
といった試行錯誤があったかどうかを見ます。
結果が思ったように出なくても、
考え続けた過程そのものが評価の対象になります。
3.成果の質
成果とは、必ずしも
「完成度の高い作品」や
「分かりやすい発表」だけを指すわけではありません。
- 見方が変わった
- 理解が深まった
- 次に取り組みたい問いが生まれた
こうした内面的な変化も、
探究の成果として捉えられます。
「点数をつけにくい学び」だからこそ意味がある
探究学習は、確かに評価しにくい学びです。
しかし、それは欠点ではなく、
探究の本質そのものだと言えます。
もし探究が、
- 簡単に点数化でき
- 一律に比較できる
学びであれば、
それはすでに「探究」ではなくなってしまいます。
探究の価値は、
一人ひとりの考え方や感じ方が違うことにあります。
だからこそ、
「点数をつけにくい」
「評価に悩む」
という感覚は、自然なものなのです。
評価は「ふり返りのため」にある
探究WGの整理で重要なのは、
評価を「選別のため」ではなく、
**「ふり返りのため」に位置づけている点です。
評価とは、
- できた/できなかったを決めること
- 他者と比べて順位をつけること
ではありません。
- どんな問いに向き合ったのか
- どんな工夫や迷いがあったのか
- 次は何をやってみたいのか
を言葉にし、次の学びにつなげるためのものです。
この視点に立つと、
評価は子どもを縛るものではなく、
学びを前に進めるための道具になります。
保護者・教員が安心して見守るために
探究学習を評価する立場にある大人が、
「これでいいのだろうか」と不安になるのは当然です。
大切なのは、
- 成果物だけを見ない
- 途中のつまずきや迷いにも目を向ける
- 子ども自身の言葉を大切にする
ことです。
探究の質を見る視点を知ることで、
「結果が派手でなくても、
この子はしっかり考えていた」
と気づけるようになります。
評価の見方が変わると、探究は続けやすくなる
評価を
「でき・できない」
で考えると、探究は苦しい学びになります。
一方で、
「どんな変化があったか」
「どんな過程をたどったか」
を見るようになると、探究はずっと続けやすくなります。
次の章では、
こうした探究の質を支える
「研究系・行動系・創作系」という探究のタイプ
について、具体的に見ていきます。
探究学習には3つのタイプがある|研究系・行動系・創作系
探究学習というと、「調べてまとめる学習」を思い浮かべる人が多いかもしれません。
しかし、探究WGでは、これまで学校現場で積み重ねられてきた実践を整理し、
探究には大きく分けて3つのタイプがあると示しました。
それが、
- 研究系
- 行動系
- 創作系
です。
この整理が持つ意味はとても大きく、
探究学習をめぐる多くの誤解や窮屈さをほどいてくれます。
なぜ「タイプ分け」が必要だったのか
これまで探究学習が難しく感じられてきた理由の一つに、
「探究はこうあるべき」という暗黙のイメージが強すぎた
という点があります。
- しっかり調べるべき
- レポートにまとめるべき
- 発表で伝えるべき
こうしたイメージは、決して間違いではありません。
ただ、それが唯一の形だと思われてしまうと、
- 作ることが得意な子
- 体を動かして学ぶ子
- 実際に行動して考える子
の学びが、正当に評価されにくくなってしまいます。
そこでWGでは、
探究の形は一つではない
ということを、あえて分かりやすく示す必要があったのです。
研究系の探究とは何か
研究系の探究は、
多くの人が「探究学習」と聞いて思い浮かべる形に近いものです。
- 資料やデータを集める
- 比較・分析する
- 考察してまとめる
といったプロセスを中心に進みます。
社会科や理科との相性がよく、
- 歴史的な出来事を調べる
- 地域の課題をデータで分析する
- 実験結果を整理して考える
といった活動が含まれます。
研究系の探究の良さは、
論理的に考える力や、情報を扱う力が育ちやすい
点にあります。
一方で、「調べて終わり」になりやすいという課題もありました。
だからこそ、研究系の探究でも、
- なぜそのテーマを選んだのか
- 調べて何が変わったのか
といった問い直しが重要になります。
行動系の探究とは何か
行動系の探究は、
実際にやってみることを通して学びを深めるタイプです。
- 地域の人に話を聞く
- イベントを企画・実行する
- 身近な問題に働きかける
といった活動が含まれます。
生活科や総合的な学習の時間では、
この行動系の探究が多く見られます。
行動系の探究の特徴は、
- 体験を通して気づきが生まれる
- 予想通りにいかないことが多い
- 振り返りによって学びが深まる
という点です。
結果が思ったように出なくても、
「なぜうまくいかなかったのか」
「次はどうすればよいか」
を考えること自体が、探究になります。
創作系の探究とは何か
創作系の探究は、
表現や制作を通して考える探究です。
- 作品をつくる
- アイデアを形にする
- 表現方法を工夫する
といった活動が中心になります。
図工や美術、音楽、STEAM的な学びと親和性が高く、
- モデルやプロトタイプをつくる
- 映像やポスターで表現する
- 物語やデザインとしてまとめる
といった形も含まれます。
創作系の探究では、
- なぜこの形にしたのか
- どんな工夫をしたのか
を言葉にすることで、
思考が可視化されていきます。
「作ること」がゴールではなく、
作る過程で考え続けることが探究なのです。
3つのタイプは対立するものではない
大切なのは、
研究系・行動系・創作系のどれか一つを選ばなければならない、
というわけではないことです。
実際の探究では、
- 調べたことをもとに行動し
- 行動の結果を作品としてまとめる
といったように、
複数のタイプが組み合わさることも多くあります。
WGの整理は、
探究を型にはめるためのものではなく、
多様な実践を正当に捉えるための言葉
だと言えるでしょう。
子どもの違いが、そのまま探究の違いになる
この3つのタイプを知ることで、
探究学習の見え方は大きく変わります。
- 調べることで考えが深まる子
- 動くことで理解が進む子
- 作ることで思考が整理される子
どれも、同じように価値のある学びです。
探究に正解の形がないということは、
子どもの違いそのものが学びになる
ということでもあります。
次の章では、
こうした探究の考え方を
小学校、特に生活科の学びとどうつなげて考えるのか
を見ていきます。
小学校の探究学習と生活科の関係
探究学習という言葉は、中学校や高校で使われる印象が強いかもしれません。
しかし、探究の土台は、実は小学校の生活科の中ですでに育まれています。
今回の探究WGでは、
探究学習を突然始めるものとしてではなく、
生活科から連続的につながる学びとして捉え直す整理が行われました。
小学校における探究は「始まりの学び」
小学校段階の探究学習は、
- 立派な問いを立てること
- 論理的にまとめること
を最初から求めるものではありません。
むしろ大切にされているのは、
- 見る
- 触る
- 動く
- 話す
といった、体験を通した学びです。
生活科では、子どもたちは日常の中で、
- 身の回りのものに関心をもつ
- 人や自然と関わる
- やってみて、感じたことを言葉にする
といった活動を繰り返します。
これはまさに、探究の原型そのものです。
生活科で重視されている「身体性」
探究WGの資料では、生活科の学びの本質として
**「身体性」**が強調されています。
身体性とは、
- 実際に体を使って関わること
- 五感を通して世界を感じること
を意味します。
たとえば、
- 植物を実際に育ててみる
- 地域を歩いてみる
- 人と直接話してみる
といった体験は、
頭の中だけで考える学びとは違う、
深い実感を伴います。
AIやデジタル技術が発達した時代だからこそ、
**「身体を通して分かること」**の価値が、
あらためて見直されているのです。
生活科は「探究の入口」になる
生活科での学びは、
- 正確に説明できなくてもよい
- うまく言葉にできなくてもよい
という特徴があります。
大切なのは、
- 「おもしろい」
- 「ふしぎ」
- 「気になる」
と感じることです。
こうした感覚が、
やがて「なぜだろう?」という問いに変わり、
総合的な学習や探究学習につながっていきます。
つまり、生活科は
探究のスタート地点
として位置づけられているのです。
小学校で「探究らしくしすぎない」ことの大切さ
小学校段階でありがちな悩みの一つに、
「探究らしくしなければ」という意識があります。
- まとめを書かせなければ
- 発表させなければ
- 成果物を残さなければ
こうした考えが強くなると、
生活科本来の良さが薄れてしまいます。
WGの整理では、
小学校では特に、探究を“完成させる”ことを目的にしない
という考え方が示されています。
体験し、感じ、振り返る。
それだけで、十分に探究なのです。
生活科から総合・探究へどうつながるのか
小学校高学年から中学校にかけて、
- 感じたことを言葉にする
- 自分なりに理由を考える
- 他者と考えを共有する
といった力が少しずつ育っていきます。
この積み重ねがあるからこそ、
中学校・高校での探究学習で、
- 課題を設定する
- 調べ方を工夫する
- 自分の考えを深める
といった活動が可能になります。
探究は、
突然始まるものではなく、
長い時間をかけて育つ学び
だと捉えることが大切です。
保護者・教員が安心して見守るために
生活科や小学校の探究を見ていて、
- 何を学んでいるのか分かりにくい
- 成果が見えにくい
と感じることもあるかもしれません。
しかし、
体験を通して感じたこと、
うまく言葉にできない気持ち、
試してみて失敗した経験は、
すべてが探究の大切な材料です。
大人ができるのは、
- すぐに答えを求めない
- 成果を急がない
- 子どもの感じたことを大切にする
ことです。
小学校の探究は「将来につながる学び」
生活科や小学校の探究は、
一見するとゆっくりで、
効率が悪いように見えるかもしれません。
しかし、
- 自分で気づく
- 自分で考え始める
- 自分の言葉で表そうとする
こうした経験は、
その後の探究学習だけでなく、
学び全体の土台になります。
次の章では、
探究学習が「うまくいかない」と感じたときに、
どう考え直せばよいのかを整理していきます。
探究学習がうまくいかないと感じるときに考えたいこと
探究学習について話を聞いていると、
保護者や教員から、こんな声がよく聞こえてきます。
- 「探究をやっているはずなのに、深まっている感じがしない」
- 「結局、調べてまとめただけで終わってしまう」
- 「子どもも先生も、何となく疲れている気がする」
こうした感覚は、探究学習が広がる中で、
多くの学校が一度は通る道だと言えます。
大切なのは、「うまくいかない」と感じたときに、
何を見直せばよいのかを知っておくことです。
「うまくいかない」の正体は、失敗ではない
まず知っておきたいのは、
探究学習がうまくいかないと感じる状態は、
必ずしも「失敗」ではないということです。
探究は、
- 正解が決まっていない
- 進み方が人によって違う
- 時間がかかる
学びです。
そのため、
「分かりやすい成果が出ない」
「達成感がはっきりしない」
という状態が生まれやすいのです。
これは、探究が機能していないからではなく、
探究の途中にいるからこそ生まれる感覚
だと捉えることができます。
探究が苦しくなるときに起きがちなこと
探究学習が苦しく感じられるとき、
多くの場合、次のような状態が重なっています。
- 最初から「良い結果」を求めすぎている
- 他のクラスや学校と比べてしまっている
- 探究を「評価される活動」として意識しすぎている
こうした状態になると、
- 問いを自由に変えられない
- 試行錯誤する余裕がなくなる
- 失敗を避けようとして無難な方向に寄る
といったことが起こります。
結果として、
探究が「安全な調べ学習」に戻ってしまい、
うまくいっていない感覚が強まります。
「正解を出そう」としていないかを振り返る
探究が行き詰まったとき、
まず問い直したいのは、
「正解を出そうとしていないか」
という点です。
探究は、
テストのように正解を当てる学びではありません。
- 仮説が外れてもよい
- 思った通りにならなくてもよい
- 途中で迷ってもよい
むしろ、
「思っていたのと違った」
「うまくいかなかった」
という経験こそが、
学びを深めるきっかけになります。
探究が苦しくなったときは、
「今、何を正解にしようとしているのか」
を一度立ち止まって考えることが大切です。
「探究らしさ」を意識しすぎていないか
もう一つ、探究がうまくいかないと感じる原因として、
「探究らしくしなければならない」
という思い込みがあります。
- 立派な問いが必要
- きれいなまとめが必要
- 発表として成立していなければならない
こうしたイメージが強くなると、
探究は一気にハードルの高い活動になります。
探究WGの整理でも示されているように、
探究は「完成度の高い成果」を求める学びではありません。
- 考えが途中でもよい
- まとまりきっていなくてもよい
- 言葉にしきれなくてもよい
そうした状態を含めて、探究なのです。
「うまくいかない」は、見直しのサイン
探究がうまくいかないと感じたときは、
次のような問いを立ててみるとよいでしょう。
- 子ども自身の関心から始まっているか
- 課題は途中で見直せる状態になっているか
- 試行錯誤する時間が確保されているか
もし、これらが難しくなっている場合は、
探究の進め方を少し緩めることで、
流れが変わることがあります。
「うまくいかない」という感覚は、
探究をやめるサインではなく、
やり方を調整するサインなのです。
大人ができるのは「軌道修正」ではなく「伴走」
探究が行き詰まったとき、
大人はつい、
- 方向を示したくなる
- 正解に近づけたくなる
- 早くまとめさせたくなる
ものです。
しかし、探究WGの考え方に立つと、
大人の役割は「軌道修正」よりも
**「伴走」**に近いものになります。
- 今、何が気になっているのか
- どこで止まっているのか
- 何が難しいと感じているのか
を一緒に言葉にし、
次の一歩を考える手助けをする。
それだけで、探究は再び動き出すことがあります。
探究は「うまくいかなさ」を含んだ学び
探究学習は、
いつもスムーズに進む学びではありません。
むしろ、
- 立ち止まり
- 迷い
- 試して
- また考える
という過程を何度も繰り返します。
だからこそ、
「うまくいかない」と感じる瞬間は、
探究が本来の姿を見せている瞬間
とも言えるのです。
次の章では、
こうした探究を支えるために、
保護者や教員がどんな関わり方をすればよいのか
を、もう少し具体的に整理していきます。
探究学習をどう支えるか|保護者・教員にできること
ここまで、探究学習について、
- なぜ分かりにくかったのか
- 国はどのように整理し直そうとしているのか
- 課題設定や評価をどう考えればよいのか
を見てきました。
最後に考えたいのは、
その探究を、日常の中で誰が、どう支えるのか
という点です。
探究学習は、制度やカリキュラムだけで成立するものではありません。
子どものそばにいる大人の関わり方が、学びの質を大きく左右します。
探究を支えるというのは「教えること」ではない
探究学習というと、
「何かを教えてあげなければならない」
「正しい方向に導かなければならない」
と感じてしまうことがあります。
しかし、探究WGの考え方に立つと、
大人の役割は知識を与えることよりも、
考え続けられる環境を整えることにあります。
- すぐに答えを言わない
- 結論を急がせない
- 途中で止まっても否定しない
こうした姿勢が、探究を支える土台になります。
保護者にできること|「問い」を大切にする関わり方
家庭でできる探究の支え方は、決して特別なものではありません。
たとえば、
- 「どうしてそう思ったの?」
- 「それ、面白いね」
- 「もう少し知りたくなった?」
といった声かけは、
子どもの問いを深めるきっかけになります。
逆に、
- 「結論は何?」
- 「それで、何が言いたいの?」
といった問いは、
考える途中のプロセスを急かしてしまうことがあります。
探究学習では、
考えが途中である状態そのものに価値があります。
家庭では、
成果や出来栄えよりも、
「何を考えていたのか」
「どこで迷っていたのか」
に目を向けてあげることが、
大きな支えになります。
教員にできること|「伴走者」としての関わり
教員にとって探究学習は、
これまでの授業とは違う難しさがあります。
- 計画通りに進まない
- すべてを把握しきれない
- 予想外の方向に進む
こうした不安は、決して珍しいものではありません。
だからこそ、
探究では「すべてを管理しようとしない」
という姿勢が重要になります。
- 子どもが立ち止まっている理由を一緒に考える
- 方向を決めるのではなく、選択肢を示す
- うまくいかなかった経験も言葉にさせる
教員は、
答えを持つ人ではなく、
考え続ける姿を一緒に示す存在
であることが求められています。
「うまく支えられているか」を測る視点
探究を支える関わりがうまくいっているかどうかは、
成果物の完成度だけでは判断できません。
むしろ、次のような変化が見られるかどうかが一つの目安になります。
- 子どもが自分の考えを話そうとする
- 途中で考え直すことを恐れなくなる
- 「次はこうしてみたい」と言い始める
これらは、
探究が安全に進められているサインです。
探究を「一人でやらせない」ことの大切さ
探究学習は、
「自分で考える学び」であると同時に、
**「一人きりにしない学び」**でもあります。
- 話を聞いてくれる人がいる
- 迷っても戻ってこられる場所がある
- 途中の考えを受け止めてもらえる
こうした環境があることで、
子どもは安心して試行錯誤できます。
保護者と教員、
家庭と学校が同じ方向を向いて
「探究は迷っていい学びだ」
というメッセージを共有することが、
子どもにとって大きな支えになります。
探究は「支えられて育つ学び」
探究学習は、
子どもが一人で完結させるものではありません。
- 問いが揺らぐこと
- 進み方が遅くなること
- 立ち止まる時間があること
それらすべてを含めて、
探究は少しずつ育っていく学びです。
大人にできるのは、
その過程を信じ、
一緒に考え続けることです。
まとめに向けて
ここまで見てきたように、
今回の文部科学省の探究WGの整理は、
- 探究を難しくするためではなく
- 探究を続けやすくするため
のものだと言えます。
探究学習は、
完璧に設計された学びではありません。
迷いながら、試しながら、
人と関わりながら進んでいく学びです。
その歩みを、
保護者と教員がそれぞれの立場で支えること。
それが、これからの探究学習を
より豊かなものにしていく鍵になります。
探究学習についてよくある質問(Q&A)
Q1.子どもが立てた課題にすぐ飽きて、次々と違うことに手を出すのはありですか?
A.条件付きで「あり」です。ただし“雑に切り替えているかどうか”が大切です。
探究WGの考え方では、
課題が途中で変わること自体は、否定されていません。
むしろ、
- やってみたら思っていたのと違った
- 調べているうちに、別の問いが気になった
というのは、探究では自然なことです。
ただし注意したいのは、
- なぜ関心が変わったのかを振り返っていない
- 「つまらなくなった」だけで投げている
- 何も残らないまま次に行っている
場合です。
「飽きたから次」ではなく、
「やってみて分かったから次」になっているか
ここが判断の分かれ目です。
Q2.「活動あって学びなし」「はいまわり主義」になっていないか心配です
A.とても大事な視点です。今回の整理は、まさにそれを防ぐためのものです。
総合的な学習の時間が始まった当初、
- とにかく体験
- とにかく活動
- 忙しいけれど、何が残ったか分からない
という状況が「はいまわり主義」と呼ばれました。
今回の探究WGでは、
それを反省的に踏まえたうえで、
- 活動そのものではなく
- **「問い・試行錯誤・振り返り」**を学びの中心に据えています。
つまり、
- 動いたかどうか
ではなく - 考えがどう変わったか
が見えていれば、「活動あって学びなし」にはなりません。
Q3.クラスで一つの課題に迫るのと、一人ひとり違う課題に迫るのでは、どちらが今回の「探究」に近いのですか?
A.どちらも探究になり得ます。大切なのは“設計の意図”です。
今回の整理では、
**「探究はこの形でなければならない」**とはされていません。
- クラスで一つの課題に迫る探究
→ 視点を共有しやすく、対話が深まりやすい - 一人ひとり異なる課題に迫る探究
→ 個別の関心を尊重しやすい
どちらも、探究として成立します。
重要なのは、
- なぜこの形を選んだのか
- 子どもにとって意味のある問いになっているか
です。
「個別=進んでいる」「一斉=古い」ではありません。
Q4.一人ひとり違う課題のとき、教師一人で支えきれるのでしょうか?
A.すべてを把握しようとしない前提であれば、支えられます。
探究WGの前提は、
教師がすべてを管理する学びではない
という点にあります。
教師がやるべきことは、
- すべての内容を把握すること
ではなく - 考えが止まっているポイントを見取ること
です。
- 今、何で困っているのか
- 何を決められずにいるのか
を見て、
問い返しや選択肢を示す。
これだけでも、探究は前に進みます。
Q5.子どもが「満足した」と言ったら、次の探究に進ませてよいのでしょうか?
A.「満足した理由」を一度言葉にできれば、進んでよいと考えられます。
探究のゴールは、
「できた感」そのものではありません。
ただし、
- 何に満足したのか
- 何が分かったと感じているのか
を一度振り返っていれば、
次に進むこと自体は問題ありません。
むしろ、
- 無理に引き延ばす
- 「まだ足りない」と抑え込む
ことで、探究が苦しくなることもあります。
区切りをつけて、次に向かうことも探究の一部です。
Q6.学習の記録は必要ですか?どのような形が望ましいですか?
A.必要です。ただし「きれいに残す」ことが目的ではありません。
探究WGでは、
記録は評価のための証拠ではなく、
振り返りのための手がかりとして位置づけられています。
- メモ
- 写真
- 図
- 途中の考え
- うまくいかなかった記録
こうした「途中の痕跡」が重要です。
完成したレポートだけでは、
探究のプロセスは見えません。
雑でも、途中でも、考えが分かる形
これが望ましい記録です。
Q7.課題や関心がバラバラでも、学び合いは必要ですか?全体で対話する場面は必要ですか?
A.必要です。ただし「同じ答えにそろえるため」ではありません。
探究における学び合いは、
- 同じことを学ぶため
ではなく - 違いに気づくため
にあります。
- その考え方はどこから来たのか
- どうしてその問いにしたのか
を聞き合うことで、
自分の探究を見直すきっかけが生まれます。
全体で対話する場面は、
- 途中共有
- 行き詰まり共有
- 振り返り共有
など、目的を絞って設けることで意味を持ちます。
このQ&A全体が伝えたいこと
これらの問いに共通しているのは、
探究を「型通りに正しくやろう」とすると苦しくなる
という点です。
今回の探究WGの整理は、
- 探究を縛るため
ではなく - 安心して試行錯誤できるため
のものです。
まとめ|探究学習は「迷いながら育てていく学び」
ここまで、探究学習について、
- なぜ分かりにくいと言われてきたのか
- 文部科学省のワーキンググループで何が整理されているのか
- 課題設定や評価をどう捉え直せばよいのか
- 研究系・行動系・創作系という多様な探究の形
- 小学校・生活科とのつながり
- うまくいかないと感じたときの考え方
- 保護者・教員にできる支え方
を見てきました。
これらを通して見えてくるのは、
探究学習が**「完成された答えを出す学び」ではない**ということです。
探究は、
- 問いが途中で変わること
- 迷ったり、立ち止まったりすること
- 思った通りにいかないこと
を含みながら、少しずつ深まっていく学びです。
今回、国のレベルで行われている整理は、
探究を厳しく管理するためのものではありません。
むしろ、
「これでいいのだろうか」と悩みながら進んできた現場や家庭に、
「その方向で大丈夫ですよ」と伝えるための整理
だと言えるでしょう。
探究学習を見守る立場にある大人にとって大切なのは、
- すぐに成果を求めすぎないこと
- 子どもの問いや違和感を急いで整えないこと
- 途中の試行錯誤に目を向けること
です。
探究は、
「うまくやらせるもの」ではなく、
**「一緒に考え続けるもの」**です。
MOANAVI Libraryでは、
こうした探究の考え方を、特別なものとしてではなく、
日々の学びや生活の延長として捉えることを大切にしています。
運営している MOANAVI でも、
子ども一人ひとりの関心やペースを尊重しながら、
教科の学びと探究的な活動が自然につながるような環境づくりを続けてきました。
今回紹介した国の整理は、
そうした実践と同じ方向を向いているものだと感じています。
探究学習は、
誰かと比べて優れているかどうかを競う学びではありません。
- 自分は何にひっかかっているのか
- 何を知りたいと思っているのか
- どう考えが変わってきたのか
を、少しずつ言葉にしていく学びです。
この記事が、
探究に関わる保護者や教員の方にとって、
「これなら見守れそうだ」
「少し肩の力を抜いていいのかもしれない」
と感じられるきっかけになれば幸いです。
記事を書いた人

西田 俊章(Nishida Toshiaki)
STEAM教育デザイナー / MOANAVIスクールディレクター
理科・STEAM教育を軸に、20年以上にわたり子どもたちの学びに携わる。
元公立小学校教員。文部科学省検定済教科書『みんなと学ぶ 小学校理科』の著者。
「体験×対話」を大切にし、子どもたちが自分で考え、学びを楽しめる環境づくりに取り組んでいる。
学びや子育てについて、個別の状況に応じたLINEでの相談はこちらから。

